H ZETTRIOのオールスタンディングライブが、約4年ぶりに復活した。スタンディングこそ彼らの真骨頂である〈大人も子供も“笑って踊れる”〉音楽を身をもって感じられるライブだろう。H ZETTRIOと観客が一体となって大騒ぎした2024年6月30日の東京・渋谷クラブクアトロでの公演をレポートする。 *Mikiki編集部
異様な熱気を放つ超満員の会場
生粋のエンターテイナーにして、サービス精神の塊――。H ZETTRIOのライブを見てまっさきに脳裏をよぎったのは、そんな形容だった。〈H ZETTRIO LIVE 2024 ~スタンディングで飛ばしたっしょ!~〉と題された6月30日、渋谷クラブクアトロでのライブは、立錐の余地もない超満員。会場はまるで入場制限のかかったロックフェスのステージのような、異様なまでの熱気を放っていた。〈ここ、ほんとにクアトロ!?〉と思ってしまったほどだ。モントルー・ジャズ・フェスティバルに出演歴のある彼らだが、実はロックフェスでも闘えるピアノトリオなのである。コーチェラやボナルーといった海外フェスでも、十分通用するのではないだろうか。
コミカルな動きと繊細なプレイ、多彩な奏法で高揚させるH ZETT M
観客の湧き立つ熱気にバンド側も全身全霊で応える。特にアグレッシブだったのが、ピアノのH ZETT M。鍵盤を肘で叩く。雄叫びを上げる。コミカルな動きでステージ上を歩き回る。椅子の上に立ってショルダーキーを弾きまくる。ド派手なアクションとステージングは痛快で爽快きわまりない。むろん、ピアノの腕前が一級品なのは言わずもがな。だが、アクロバティックなソロを弾くよりも、キャッチーでフックのあるフレーズを繰り返し、会場に更なる高揚感をもたらしていた。
ピアノソロが単調というわけでは決してない。音源でのH ZETT Mのプレイは、セロニアス・モンク~アンドリュー・ヒル~ジャキ・バイアードといった、屈折したフレーズで脱臼させる系譜のピアニストに位置付けられる感触だった。だが、ライブでは違う。ストライド奏法も垣間見せる、ブギウギやラグタイムの要素を織り交ぜたプレイは、米国の俊英ジェイソン・モランを連想させたりもした。モランは、オードルドタイミーなジャズピアノの語法を自家薬籠中のものとしながら、過去の音楽遺産を発掘することで、新たなピアノの可能性を模索する猛者。そして、H ZETT Mもまた、ジャズに限らないピアノの奏法を知り尽くし、かつ、進取の精神に富む野心的な試みに挑戦している。
それは、ライブでのおどけたようなアクションとは対照的に、実に繊細な手さばきでピアノと相対するスタンスを観ればよく分かるだろう。つまり、ジャズのうるさがたをも唸らせ、黙らせるだけの実力の持ち主でもある、ということである。玄人のジャズ喫茶のオヤジだって、彼のプレイには惚れ込んでしまうだろう。
シンプルなビートで踊らせるH ZETT KOU、派手なフレーズで魅了するH ZETT NIRE
ドラムのH ZETT KOUはボンゴなどパーカッション類を織り込んだセッティングで、序盤から四つ打ちのキックを強調。観客が心地よく踊れる均等なビートを供給した。音源ではもう少し複雑なリズムフィギュアを叩いていた印象だが、ライブではシンプルなビートに徹する。観客の身体を揺り動かし、踊らせることを優先したのだろう。アタックの強いリムショットを多用するなど、小技も効いていた。また、片手を左右に振って観客を煽るなど、会場の一体感を増す試みもあり。つくづく、楽しませることに労を惜しまない人たちだな、と実感した。
ウッドベースのH ZETT NIREはとにかく派手なフレージングが印象的。重厚長大な響きは地鳴りのようであり、ランニングを多用することで演奏に動的なフィーリングをもたらしていた。スライドやグリッサンドを効果的に織り交ぜた、滑らかでよどみないフレージングもお見事という他ない。これも音源と異なるアプローチといえばそうで、音源ではもう少し〈縁の下の力持ち〉という感触があったが、ライブとなるとタガが外れたかのように、饒舌かつ雄弁なベースラインで観客を魅了する。もちろん、確かな実力と才能に裏打ちされた確度と精度の高いプレイであり、これまたジャズ通が聴いても唸らされること必至であった。