
関俊行が、台湾のさまざまな音楽カルチャーを紹介する連載〈台湾洋行〉。コロナ禍における台湾音楽シーンの様相を全3回にわたって解説した前回は、たいへん多くの方に読んでいただきました。今回は通常運航(?)に戻り、台湾の伝統音楽を採り入れながら、ユニークなポピュラー・ミュージックを作り出しているバンド、百合花 (Lilium)を紹介。フロントマンのリン・イーシュオ(林奕碩)へのインタビューで、その先鋭的なサウンドの由来に迫りました。 *Mikiki編集部
伝統音楽とロックを融合、百合花の不可思議な魅力
〈今、台湾でオススメのロック・バンドは?〉と訊かれたら真っ先に思い浮かぶのが百合花 (Lilium)だ。どこがいいのかと言えば、〈音楽がかっこいい〉や〈歌声に痺れた〉〈ライブがすごかった〉など、お決まりの形容詞がポンポンと飛び出してくるが、一つ強調したいのは、彼らが〈台湾の伝統音楽を大胆に取り入れている〉点であろう。昨年の〈金音創作獎〉※では最優秀新人賞を含む二冠に輝いているし、台湾を代表するR&B歌手である9m88も自身のInstagramのストーリーズで〈My fav Taiwanese band〉(私が大好きな台湾のバンド)と彼らを紹介するなど、台湾での注目度も非常に高い。
伝統音楽とロックを融合させようという試み自体に目新しさはないし、台湾でも彼らが第一人者というわけではない。だとしても、この強烈な存在感は一体どこから来ているのか。殺気迫る歌声からか、ふんだんに使用されている台湾の伝統楽器からか、はたまたヴィジュアルやアートワークからなのか。そこが分かるようで分からない、ファジーな違和感はずっとあったし、その奥行きに魅せられているようにも思う。
そこで今回は百合花で作詞・作曲とヴォーカルを担当するリン・イーシュオ(林奕碩)にインタビュー。その魅力の正体をコンセプチュアルに紐解いていくと共に、バンドの音楽性の要とも言える台湾の伝統音楽についても大いに語ってもらった。

台湾の伝統音楽、北菅と南管とは
――百合花の個性は何といっても台湾の伝統音楽とロックをミックスさせているところで、リンさんご自身も実際に台湾の伝統音楽である〈北菅(ベイグァン)〉と〈南管(ナングァン)〉を学んできたと伺いました。まずは、これらの音楽について説明していただけますか?
「北管は中国の漳(ショウ)州、南管は泉(セン)州をそれぞれ起源とする音楽で、歴史的にこれらのエリアから多くの中国人が台湾へと移住してきたことに起因している。北管はどちらかというとやかましく、賑やかで、テンポも早い。台湾の寺院で行われているセレモニーでよく演奏されているのも北管だよ。通常は神様の誕生日や命日を記念して演奏されているんだけど、戦前は一般人の結婚式でも聴けたらしい。日本統治時代から西洋化が進み、一部のそういった習わしは消えてしまったんだ。今となっては寺院絡みのイベントか、葬儀でしか聴くことがないから、一部の現代的で都会派の台湾人は北管に対してあまりいいイメージを持っていないかもね。
南管は琵琶(ピーパー/日本ではビワ)や三弦(サンシェン/日本の三味線に近い)といった楽器が使われている。音楽的な特徴として、とても優しく、悠然としていて、僕としてはとても日本的な雰囲気を感じるんだよね。カッ、カッという音を出す拍板(パイバン)という打楽器もあって、それがアクセントになっている。歌も特徴的で、ピッチが高く、言葉の一つ一つをとても伸びやかに歌うんだ。
今でも泉州に行けば、南管を聴くことができるんだけど、北管は漳州に行ってもあまり聴くことができない。この理由は解明されてないんだけどね。なので、起源を中国としつつも、台湾で発展し、保存されてきたという意味で、北管はより台湾固有の音楽であると言えるのかもしれない」
――となると、百合花の音楽性はどちらかというと北管に近いのかなと思ったのですが。
「そうだね。僕たちが去年出したデビュー・アルバム『燒金蕉 Burnana』(焼きバナナの意)は北管の要素が多い。南管を取り入れているのはごく一部で、例えば、収録曲の“醫生”(医者)という曲は途中から南管とバンドの演奏が重なるような展開がある。伝統的な南管よりかなりやかましくなっているけどね。あとは、“怨妒”(妬み)という曲で使われている打楽器の一部も南管由来だ」
――これらの音楽を具体的にどう学んだんですか?
