他国の文化を取り入れる危うさとリスナーに求められる知識
もちろん、ここまで述べてきたアーティスト全員がアニメ好きであると言いたいわけではない。日本の伝統工芸の一つである金継ぎを自らが抱える傷と重ねたラナ・デル・レイ“Kintsugi”や、響きや意味に魅了される言葉を選びながら、自身が愛読する村上春樹からの影響を重ねたカミラ・カベロ“Chanel No.5”、自身がマルチリンガル(タイ語、英語、韓国語、中国語、日本語)であることをアピールする上で日本語をチョイスしたであろうLISA“ROCKSTAR”などは、おそらくこうしたルーツ的な流れとは関係ないだろう。
だが、ここまで書いてきたようなシーン全体のムード(あるいはクリエイティブにおける美意識)の変化が、そうしたアイデアを実際にアウトプットする上での後押しになったのではないかと考えることはできる。〈何がクールなのか〉は時代によって変動するが、少なくとも今は〈日本的なものがクールである〉と認識されているように感じる。だからこそ、海外アーティストの表現において、日本語や日本文化からの影響を見る機会が増えていったのではないだろうか。
とはいえ、こうした他国の文化を自身の表現に取り入れることは、文化の盗用(Cultural Appropriation)やステレオタイプの助長といった批判の対象となる場合もある。冒頭で書いたように、海外のアーティストが日本語をリリックに用いたり、MVなどに日本文化を取り入れる例は数え切れないほど存在するが、その中には、そうした批判の対象となってきたものも少なくない。ここでは明確な線引きはしないが、今回紹介した楽曲やMVの一部についても、同様の批判が寄せられているものはあるだろう。
だが、アーティスト側もそうした批判が生じる可能性については、以前よりもずっと自覚的になっているように感じる。日本人のキャストを起用し、日本で撮影を行い、MV内の会話シーンまで日本語で収録された“Mamushi”のMVの完成度の高さはやはり象徴的だ。
こうした海外アーティストによる一連の日本語/日本文化を用いたアクションについて、受け手である私たちもいろいろなコンテンツに触れ、正しく知識を深めていく必要がある。そうした豊かな循環を繰り返していくことで、今後、さらにお互いへのリスペクトが込められた、進化した表現が生まれていくのではないだろうか。
