真っ当な姿
もちろん、注目ポイントはその一点にのみあるのではない。アルバム前半はトランプ支持者への皮肉も含む“Lucifer”やエプスタイン~ショーン・コムズの性犯罪にも言及した“Antichrist”などを展開し、あえて争論を呼び寄せるかのように振る舞う。サウンド的にはJIDをフィーチャーした“Fuel”も聴きどころで(日本盤にはブギーとグリップをフィーチャーした同曲の〈Shady Edition〉もボーナス収録)、ゲストを迎えた曲ではシェイディ入りしたフィリピン系ラッパーのイージー・ミルを抜擢した“Head Honcho”や、デトロイト出身のビッグ・ショーンとベイビートロンを迎えた“Tobey”、さらにエリックB&ラキムの古典を引用しつつ2チェインズと絡んだ“Kyrie & Luka”なども注目の一曲と言える。
そして、さらに大きなポイントとなるのは、馴染みのスカイラー・グレイが共演/プロデュースした“Temporary”だろう。これはエミネムが愛娘のヘイリー・ジェイドに捧げた曲で、幼い彼女と会話する録音もコラージュしながら父親としての深い愛情を語っていく作中のハイライトだ。さらにはカントリー歌手に転身して成功したジェリー・ロールの“Save Me”をネタに本人とも共演した本編ラストの“Somebody Save Me”も、父親としての後悔を語る構成も相まって実娘に向けた曲のように響いてくる。これらは別人格の視点を弄する露悪的な曲とは真逆の感動を呼ぶものであり、ヘイリーの結婚/妊娠を描いた前者のMVも含めてマーシャル・マザーズの等身大な人間味がエモーショナルに発揮された楽曲だと言えそうだ。こうした真っ当な父(であり祖父!)であろうとする成熟した姿をアルバム終盤に持ってきたことから考えれば、本当にエミネムは悪の象徴たるスリム・シェイディにすべての罪を被せて(?)葬り去り、生身の本人は時代に合わせて生まれ変わることで、過去の姿とはまた違う表現者になっていこうとしているのかもしれない。
ただ、実際にそんな目論見があるのか、本当にスリム・シェイディが殺されたのかどうかは、エミネムが次の一手に出るまではわからないところがある。すぐさま安直に復活することはないとしても、ここからどんな展開が待ち受けているのか、まだまだ彼(誰?)から目を離すことはできなさそうだ。
エミネムの近作を一部紹介。
左から、99年作の拡張盤『The Slim Shady LP (Expanded Edition)』、2017年作『Revival』、2018年作『Kamikaze』、2020年作『Music To Be Murdered By』、2022年のベスト盤『Curtain Call 2』(すべてShady/Aftermath/Interscope)
左から、JIDの2022年作『The Forever Story』(Dreamville/Interscope)、ジェリー・ロールのニュー・アルバム『Beautifully Broken』(Republic)、2チェインズの2022年作『Dope Don’t Sell Itself』(Def Jam)