「学び始めたのは大学生の頃。学士から修士を取得するまで、専攻はずっとファイン・アーツだったんだけど、伝統音楽の学部の授業も受けることができたから、毎学期、通っていた。そこでまず、ホアン・ヤオフェイ(黃瑤慧)から譜面の読み方やヴォーカリゼーション、琵琶の弾き方だとか、基本を教わった。
その後、ウー・スーシャー(吳素霞)に師事した。彼女はヴェテランで、歌がとても上手だった。彼女からは主に音楽理論とヴォーカリゼーションを学んだ。彼女に師事して、僕は音楽において言葉の発音がいかに重要であるかを理解したよ。
僕は北管も学びたかったから、淡水南北軒という場所に通うようになったんだ。そこにはチョウ・ホウロン(邱火榮)と、彼の妹のリュウ・ユーイン(劉玉鶯)という2人の名人がいたんだ。チョウ・ホウロンは様々な楽器を弾きこなし、伝統音楽における音楽理論にも精通している人で、台湾では人間国宝とみなされている。楽団の先生でもあり、まず彼から歌い方や発音、音楽理論を教わった。
それからリュウ・ユーインのもとで一年間学んだんだけど、そこではとにかく怒鳴られてばかりだった。彼女は女優/歌手なんだけど、憑依型というか、指導中に台本を読むとき、その役になりきってしまう。例えどんなに怒っていたとしても、スイッチが入ると、若くて優しげな女性や力強い男性へと瞬く間に変身する。彼女からも歌い方、そして打楽器も学んだよ。北管の打楽器には〈こういう音が鳴ったらこう返す〉という独自の作法がありとてもレスポンシヴなものなんだ。即興をするときも同じで、まずはルールを知っていないといけない。ジャズでテーマとアドリブが交互に演奏される構造に少し近いかもしれないね。

あと、これは余談なんだけど『燒金蕉 Burnana』の制作には淡水南北軒のメンバーであるリン・チュンホン(林宸弘)という人物も参加しているんだ。このアルバムで使用されている伝統楽器は全て彼による演奏だし、アレンジが北管の作法に準ずるものになっているかどうかのチェックをしてくれている。僕たちがやっているのはミクスチャーなので、作法を崩すことも時にはあるけどね。音楽は自由なので、ルールに囚われているわけではなくて、むしろ〈伝統音楽の作法を取り入れたら面白いかもしれない〉という気持ちでやっているんだ」
黒人がブルースを歌うように、僕は台湾の音楽をやるんだ
――アーティスト活動を始めた背景と、台湾の伝統音楽を取り入れるという現在のスタイルに行き着いた経緯を教えてください。
「僕は伝統音楽を習う前から音楽制作をしていて、いわゆるポピュラー・ミュージックだったけど、とても楽しんでいた。伝統音楽を取り入れるようになったきっかけは、例えば、僕はB.B.キングやジェイムズ・ブラウンが好きなんだけど、彼らのように英語で歌うことはできないんだよね。なぜなら彼らの言語だから。〈それなら僕も台湾の言葉で音楽を作るべきだろう〉と考えるようになったんだ。
台湾におけるポピュラー・ミュージックの歴史を振り返ると、ある時期を境に大きなギャップを感じる。80年代より前の台湾の音楽を聴いていると、そこにはまだ伝統音楽の影響が見受けられる。
例えば前述の楽曲、“醫生”で僕は、言葉の一つ一つをとても伸びやかに歌う南管の歌い方を取り入れているんだけど、その時代の歌手たちからも同じアプローチが感じられるんだ。それはおそらく意識的でなく、昔は伝統音楽が生活の一部で、そういった環境で育ったから、自然とできるようになったんだと思う。けれど、以降その影響は徐々に影を潜めていった。僕らの世代は既に西洋式のポピュラー・ミュージックが当たり前の環境で育っている。そのことに気づき、僕は〈台湾の伝統音楽を学ばねばならない!〉と思ったんだ。
例えば、ブルースが良いのは、アフリカ系アメリカ人の文化と生活に根ざしているからだと思っていて、そこには奴隷として連れてこられた歴史や、英語という言語、ギターやドラムといった楽器など全てが要素として関わっているんだと思う。だからもし僕が最高のブルース・プレイヤーになろうとしたら、まずアメリカに渡って音楽のみならず文化も含めて体感すべきだ。けど、アメリカで実際にブルースの達人からレッスンを受けるのってハードルが高いよね。その点、台湾の伝統音楽はやる人が少ないから、人間国宝級の名人からも比較的、簡単に教えを乞うことができる。そもそも同じ街にいるわけだし。それって考えてみたらクールなことだよね。
西洋式の音楽教育を受けて、その理論にも精通した人であれば、伝統音楽を分析してなんらかの法則や特徴、ポピュラー・ミュージックとの類似点をより解像度の高い形であぶり出して、創作に役立てることも可能なのかもしれないけど、僕にはそういう技術はない。だからまずはとにかく体験して、感じてみるしかないんだ」
――台湾の伝統的な音楽文化を守っていこうという意識もあるんですか?
