新しい力の世代
そもそも〈ニュー・パワー・ジェネレーション=新しい力の世代〉とは何かというと、プリンス主演映画のサントラも兼ねた前年作『Graffiti Bridge』の収録曲“New Power Generation”のことであり、もう少し遡れば『Lovesexy』(88年)内の歌詞に〈New Power Soul〉というワードが見つけられたりもして、当時のプリンスが気に入っているテーマ/スローガン的な言葉だったのだろう。86年に解散させた前バンドが〈レヴォリューション=革命〉となれば、何かに立ち向かっていく一体感を備えた勇ましいバンド名としても非常に相応しいもののように思える。
そんな殿下のヴィジョンやイメージを前提に、実際のバンド=ニュー・パワー・ジェネレーション(以下NPG)は、それ以前のライヴ・メンバーから様変わりすることになった。90年の6月に始まった〈Nude Tour〉で演奏したNPGのプロトタイプ的なバンドには、前体制からのDrフィンクとミコ・ウィーヴァー、リーヴァイ・シーサーJr(ベース→後にギター)に加え、新たにロージー・ゲインズ(キーボード/ヴォーカル)、マイケル・ブランド(ドラムス)が抜擢。さらにダンサーとしてトニー・モズリー、デイモン・ディクソン、カーク・ジョンソンの3名も帯同していた。なお、彼らは映画「グラフィティ・ブリッジ」にも出演し、ツアーの合間には後に『Diamonds And Pearls』に含まれる楽曲の制作も進めている(東京でも録音)。
リーヴァイとの旧縁で招かれたロージーはもともと『Caring』(85年)でメジャー・デビュー歴もあるアレサ・フランクリン的な資質の持ち主。一方のマイケルは当時まだ10代の学生で、地元ミネアポリスのライヴハウスで評判を集めていたドクター・マンボズ・コンボというバンドのドラマー。そしてゲーム・ボーイズを名乗るダンサーたちは映画「パープル・レイン」(84年)にエキストラとして出演し、その際にプリンスの認知も得ていたというミネアポリスの若者たちだ。彼らはそのままNPGに移行するが、旧レヴォリューションから在籍したフィンクとミコは同ツアーをもってバンドから外されている。
その代わりに起用されたのが、プリンスとはデビュー前からの仲だった先輩格のソニー・トンプソン(ベース)と、スティールズ(ミネアポリスのゴスペル家族グループ)のバックで鍵盤を弾いていた白人青年のトミー・バーバレラ(キーボード)。こうして理想のメンツが揃ったところでプリンスはバンドを正式にNPGと命名し、91年1月に出演したブラジル開催のフェス〈Rock In Rio II〉にて〈プリンス&ザ・ニュー・パワー・ジェネレーション〉をお披露目する。なお、ダンサーのうちトニーはラップの技量を認められてマイクを握り、カークはパーカッション演奏なども担うようになった。