Photo by 三浦憲治

2023年1月11日、高橋幸宏さんがこの世を去りました。偉大な音楽家の逝去が伝わったのは15日未明。その後、SNSやメディアを介して、日本中から世界へと悲しみが広がっていきました。その事実をまだ受け入れられていない方も多いのではないかと思います。

今回は、ユキヒロさんを愛するタワーレコード各店のスタッフに協力してもらい、ユキヒロさんへの個人的な思いを綴ってもらいました。ドラマーとしてのユキヒロさん、ソロのシンガーソングライターとしてのユキヒロさん、ファッションアイコンとしてのユキヒロさん、〈大人の男〉を体現するユキヒロさん……。それぞれの、各時代のユキヒロさん像から、読者のみなさんの心の中に生きるユキヒロさんにも思いを馳せていただければと思います。

サディスティック・ミカ・バンドからYMO、METAFIVEまで、半世紀にわたって音楽史に残した足跡を振り返った追悼コラムも、ぜひあわせてご覧ください。 *Mikiki編集部


 

吉原裕也(札幌パルコ店)

わたしがユキヒロさんを初めて認識したのは、中学の部活を引退しファッションと音楽が気になり出したお年頃の93年。何やら3人が〈再生〉するとニュース・新聞が騒めきたち、テレビの音楽番組やファッション雑誌のちょっとした音楽レビューが情報源の小僧(まだYMOなどまったく知らない)にも何やら凄いことらしいと感じさせ、よく分からないまま手を伸ばした『TECHNODON』、わたしの音楽癖の基盤となった衝撃作。これまで耳にしてきた音楽のような歌も無く、どんな楽器なのか想像も出来ない音の数々が鳴り響き続け、全力で喰らいついてのラスト”Pocketful Of Rainbows”でのユキヒロさんの優しい歌声による安堵感。この曲が無かったらあまりの刺激に拒否反応が出ていたかも……。

YMOの93年作『TECHNODON』収録曲“POCKETFUL OF RAINBOWS(ポケットが虹でいっぱい)”

そこからYMO関連を聴き漁る音楽旅が始まり、YMO以前はもちろんSKETCH SHOWやpupa、METAFIVEといつもお洒落でカッコイイ大人として魅了され続けました。インタビューでの名言「細野さんは天才、教授は奇才。僕は凡人で2人の太鼓持ち。ま、ドラマーだし(笑)」も印象的でしたが、ユキヒロさんの類まれなる才能・センスそして人柄に魅せられ、多くの才能が集まり生み出された作品たちはきっと更に後世の世代も魅了するでしょう。ユキヒロさんがTwitterで最後に発信した言葉、そのままユキヒロさんにお返ししたい。本当にありがとう。 #allyouneedislove #愛こそすべて #ありがとう

 

中上雅夫(新宿店)

YMOが大ブレイクしたとき、僕は小学校の高学年であった。これは一般的な話だと思っているけど、YMOは小学生、中学生の間でもすごく流行っていた。小学生においてはライディーンがメインだけど、当時インベーダーのブームもあったりして、“コンピューター・ゲーム”もよく知られていた曲だったと思う。歌の無いインスト曲であるが、子供にも刺さる音楽であったということだ。僕は音源は持っていなかったが、その2曲は頭に刷り込まれているし、友達の家にはUS盤のファースト(79年)があったのを憶えている。

YMOの78年作『YELLOW MAGIC ORCHESTRA』収録曲“コンピューター・ゲーム “サーカスのテーマ””

中学に入るとスネークマンショーが友達の間でも大流行した。兄がだれかにテープコピーしてもらったものを持っていて、それを聴いていた。ここ(81年作『スネークマン・ショー』)に入ってるYMOの曲“磁性紀 -開け心-”が大好きで、狂ったように聴いていた。この曲はいまでもYMOでいちばん好きな曲。スネークマンショーはご存じのとおり、間にギャグが挟まれていて、全体もオモシロな雰囲気で、僕の年齢では後になってようやく意味が理解できるものもあったが、とにかく全体的に面白かった。

スネークマンショーの81年作『スネークマン・ショー』収録曲YMO“磁性紀 -開け心-”

その流れでYMOの『増殖』(80年)も好きになった。のちにUS盤を聴いたときは、日本盤の方が面白えよな、とか思ったりした。YMOのテクノ的な部分にはあんまり興味を示せず、シンセといえば、僕は特撮が好きだったので井上誠の『ゴジラ伝説』(83~84年)から入りヒカシューなども貸しレコ屋で借りて聴いたりしていたが、まあ、テクノというよりテクノポップですよね。

その後、“君に、胸キュン。”にて歌謡曲的な再ブレイクとなって、兄に貸しレコード屋で『浮気なぼくら』(83年)を借りてこいと言われたが、間違えてインストゥルメンタルのヴァージョンを借りてきて、これじゃないだろ、と言われたのを思い出す。怒られたりはしなかったが。

YMOの83年作『浮気なぼくら』収録曲“君に、胸キュン。”

幸宏さんのソロということでいうと『WILD & MOODY』(84年)がとくに印象深いというか、これも兄に言われて買いに行った幸宏さんのソロだった。これをしばらく兄と聴いていたが、当時の僕にはあんまりフィットしなかったようだ。ようするに『増殖』やスネークマンショーのようなオモシロ要素(“胸キュン”とか“過激な淑女”にはその感じはあった)が欲しかったのかもしれない。何年かあとには深夜番組で、竹中直人と組み、流しのドラマーというキャラでやってた幸宏さんがいて、ああ、こういう感じだよと思ったりもした。

それから僕はパンクロックやガレージパンク、インディーロックを中心に聴くようになり、あんまりYMOや幸宏さんのソロなどを聴くことはなく、THE BEATNIKSも僕にとってはオシャレすぎたと感じたりしながらずいぶん経ったあとに「クッキーシーン」という雑誌にてハー・スペース・ホリデイと幸宏さんの絡みなどを知ることになり、興味がわいた。レジェンド級のミュージシャンにもかかわらず、インディーもチェックしてて、アプローチしてるんだな、と。

それからpupaというバンドをやったりMEATAFIVEをやったりという、自分よりもはるか下の世代と一緒にバンドをやっている幸宏さんがすごいいいな、と思うようになった。バックバンドとかじゃなくて、緊張感を持って一緒に作ってる感じ。やってることが新しくないと嫌だったのかもしれないけど、こういう感じが幸宏さんらしさだったのかもしれない。これからは、かつて聴くのをすっ飛ばしてしまった音源を少しづつ聴いていきたいと思う。