関俊行が、台湾のさまざまな音楽カルチャーを紹介する連載〈台湾洋行〉。今回は台南を拠点にしているヒップホップ・グループ、Banyan Gang 榕幫をピックアップ。90年代フレイヴァ―が漂うサウンドの背景に加え、なぜ彼らは台北ではなく台南での活動を続けているのかというアティテュードについて、メンバー3人へのインタビューで迫りました。 *Mikiki編集部
90年代愛に満ちたチルな台南発ラップ
台湾のミュージシャンに拠点を訊くと十中八九〈台北〉と返ってくる。野心的なミュージシャンがより多くのチャンスを求めて大都市へ向かうのは理にかなっているし、傾向としてはどの国に行っても同じことなのかもしれない。
今年の6月から連載名を〈台南洋行〉から〈台湾洋行〉へと広げ、台湾の音楽シーン全体を見渡すようになった。以降は、台北を拠点としているアーティストばかりピックアップしている。
それでも、この連載の原点は〈台南〉だし、かの地に魅了された僕の勢いで始まった。台南は僕がディープでローカルな台湾カルチャーに目覚めるきっかけを与えてくれたのだ。〈台北ではない台湾〉の魅力を発信していくことは今でも僕にとっての大きなテーマだ。本記事では久々にホームグラウンドに戻り、台南を拠点としつつもシーンでめきめきと頭角を現しているヒップホップ・トリオ、Banyan Gang 榕幫をご紹介したい。
メンバーは上記写真の左からLeerix(MC)、HSIEN CHAN(ビートメイカー/MC)とWarren K(MC)。90年代ヒップホップ愛に満ちたジャジーで小気味よいトラック、スムースなフロウを持ち味としている。台南は時間の流れがゆるやかな場所とされているが、〈実はゆるいのではなくチルいのだ〉と、膝を打ってしまうような説得力が彼らの音楽にはある。今年の6月に最新アルバム『Vernalization』がリリースされたばかりの彼らにオンライン・インタビューを行った。
台湾ヒップホップのパイオニア、Shawn M80
――結成のいきさつを教えてください。
HSIEN CHAN 「僕らは全員、大学のヒップホップ・クラブで知り合ったんだ。ヒップホップを学んでいた、というとちょっとオタクっぽいかもしれないけど、熱心に取り組んでいたよ。そこで僕らは〈Banyan Gang〉というコンセプトを思いついた。
当初は、ウータン・クランのようなファミリーにしたくて、所属クラブの別名として使っていくつもりだった。けどギグをこなしていくうちに、このユニットの名前として定着していったんだ」
――メンバーそれぞれがどのようにヒップホップを始めたのか教えてください。
HSIEN CHAN「僕は高校生の頃、ヒューマン・ビートボックスのクラブに入っていた。そこからMCやDJ、グラフィティといったヒップホップ・カルチャーを知り、どんどんハマって、今に至る。最初はヒップホップのファン、ていう感じだったな」
Leerix「中学生の頃からヒップホップを聴き始めた。エミネムやリル・ウェインを知り、とても魅力的な音楽だと思ったんだ。ラップするようになったのはその後だね」
Warren K「僕はもともと中学生の頃から詩を書いていた。といっても、ヒップホップのリリックではなくて、文字通り〈詩〉だった。ある日、従兄弟がShawn M80(宋岳庭)の“Life’s A Struggle”という曲を聴かせてくれて、ヒップホップに目覚めたんだ」
HSIEN CHAN「Shawn M80は台湾ヒップホップのパイオニアだよ。彼の言語感覚は革新的で、中国語におけるライムの可能性を押し広げた。残念ながら2002年に22歳という若さでこの世を去ってしまったんだけどね。まさしくレジェンドだよ」
――台湾でのヒップホップの盛り上がりはすごいですけど、そのような先駆者たちがいてこそのものなんでしょうね。
HSIEN CHAN「そうだね、多くの台湾人ラッパーが彼にインスパイアされていると思う。最近でいうと、2017年に放映された『The Rap Of China』というラップ・バトルの番組があって、あれに影響されてラップを始めた人も多いんじゃないかな。中国でもヒップホップは人気だよね」
――実は、Banyan Gangの存在自体は長く知ってたんですよね。2018年、台南に足繁く通ってた頃、セカンド・アルバム『Sweet City 甜蜜城市』(2017年)をよく見かけました
HSIEN CHAN「あれは厳密にはGoodieKっていうビートメイカーとのコラボレーション・アルバムなんだ。トラックも彼のプロデュースだ。Juzzy Orangeっていうジャジーなサウンドを特徴とするヒップホップ・グループに所属していた人だよ。惜しくも解散してしまったけどね」