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歴史を掘り下げ美学を追求、ヨーロッパ三部作の多彩さ

そして再びのソロ活動で加藤和彦はまた新たな方向性に向かう。1977年に安井かずみと結婚。カルチャーやファッションなど様々な方面で時代の象徴になっていくのだが、作品として特筆すべきは、やはり1979年から1981年に発表した『パパ・ヘミングウェイ』、『うたかたのオペラ』、『ベル・エキセントリック』、 通称〈ヨーロッパ三部作〉だろう。

加藤和彦 『パパ・ヘミングウェイ』 ワーナー・パイオニア(1979)

加藤和彦 『うたかたのオペラ』 ワーナー・パイオニア(1980)

加藤和彦 『ベル・エキセントリック』 ワーナー・パイオニア(1981)

それまでの作風と〈ヨーロッパ三部作〉との違いは、ポップスとしての同時代性やトレンドを意識するというよりも、歴史を掘り下げ、美学を追求するコンセプチュアルな姿勢にある。

ヘミングウェイの生涯をテーマにした『パパ・ヘミングウェイ』。第二次世界大戦前のベルリンを舞台にした『うたかたのオペラ』、ヘミングウェイが若い日々を過ごした1920年代のパリの情景を描いた『ベル・エキセントリック』という3作。歌詞はすべて安井かずみが手掛けている。コンセプトを練り上げるために加藤和彦と安井かずみは徹底して資料を集め読み込んだという。

テーマに即した場所を選び海外レコーディングを敢行するという手法も革新的だった。『パパ・ヘミングウェイ』ではヘミングウェイゆかりの土地であるバハマの首都ナッソー。『うたかたのオペラ』はベルリンの壁がまだ残っていた分割統治時代の西ベルリン。『ベル・エキセントリック』はパリ。現地のミュージシャンを起用するのではなく、坂本龍一、細野晴臣、高橋幸宏に加え、小原礼、大村憲司、矢野顕子など彼に共鳴していたYMO人脈のミュージシャンが参加し、現地の空気感を感じながら録音していたということもポイントだろう。

3枚のアルバムでそれぞれで追求した音楽性も、それまでの作品とは全く違う様相を持ったもの。タンゴ、シャンソン、ルンバ、スカ、レゲエなど多彩なワールドミュージックのエッセンスを基軸に、洒脱でクラシカルなストリングスとシンセサウンドが融合したようなアート性の高いものになっている。

なかでも魅力的な曲を挙げるならば『パパ・ヘミングウェイ』収録の“スモール・キャフェ”はメロディーメイカーとしての加藤和彦の才能を感じさせる佳曲。『うたかたのオペラ』収録の“絹のシャツを着た女”はタンゴを、“ルムバ・アメリカ”はスカを取り入れた音楽性の広がりを感じさせるもの。『ベル・エキセントリック』収録の“ディアギレフの見えない手”はタイトル通り20世紀初頭のバレエ・リュスへのオマージュも感じさせる特徴的なシンセサウンドが聴きどころだ。

この〈ヨーロッパ三部作〉はセールス的には決して大ヒットしたわけではない。が、その美意識のあり方、徹底した世界観には時代を超えた輝きが宿っている。ヨーロッパやラテンの要素を取り入れつつ、単なるワールドミュージック的なセンスとは違う加藤和彦なりの文学性を感じさせる作品に昇華している。エキゾチズムに向き合う時のその先鋭的な感性は〈ポストジャンル〉の時代となった今だからこそより理解されるものだろう。

 

尽きない好奇心に突き動かされた異才

〈ヨーロッパ三部作〉以降も、シティポップにも通じる軽やかなバンドサウンドで80年代の東京の洗練されたハイソサエティな生活を綴る『あの頃、マリー・ローランサン』(83年)など、様々なテーマと作風に挑んだ作品の数々を残してきた。

加藤和彦 『あの頃、マリー・ローランサン』 CBS/ソニー(1983)

加藤和彦というアーティストを突き動かしてきたのは、おそらく、尽きることのない知的好奇心なのだろう。だからこそ、生涯を通して、一つのところに留まることはなかった。

加藤和彦の楽曲の多くはストリーミングでも配信されている。さまざまな作品がひとつのプラットフォームの中でフラットに並ぶ今は、懐かしさではなく現在の視点と文脈で〈過去に新しく出会える〉音楽環境が用意された時代でもある。

だからこそ、その〈異才〉に改めて触れてみてはいかがだろうか。

 


MOVIE INFORMATION
トノバン 音楽家 加藤和彦とその時代

CAST:きたやまおさむ/松山猛/朝妻一郎/新田和長/つのだ☆ひろ/小原礼/今井裕/高中正義/クリス・トーマス/泉谷しげる/坂崎幸之助/重実博/コシノジュンコ/三國清三/門上武司/高野寛/高田漣/坂本美雨/石川紅奈(soraya) ほか
ARCHIVE:高橋幸宏/吉田拓郎/松任谷正隆/坂本龍一 ほか(順不同)
企画・構成・監督・プロデュース:相原裕美
制作:COCOON
配給・宣伝:NAKACHIKA PICTURES
協賛:一般社団法人MAM
2024年|日本|カラー|ビスタ|Digital|5.1ch|118分
ⓒ2024「トノバン」製作委員会
オフィシャルサイト:https://tonoban-movie.jp/
X:@tonoban_movie
2024年5月31日(金)よりTOHOシネマズ シャンテほか全国公開