「守っていこうとか、何かミッションのように捉えたりしているわけでない。僕は洋楽にも大きな影響を受けていると同時に、台湾人でもある。そういう自分のアイデンティティーに正直でいたいし、それらを織り交ぜることは僕にとってとても自然なことなんだ。
〈伝統をアップデートする〉なんていう表現もたまにあるけど、これも言い方に気を付ける必要がある。伝統音楽が〈良くない〉から〈良くしよう〉なんていう気持ちでやっているわけではないからね。全てはシンプルに楽しいからやっている。まずそれが大前提だよ」
――台湾の伝統音楽の歌詞は大体が恋愛についてだと聞きました。歌詞において何か影響を受けてもいるのでしょうか?
「僕は正直、伝統音楽の歌詞があまり好きじゃないんだ。トピックが恋愛しかないなんてつまらないよね。けど、古典の文法や単語は結構取り入れているよ。伝統音楽における発音の仕方についてもそうだよね。これらは作法であって、使い方次第で現代に蘇らせることができるんだ。歌詞の内容としては同時代性のようなものを意識していて、それを古典の枠組みに置き換えている」
台湾の伝統音楽に未来はあるか?
――今後はどんな活動を予定していますか? また、台湾の伝統音楽についてどんな未来を思い描いているのかを教えてください。
「今は新作に向けて準備中だよ。百合花の活動以外にもいろいろなアーティストとのコラボレーションに興味がある。楽曲提供とかもしてみたい。
台湾の伝統音楽についていうと、あまりいい予感はしていないかな……。昔の音源を聴くと、今より演奏のレヴェルが高いことが多いんだよね。担い手も減っているし、仕方ないのかもしれないけど。それでもこの文化を絶やさないために頑張っている人は大勢いる。これらの音楽が今後より多くの注目を集めて欲しいし、それで僕に何かできることがあるのなら光栄なことだ。
台湾人について変だなと思うのは、例えば、僕がカフェを開いたとしたら、〈お前のカフェは西洋のやり方に沿っていない。適当なことをするな〉とケチをつけてくる人が必ずいることだ。つまり、他国の文化をぞんざいに扱うと指摘してくる人がなぜか多い。英会話についてもそうで、〈ネイティヴ・スピーカーはそんな言い方しない〉などといった指摘がよくある。
その一方で、自国の文化についてはあまり関心がない。寺院で演奏されている北管にしてみても、一部の人からは〈うるさい〉としか思われていなかったりして、時には警察に通報するような人もいる。何においても、外来のやり方で矯正して、そこに〈台湾らしさ〉が表出するのを嫌がる人が一定数いるような気がするんだよね。僕は、一人のミュージシャンとして、どんな文化もリスペクトし、理解しようと心がけるべきだと思っているので、こういった傾向については奇妙だと言わざるを得ない」
文化へのリスペクトに溢れた、リン・イーシュオの発想
今回のインタビューで何より面白いと思ったのは、彼は台湾の伝統音楽の枠組みや方法論に、西洋のポピュラー・ミュージックの要素を入れ込む形で音楽制作を試みている、という点だ。
僕はミュージシャンとしてDAWを使った音楽制作も行う身なのだが、例えば、制作中の楽曲に民族楽器を取り入れたいと思った時、まずは民族楽器専門のソフトウェア音源に入っている、膨大な数のサンプル音源の中から特定の楽器を選び、十二平均律に基づいて、トラックに対してハーモニーとして美しい配置を探っていく、というパターンをとることが圧倒的に多い。それはつまり民族楽器を音色として捉えているということで、譜面上はギターやピアノに置き換えても、楽曲としては成立するのだろう。
そこで、この民族楽器が本来はどのような音階で弾かれているのか、強弱をいかに付けるかといったニュアンスまではあまり考えたことがない。ギターで弾いたフレーズをそっくり、音色だけ民族楽器に置き換えるようなこともしているのだが、イーシュオの話を聞いたあと、そういった手法がなんだかデリカシーに欠けたアプローチのような気もしてきてしまった。例えばヴァイオリンであれば、ソフトウェア音源による打ち込みであったとしても、音域や強弱などの〈本物らしさ〉にとても意識的になるのに、民族楽器となるとその意識が抜け落ちてしまっていたように思う。究極的にはその奏者と相談し、レコーディングするのが一番なのだが……。
イーシュオのアプローチを取り入れた場合、例えば、楽曲にアフリカの弦楽器、コラを加えたいと思ったら、まずはコラの楽器としての構造から学ぶ必要があるのだろう。そして、一般的にコラがどのように演奏されるものなのか、その伝統的作法についても知る必要がある。そしてこれら全てを勘案した挙句、やっぱり楽曲にはそぐわないという結論に至る可能性だって大いにある。あるいは、むしろ他のパートをコラの作法に寄せてみよう、という発想も生まれるのかもしれない。このコペルニクス的転回とも言えるアプローチにはハっとさせられた。リン・イーシュオ、やはり一筋縄ではいかない男だった。

PROFILE: 関 俊行
ミュージシャン/プロデューサー/ライター。MIDI Creativeにて自身のアルバムをこれまでに2枚リリースする。近年は、「ミュージック・マガジン」2020年4月号の特集〈台湾音楽の30年〉への寄稿や、Taiwan Beatsへの参画など台湾の音楽を積極的に発信している。