関俊行が、台湾のさまざまな音楽カルチャーを紹介する連載〈台湾洋行〉。今回は、台湾原住民でパイワン族出身の人気シンガー、ABAOの歩みと併せて、台湾原住民音楽の歴史と現在の様相を解説しました。台湾原住民音楽は、なにやら実にユニークな進化を遂げているようで……。音楽ファンなら絶対に聴くべき台湾原住民音楽の入口に最適な回となっています。 *Mikiki編集部

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台湾原住民音楽を背負って歌った〈GMA〉でのABAOのパフォーマンス

8月21日、台湾のグラミー賞として知られている〈第32回金曲獎(GMA)〉が開催された。リアルタイムでのフル視聴を逃した僕は、GMAのYouTubeチャンネルにアップされているアーカイブをチェックした。コロナ禍以前は音楽界の著名人たちが観客の声援を浴びながらレッドカーペットを歩き、平井堅やGLAYなど日本からも著名アーティストが参加するなど、〈グラミー〉の名に相応しい煌びやかさを放っていた〈GMA〉。しかし、世界的パンデミックのあおりを受けたのは〈GMA〉も例外ではなかった。水際対策が功を奏し、コロナ対策においては優等生とみなされてきた台湾だが、5月中旬以降、感染者が急増。警戒レベルは4段階のうち2番目に厳格なレベル3へと引き上げられ、多くの台湾人が自粛生活を余儀なくされた 。当初は6月26日に開催予定だった〈GMA〉も延期となり、会場を台北アリーナから、大きさとしては中規模の台北流行音楽センターに変更し、開催する運びとなった。 

そんな話を聞いていたので、例年に比べてひっそりとした授賞式になることを予想していたのだが、開会式冒頭のABAO(阿爆)による、生気に満ちたパフォーマンスを見てそのような考えは一気に払拭された。というよりも忘れてしまうくらい引き込まれた。昨年の〈GMA〉で〈アルバム・オブ・ザ・イヤー〉に輝いた『kinakaian 母親的舌頭』からの楽曲を、大勢の原住民パフォーマーたちとともにメドレー形式で披露した。伝統衣装に身を包んだ原住民合唱団による導入から、ゴスペル調の楽曲“Thank You”で大団円を迎える展開には胸が熱くなったし、オーディエンスに対して〈目を離させない〉とでも言わんばかりの気迫を感じた。

2021年の〈GMA〉でのABAO 阿爆のパフォーマンス

式典終盤、大目玉とも言える〈アルバム・オブ・ザ・イヤー〉の発表では、プレゼンターを務めるABAOがオリンピック・ウエイトリフティング女子の金メダリストで原住民にルーツを持つ郭婞淳、柔道男子の銀メダリスト楊勇緯の両選手とともにステージに現れ、Sangpuy(プユマ族出身)の最新アルバム『得力量』の名を叫んだ。このように今年のGMAは式典の最初と最後で原住民音楽が大きくフィーチャーされる回となった。

 

台湾の原住民とその音楽の発展

台湾原住民はいくつもの部族によって構成されており、現在、16部族が政府の認定を受けている。以前は9部族だったのが、各部族のアイデンティティーや学術的研究/調査を考慮し、修正された結果なのだという。例えばカナカナブ族とサアロア族はもともとツォウ族の一部とみなされていたが、2014年にそれぞれ独立した部族であることが政府によって承認されている。 現在も認定を望んでいる部族があり、その総数は変動的だといえる。

文字を持たない原住民たちは各部族の儀式などを通じ、口承によってその歌を守ってきた。しかし、生活の近代化によって原住民の生活にもTVやラジオが普及し、フォークやマンドポップ(台湾の公用語で歌われるポップス)が親しまれるようになる。さらにアメリカからは西洋のロックやポップスがもたらされ、原住民音楽はそれらの新しい音楽スタイルを取り入れるようになる。それぞれが〈歌の王〉、〈フォークの父〉とみなされている萬沙浪、胡德夫の両氏もバンドを組んでホテルなどで演奏していたという。 

山地歌王こと萬沙浪の88年のパフォーマンス。萬はプユマ族出身

台湾の原住民音楽が世界的に注目されるきっかけとなったのは、ドイツの音楽ユニット、エニグマの楽曲“Return To Innocence”(93年)だ。本楽曲ではアミ族の夫婦、ディファン(郭英男)とイガイ(郭秀珠)が歌う“老人飲酒歌”がサンプリングされており、収録アルバム『The Cross Of Changes』はアメリカレコード協会からダブルプラチナム認定されており、世界的ヒット作となっている。96年のアトランタオリンピックではキャンペーンソングにも採用されたが、夫妻は歌声が無断でサンプリング使用されたことに対して訴訟を起こす。これは後に和解に至るが、文化的盗用や著作権の観点においても業界に一石を投じる出来事となった。

エニグマの93年作『The Cross Of Changes』収録曲“Return To Innocence”

同じ頃、ポップスにおいてはパイワン族出身の音楽デュオ、動力火車(Power Station)やプユマ族出身のシンガー、aMeiといったアーティストたちが人気を博す。そして2005年の〈GMA〉より、各賞はマンダリン、閩南語(台湾語)、客家、原住民の4言語に基づいてカテゴライズされるようになる。これによって〈ベスト原住民アルバム賞〉が加わることとなり、より多くの台湾のレーベルが原住民アーティストの発掘/マネージメントに力を入れ、原住民アーティストたちのブレイクスルーを促す契機となった。

とはいえ、すべての原住民アーティストが原住民カテゴリーでエントリーするわけではなく、前述のaMeiやサミンガ(紀曉君)、陳建年、Biung(王宏恩)、A-Yue(張震嶽)、家家など、台湾の國語〈マンダリン〉で歌い、賞を獲得したアーティストもいる。また、原住民に関する業務の調整・計画を行うべく96年に設立された行政機関〈原住民族委員會〉や、原住民の情報に特化したテレビ局〈台湾原住民電視〉なども原住民の音楽を保護し、その声を外部に届ける役割を担った。