PE'Zや東京事変(第一期)でキーボーディストとして活躍し、J-Popの様々なアーティストたちともコラボを重ね、現在はドラムスとウッド・ベースを迎えた編成のH ZETTRIOでも活動中と、いくつもの顔を持つプレイヤー、H ZETT M。とりわけ〈身体ひとつでグランド・ピアノの可能性を最大限に引き出す〉というコンセプトの元、2012年に全26曲を収録した3作目のアルバム『未来の音楽』を発表してからは、同様のコンセプトで『魔法使いのおんがく』(2013年)、『共鳴する音楽』(2017年)と、奇想天外なアイデアで遊び心に溢れたピアノ・ソロ作のリリースを続け、ピアノ1台だけでの〈独演会〉スタイルのライブでも音楽ファンを魅了してきた。そんな青鼻のピアニストが、4年振りに同シリーズの最新アルバム『記憶の至福の中に漂う音楽』を2021年9月15日(水)にリリース。再びシーンを席巻しそうな予感の本作について、H ZETT Mに話を訊く。

H ZETT M 『記憶の至福の中に漂う音楽』 apart.RECORDS(2021)


八ヶ岳高原音楽堂を借り切ってレコーディングされた〈ライブに近い音〉

――本作『記憶の至福の中に漂う音楽』のレコーディングは今年の5月、山梨県との県境に近い長野県の、標高1500mのリゾートに建つ〈八ヶ岳高原音楽堂〉を約2週間借り切って行われたそうで。先の見えないコロナ禍でコンサートの開催もままならない今、生のホールで聴くような音をファンの皆さんに届けられますね。

「はい。これまでは、都内のスタジオのブースに籠もってレコーディングしていたのですが、今回は暖かい木のぬくもりが感じられる音楽ホールで弾いたので、ライブに近い音が録れたと思います。偶発的に雨風の音まで入ったりして、空気感も全然違った。何テイクも重ねた楽曲から一発OKのものまでいろいろとありますが、人里離れた静かな場所で作業にも凄く集中できました。朝ちょっと走ってからひたすらレコーディングして、夜は飯食って寝る……といった毎日で、ずっと音楽のことだけ考えていました。合宿みたいで楽しかったです」

――今回もピアノ・ソロ・アルバムと言いつつ、実は様々な(ピアノ以外の)音で溢れていますね。しかもヴォリュームたっぷりの2枚組。

「2枚組はこのシリーズのお約束で、シリーズ1作目の『未来の音楽』からそうです。作曲は日頃からずっと続けていて、このアルバムのために書き下ろしたものもあるけれど、過去に作って溜めていたものも多いです。手元に楽曲をいつ書いたのか記したメモがあるのですが、例えばディスク1の1曲目である“Opening”は2018年って書いてありますね」

――『記憶の至福の中に漂う音楽』というアルバム・タイトルも気になりますが……全体の流れや構成はどういったコンセプトでまとめたのですか?

「曲順は全てをレコーディングし終わった後で考えました。曲名とかもこんな感じかな、ってあまり凝ったことは考えずにまとめました(笑)」

――それでは1曲1曲のお話を伺えればと思いますが……“Opening”(ディスク1、1曲目)から心を掴まれました。最初は〈今作はこんな感じなのかな?〉と思って聴いていたら、途中から弦のアンサンブルが展開を始めて、今回このシリーズ初のゲストとして参加された京都在住の電子音楽家dagshenma(ダグシェンマ)さんのグリッチ・ノイズ、グリッチ・ビートが入ってきて、また雰囲気ががらりと変わって一気に突き進む。最後にジーンとした余韻が残るのも素敵です。

「この曲は、2018年に書いた当時はピアノだけの曲でした。その後、独演会でのスタイルの一つとして、パソコンで打ち込みの音を流しながら演奏する事に楽しみを感じてきていたので、ここでもレコーディングが終わってから別の音を合体させてみたくなったんです」

――dagshenmaさんとはどういうきっかけで知り合ったのですか?

「数年前、彼がアルバム(『helko』2012年)を出したのを僕が渋谷のタワーレコードで試聴して、すごく良かったのでそのことをツイートしたら本人が反応してくれて、それから交流が始まりました」

dagshenma『helko』のアルバム・サンプラー
 

――“12”(ディスク2、6曲目)にもdagshenmaさんが参加されていますけど、こちらも全然、雰囲気が違いますね。“12”は何かのメッセージ性が込められた曲のように感じました。

「自分には曲を作る上でのスタイルがあって、大体は感覚的に音を重ねていってフレーズを作っていく方法ですが、今回は初めから〈こういう形式で作ろう〉って決めて取り掛かる方法も試しました。“12”は後者の方で、いわゆるシェーンベルク的なイメージで書いた曲ですね」

――なるほど。歌詞のないインストゥルメンタルの楽曲って、どうしても曲名が持つイメージに引っ張られてしまうところがあるんですが、今回のアルバムは曲名がいい意味で〈ラベル〉になっていますね。例えば“曖昧なもの”(ディスク1、2曲目)なんて“曖昧なものと”しか言いようがない音楽で……」

