2002年『EMIクラシック・アーカイヴ・シリーズ』のDVDリリースが始まったとき、私は文字通り驚嘆した。フランス国立視聴覚研究所(INA)とイギリス国営放送(BBC)に残された録画を使い、一巻ずつアーティスト別に編集された映像は、それまで写真と録音でしか知らなかった往年の巨匠たちが、テレビの中で次々と素晴らしい演奏をする姿を映し出していたからである。シリーズは2007年までに52タイトルに達した。発売権がIdeale Audienceに移った後も継続したが、その総集編と言うべきBlu-rayディスクが発売されることとなった。DVD約11枚分にあたる17時間41分を一枚に収めた『クラシック・アーカイヴ・コレクターズ・エディション Vol.1 ~弦楽器編』である。
収録年は1957~75年、演奏者の出身地はフランス、ベルギー、ポーランド、ロシア、イスラエル、アメリカと幅広い。これだけ集まると、戦後の一時期における弦楽器の演奏史を知る、という意味合いも生じてくる。
劈頭を飾るのは当時最も個性的な芸風をもち、異端児と見做されていたイスラエル出身のギトリス(1922~)である。新即物主義的な演奏様式-楽譜に忠実に、作曲者の意志は絶対-が全盛だったこの時期に、ギトリスの濃厚なロマン性は異彩を放っていた。また当時の奏法で禁忌とされていたポルタメント(音のずり上げ、ずり下げ)を多用しているのも特徴的だ。ギトリスは90年代になってから大きな人気を得て、多様な演奏様式が混在する現代にあっては神様扱いとなっているが、彼の独特の演奏―むせび泣くようなヴィブラート、妖艶甘美な歌い崩し―が、当時から変わらないことがこの映像で確認できる。そして若き日の超絶的な技巧は全く凄い!
続いては、スターンとともに当時のヴァイオリン界のトップに君臨していたシェリング(1918~88)である。美しい立ち姿とリラックスした右腕から端正で真摯な音楽が流れ出るが、映像を見て痛感するのはその音楽が熱い情熱に満ちていること。ギトリスのように形を崩して表現するのではなく、整った形式の中にいかに表現内容を封じ込めるかがシェリングのテーマであったことがよく判る。
次はシェリングのライバルだったスターン(1920~2001)の演奏。スターンは豊かで温かい音の持ち主だ。彼が商業録音を残さなかったバッハの無伴奏が少し「観られる」のは真に貴重で、自由闊達な弓さばきから温かみと勢いのある熱い音楽が流れ出るのが確認できる。そして額に流れる汗に構わず演奏する姿に、その印象はさらに強まるのである。
続くミルシテイン(1903~92)はスターンより一世代上だが、長く現役を務めカラー映像まで残った。様式も技巧も洗練されていたので大衆受けはしなかったが、一部の愛好家から強い支持を受けた。名指揮者ボールトと組んだベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲は、二人の巨匠が深い音楽世界を描き出す瞬間を捉えた貴重なカラー映像だ。
そして、同じベートーヴェンの協奏曲をグリュミオー(1921~86)、コーガン(1924~82)で観られるのもこの長時間ディスクならではの有難さである。ベルギー出身のグリュミオーはミルシテインよりもずっとヴィブラートが大きく、甘美で華やかな演奏となっているし、ソ連出身のコーガンは鋼線のように強く輝く音で峻厳な音楽を奏でている。
若くして亡くなったフェラス(1933~82)が、鮮やかな技巧と鋭い感性の持ち主だったことはシベリウスの協奏曲の映像で明らかだ。そして、モーツァルトの協奏曲を弾くフランチェスカッティ(1902~91)が歌に満ちた明るく朗らかな音楽性も持ち主だったことも。
ヴァイオリン奏者の紹介だけで紙数が尽きてしまったが、同時代のチェロ奏者も4人、貴重な映像を観ることができる。単に音楽鑑賞だけに留まらず、演奏史、音楽史、映像収録史、更に広く世界文化史的な視点からも興味深いアンソロジーの登場と言えるだろう。