ミニマリスト久石の40年を総括するライヒ“砂漠の音楽”1984年版日本初演

 ミニマル・ミュージックの巨匠にして、現代最高の作曲家のひとりであるスティーヴ・ライヒの代表作と言えば、おそらくほとんどの人が“ドラミング”と“18人の音楽家のための音楽”の2曲を挙げるだろう。しかしながら、真のライヒ・ファンやミニマル・ファンならば、その2曲に“砂漠の音楽”を加えるはずだ。1984年3月17日にケルンで世界初演されてから今年で40周年を迎えるが、日本では限定的かつ編成を縮小した形でしか演奏されたことがない、いわば幻の作品である。ライヒの人気は非常に高いのに、なぜこれまで演奏されてこなかったのか?

 大きな理由のひとつは、お世辞にも〈最小限〉で書かれたとは呼べない巨大な編成だ。簡単に言ってしまえば、ストラヴィンスキー“春の祭典”級の4管編成のオーケストラに合唱を加え、しかもバルトーク“弦楽器、打楽器、チェレスタのための音楽”のようにオーケストラの各セクションを通常とは異なる配置で舞台に載せるという、とんでもない試みをライヒは演奏者に要求している(この2曲は、ライヒが最も影響を受けたクラシックのオーケストラ曲でもある)。すでにこの曲を何度か振ったことのある、僕の知り合いの指揮者はかつてこう言っていた。「3日や4日のリハーサルではとても演奏できない」。つまり、オーケストラの定期演奏会のプログラムに載せることが不可能な作品なのだ。

 それほどまでに演奏困難な難曲ならば、音楽も難しいのか? いや、むしろ正反対である。この作品以前にライヒが書いた上記の2曲の作曲、そしてライヒ自身が「私の最高傑作」と呼んでいる“テヒリーム”の作曲で培った方法論がすべて投入された“砂漠の音楽”は、まさに美の極致としか呼びようのない音楽に仕上がっている。まず、ピアノとマリンバが奏でるライヒならではの小気味よいパルス音で始まる第1楽章は、これまたライヒらしいハーモニーの循環を美しく奏でていく。大雑把に言ってしまえば、“18人の音楽家のための音楽”冒頭のハーモニーの循環を、ヴォーカリーズの合唱とオーケストラで再現していると想像すればいい。しかも、演奏者は18人どころか、優に100人を超えるので、まるで水彩画のスケッチが礼拝堂のフレスコ画に生まれ変わったような圧倒的な印象を与える。“砂漠の音楽”という曲名にもかかわらず、砂漠の不毛とはいっさい無縁の音楽は、あたかも天上で鳴り響いているあの世の音楽のようでもある。だからこそ、その第1楽章でコーラスはこんな歌詞を歌い始める。意訳すると〈意識を失うような音楽はあの世に持っていくことはできないのだから、いま歌い始めるのだ、わが友よ〉。つまり、いまここで演奏し、聴かなければ意味がないのだ。

 では、その歌詞を書いたのは、いったい誰なのか? そもそも、なぜこの曲は“砂漠の音楽”と名付けられたのか?

 ライヒがこの作品に用いた歌詞は、ビートニクス詩人たちに多大な影響を与えた詩人/医師のウィリアム・カーロス・ウィリアムズ(WCW)の詩集「砂漠の音楽とその他の詩 The Desert Music And Other Poems」および「ブリューゲルの絵その他の詩」から採られている。ライヒは〈上から読んでも山本山〉のような奇妙なシンメトリーの名前を持つこの詩人に敬意を表し、“砂漠の音楽”の全5楽章がA-B-C-B-Aというアーチ構造になるように配置し、かつCにあたる真ん中の第3楽章をそれ自体でa-b-aのアーチ構造になるように作曲している。ある意味で〈名は体を表す〉を作曲の中で実践していたようなものだ。こんな〈最小限〉な発想から演奏時間約50分のオラトリオを作り上げてしまったのだから、やはりライヒは只者ではない。

 そこで最大の疑問が生まれてくる。この曲の名前、すなわち“砂漠の音楽”の〈砂漠〉とは、いったい何なのか?

 ライヒがこの曲に込めた〈砂漠〉の意味はいくつかあるが、その中で最も重要なのはニューメキシコの砂漠、すなわち映画「オッペンハイマー」にも登場したロス・アラモスの核実験場を含むニューメキシコの砂漠である。第3楽章の中で2回歌われる(つまり上記のaのセクションで歌われる)WCWの詩の意訳を以下に挙げる。

 「彼らに告げるのだ。人類がこれまで生き永らえてきたのは、自分の願望を実現する方法を知らなかったからだ。その方法を知った以上、人類は願望を変えるか、消え去るしかない」