「そうですね(笑)」

――続く“同期する”(ディスク1、3曲目)は、祭り囃子を思わせる打楽器的な2つの旋律の流れが面白いです。

「これも形式から作ったといえる楽曲で、ミニマル・ミュージックの代表格であるスティーヴ・ライヒ的な場所に接近を試みました。2つの異なる旋律を同時に走らせて、それが偶然ぴったり合う瞬間の尊さというか。全く別のものがどこかで一緒になり、また離れていくような感じですね」

 

ジャンルも作風も影響元も多種多様

――“跳躍”(ディスク1、4曲目)は鈍いベルのような音、クリクリっとしたノイズが印象的だと思っていたら、後半で文字通り〈跳躍〉するイメージです。

「これまでH ZETT MでもH ZETTRIOでもサントラを手掛けているのですが、映像や絵に曲を付ける作り方もモチヴェーションがかなり上がってとても楽しいんですね。それで今回も何曲かサントラ的な作り方をしたものの一つが、この“跳躍”です。実はヴィレッジヴァンガードで見付けた『銃座のウルナ』という漫画(作・伊図透。少数民族ヅードと戦う女性スナイパー、ウルナ・トロップ・ヨンクの心の軌跡を描いたSFドラマ作品)にインスパイアされて書いた曲なんです」

――そのウルナが〈跳躍〉する場面があるんですか?

「第1話で狙撃手である主人公ウルナが、翼を拡げて跳んでくる鳥のような敵(というかなんというか)を打ち落とすシーンがあって、そこらへんのシーンのイメージです」

――そうだったんですね。“Complex”(ディスク1、5曲目)も電子音ノイズとピアノとのリズムの調和が美しいです。

「これも以前の独演会でピアノにノイズを合わせているうちに相性の良さを感じていた……んですが、あまりピアノの音は登場しないかもしれないです(笑)。打ち込みで抽象的な物体を作り上げる感覚で書きました」

――“記憶”(ディスク1、6曲目)は、冒頭に雨風のような自然の音がノイズのように入っていますね。音階が下から上がっていくような感じで盛り上がるのも良いです。

「この曲は八ヶ岳高原音楽堂で書いた曲なので、ピアノの響きの中にあの場所の空気が含まれているみたいな気がしています」

――その流れでクラシカルな“雨空”(ディスク1、7曲目)に繋がっていくところが絶妙です。まるで18~19世紀ロマン派の作曲したピアノ曲みたいで。

「“雨空”は前回のアルバム(『共鳴する音楽』)を作っていた頃、既に出来上がっていまして、それより前、結構昔から自分の中に存在していた旋律なんです。この曲とはちょっと離れますがクラシックだと、20世紀に活躍したロシアのストラヴィンスキーあたりをよく聴きます。“火の鳥”とか“春の祭典”に代表される前衛的なバレエ曲で有名な作曲家ですけど、どちらかと言うと僕は彼が古典の様式美を追究していた〈新古典主義〉時代の作品が大好きですね」

新古典主義音楽の代表とも言われるストラヴィンスキーのバレエ音楽“プルチネッラ”(フランソワ・ルルー指揮、hr交響楽団)
 

――“羨望”(ディスク1、8曲目)はミニマル・ミュージック調ですが、オルガンっぽい響きも加わってだんだんと変化していくのがカッコいいです。

「これも比較的新しい曲です。ミニマル・ミュージックにも興味があるので、フレーズの繰り返しでグッとくるようなものを狙いました」

――“夕刻”(ディスク1、9曲目)はジャズっぽくもあるし、ドビュッシーっぽくもある。まさにH ZETT Mさんらしい現代音楽という感じがします。

「そんなに熱心にドビュッシーを聴き込んできたわけではないけれど、やっぱりクラシックを学んだ者としては尊敬できる作曲家ですね。ここではジャズの世界を経由しつつ、意識として彼の音使いや旋律の流れを俯瞰しているような気持ちはあったかもしれないですね」

――クラシックでもジャズでも、特にピアノ音楽が好きな人たちをニヤリとさせそうです。そういう曲もいいし、一方で“冬支度”(ディスク1、10曲目)みたいに童謡のように素朴な曲も心に沁みますね。

「これも独演会用に書いた曲で。民族的なフレーズに昔から惹かれるんです。その場でパッと浮かんできた曲ですね」

――かと思えば“New Thing”(ディスク1、11曲目)はジャズだし、“Fantasia”(ディスク1、12曲目)とかは少し変わった世界観もあり。でもディスク1ラストを飾る“水平線”(ディスク1、13曲目)は抒情的でまるで歌モノ、J-Popの名曲のような雰囲気を出しています。そういう意味ではディスク2最後の曲である“夢”(ディスク2、13曲目)も名曲のような路線です。それにしてもクラシック、ジャズ、フォーク、ポップス、様々な音楽のエッセンスがアルバム中に混在しているように感じます。

「どうしてもそうなっちゃいますね。“夢”は独演会向けにひとりでリハーサルをしていた時の休憩時にできた曲です。思いがけず生まれたこの曲に、意外なくらい癒されましたね」