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台湾にフリージャズはなかった?

――欧米や日本のフリージャズに親しんでいても、台湾のフリージャズについてはあまり知らないという日本のリスナーも多いと思います。まずは台湾においてフリージャズがいつ頃からどのように発生したのか、その歴史的背景について教えていただけますか?

「ジャズという音楽スタイル自体は台湾にも戦前からありました。けれどもフリージャズとなると、僕が認識している限りでは、過去のどの時期から形成されてきたかということが明確には言えないんですね。ただ、ノイズや実験音楽関連のアーティストに関しては、90年代あたりを境に徐々に盛り上がってきた。そうした時代の流れはありましたが、その中でフリージャズもあったのかというと、そこまで洗練されていなかったように思います。

僕が活動し始めたのは2000年からなのですが、当時は台湾人よりも外国の方々と一緒にジャムセッションをすることの方が多かったです。台湾の先輩ジャズミュージシャンの方々がアルバムの中でフリージャズ的なスタイルを部分的に聴かせることはあったものの、ライブでフリーフォームのセッションを行うとなると、やっぱり海外の方々の方が多かった。なので台湾国内のミュージシャンでフリージャズに取り組んでいた先行世代というのは明確には思い浮かばないですね。

僕自身が本格的にフリージャズに取り組み始めたのは、2005年にヨーロッパ留学した時期で、それが転換点になりました。その時は留学先のレッスンの中や、もしくは街中のライブで、そうしたフリージャズ的なアプローチをしていました。僕が台湾に帰国したのは2011年です。そこからプロとして音楽活動を展開していくんですけど、その時にコラボレーションするようになったのは、ノイズや実験音楽、もしくは演劇関連の方々でした。2011年当時は、台湾でもノイズや実験的なことをやるアーティストがたくさんいるんだな、そういったシーンが盛り上がってきているんだなということを、実体験として感じましたね。

台湾には実験音楽のイベントやノイズのフェスが色々とあって、そういったライブを行う機会がたくさんある中で、主催の方々が僕を〈ジャズ寄りのアーティスト〉として誘ってくれていたんです。なので僕は、ノイズや実験音楽のコミュニティの人たちと、ジャズのコミュニティの人たち、その両方を跨がって行き来する立場にいたので、仲間のジャズミュージシャンたちをノイズのイベントにも連れて行こう、僕だけじゃなくて色々なジャズミュージシャンとノイズの現場で一緒にセッションする機会を設けようとしていました。

今は少し離れてしまっていますが、2011年~2016年当時は、ノイズ系のフェスやライブの中で、ジャズの人たちと一緒に即興で演奏をするというような活動をしていたんです。ちょうどその頃、ノイズアーティストの張又升(チャン・ヨウシェン/You-Sheng Zhang)が立ち上げた旃陀羅レコード(Kandala Records/2009年設立)というインディペンデントレーベルが台湾内外の実験的な音楽を精力的に紹介していたので、彼らとも一緒に活動したりしました。多面的なアーティストで大阪に住んでいたこともある黃大旺(ファン・ダワン/Da-Wang Huang)さんともそこで出会いました」

 

日本統治時代から白色テロ時代へ、米軍クラブでの台湾ジャズ

――なるほど。例えば日本だと、60年代から70年代にかけて、ジャズの文脈から高柳昌行さんや富樫雅彦さん、佐藤允彦さん、山下洋輔さん等々、フリージャズのパイオニア的存在が出てきました。しかし台湾の場合はそうではなく、87年の戒厳令解除後、徐々にノイズシーンが形成されていく中で、2010年代にジャズシーンとも交差することで、次第にフリージャズと呼べるような実践が興隆していったと。

「そうです。もう少し遡ると、台湾では1895年から1945年にかけて、50年にわたって日本統治時代がありました。当時は日本で流行っていたものが台湾に輸入されるという形で、日本の流行歌も台湾に入ってきていた。当時の台湾では、日本の音楽シーンに加え、日本を介して世界の音楽シーンとも間接的に繋がっていたんです。けれども日本敗戦とともに、中国国民党政府が台湾を接収してから政治的な状況が一気に変わり、1947年の二・二八事件以降は戒厳令が敷かれ、40年も続く長い白色テロ時代が始まります。

その中で台湾における芸術・文化表現に対する抑圧が生まれました。それで日本とは大きく異なる歴史を歩んでいくわけですけど、その中でジャズの状況が変化するきっかけとして一つあったのが、60年代のベトナム戦争です。その頃から台湾は〈美援(米援。台湾では米国を『美國』と記す)〉、つまりアメリカからの支援を受けるんですね。それによって台湾は、いわば沖縄みたいな位置づけになっていく。すなわち、台湾に数多くのアメリカ軍が駐屯するようになっていくんです。するとミリタリークラブがたくさん作られるので、その中でジャズの演奏も行われるようになっていきました。

ただ、それはあくまでも軍のパーティーの盛り上げ役、サービスとしての音楽のあり方なので、例えば70年代に入ってから欧米や日本と同じように前衛的/実験的な音楽の流れを汲んでいったのかというと、僕が知っている限りではそうしたことはなかったと認識しています」