タワーレコードのフリーマガジン「bounce」から、〈NO MUSIC, NO LIFE.〉をテーマに、音楽のある日常の一コマのドキュメンタリーを毎回さまざまな書き手に綴っていただく連載〈LIFE MUSIC. ~音は世につれ~〉。今回のライターは狗飼恭子さんです。 *Mikiki編集部

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 わたしの住んでいる山の上の家では、十二月になると水道が凍結する。それを防ぐため、冬の間は常に蛇口を開けて細く水を出しておかなければならない。流れ続けさえすれば水は凍らないからだ。だから冬には、洗面所で常に音が鳴っていることになる。細い水が陶器の洗面台に当たる甲高い音。水の出る音はよく「ちょろちょろ」と表現されるけれど、それが硬い陶器にあたる音を表す擬音語はあるんだろうか。わたしには、きらきら、とか、ちゃらららら、みたいに聞こえる。「きらきら」も「ちゃらららら」も、音の表現には似合わない気がするけれど、わたしにはそう聞こえるのだからしょうがない。

 洗面所は大きな窓に面しているので、他にもいろんな音がする。木々が風で揺れ葉と葉をこすり合わせる音。遠くで冬鳥が鳴いている声。ぴゅうぴゅうごうごう風の音。

 一番好きなのはつららの音だ。朝、夜のうちに窓枠にできたつららが解けて、ベランダの上に落ちて割れる。すると金管楽器みたいな音が鳴るのだ。擬音語にするとしたら、これは「ちゅゃああん」かな。それらの音が混ざり合うのを聞いていると、まるでテリー・ライリーの音楽みたいだ、なんて思う。そうそう、テリー・ライリーの曲だって「きらきら」とか「ちゃららら」とか「ちゅゃああん」みたいな擬音語にしがたい音がする。耳にはそんなに自信がないけれど、わたしの感覚もそう間違っていないのではなかろうか。だってライリーさんの音楽も自然音も、生活に交じり合っていつのまにかそこにあるものだから。

 ライリーさんが日本に住んでいると知ったのは偶然だった。ぼんやり眺めていたSNSに誰かがそう書き込んでいたのだ。気になって検索してみたら、どうも、山の上の森の中にいるらしい。暖かい場所ではなく寒いところのようだ。ひょっとしたらうちの近くかもしれない。そう思ったら突然親しみがわいて来て、苗字にさん付け、なんて呼び方をするようになってしまった(普通はテリーさんと呼ぶのかな。でもなんとなく、テ、より、ラ、のほうが、彼の作る音楽に似合う。これもただの感覚)。

 気になって調べてみたら、すぐにライリーさんの所在地は分かった。わたしの住む村じゃなかった。山をいくつも越えないと、彼の住む森にはたどり着かない。でもがっかりはしなかった。洗面所の窓からはたくさんの山が見えるから、このどれかの、そのまた向こうの向こうの向こうくらいの山に、ライリーさんがいるのだ。それはそれで素敵で、むしろ外を眺める楽しみになる。

 なぜ日本の山奥に移住したのかと尋ねられたライリーさんは、「安心だから」と答えたらしい。どういう意味かは分からないけれど、分かる気もする。鳥の声、風の音、葉のこすれる音。洗面台に水が当たる音、つららの音。それらを合わせて脳内でサンプリングすると、驚くほど完璧に調和する。それはテリー・ライリーの音楽に似て、きらきらちゃらららしていて心地いい。心地よさと安心は直結している。

 安心な場所で安心な音楽を聴けているから、わたしは今日も、安心に生きられている。

 


PROFILE: 狗飼恭子
18歳のときに詩集「オレンジが歯にしみたから」(KADOKAWA)を上梓。その後、作家、脚本家として活動を始める。 主な著作に小説「一緒に絶望いたしましょうか」、エッセイ「愛の病」(共に幻冬舎)などがある。また、主な脚本作品に映画「風の電話」(諏訪敦彦監督)、映画「ストロベリーショートケイクス」(矢崎仁司監督)、映画「百瀬、こっちを向いて。」(耶雲哉治監督)など。 近作に、ドラマ「忘却のサチコ」「竹内涼真の撮休」「神木隆之介の撮休」や映画「エゴイスト」(松永大司監督)などがある。

 

〈LIFE MUSIC. ~音は世につれ~〉は「bounce」にて連載中。次回は2024年1月25日(木)から全国のタワーレコードで配布開始される「bounce vol.482」に掲載。