
地方の良いバンドをなんで東京に呼ばないの?
──NEWFOLKの4周年(2023年)、5周年(2024年)のイベントって、自分のレーベルでリリースしているバンド以外にもあちこちから要注目の人たちをちょこちょこ出してるじゃないですか。あとで考えれば、リリースの予告になっている場合もあるし。未知の音楽に出会えるから、NEWFOLKの周年イベントは毎年やってほしいくらいです。
「そう言っていただけるのはありがたいんですけど、本当はそんなにイベントをいっぱいやりたいわけではないんです(笑)。でも、さっき話したこととも通じるんですけど、東京って音楽シーンの規模が大きくて、リスナーもたくさんいて、ライブハウスもいっぱいあるのに、どうして地方で活動している素晴らしいアーティストやバンドを積極的に東京に呼ばないんだろうという疑問がシンプルにあったんです。〈だったら俺がまとめて呼ぶか〉と。単純にライブを見たいし(笑)。
下北沢で2回やった5周年イベントに関しては半分以上、東京以外のバンドだったので※、交通費含めギャラとかを払ったら満員になっても雀の涙ほどの利益しか出なかったんですが(笑)。でも、そんなのはっきり言ってどうでもいいんです。めちゃくちゃかっこよくて、面白くて、良い曲を作ってる人たちが、この大都会で滅多にライブが見られないことに違和感がずっとあったので。集客がないだろうとか、予算がないとか色々事情はあるんでしょうけど、いわゆるブッキングやっている人やイベンターの方々へ〈こんなに良いアーティストがいるのに、どうして彼らを東京に呼ばないの?〉という問いかけをしたかった。NEWFOLKを5年間やってきて、そこがシンプルな疑問としてあったので、あえて振り切ったことを提示してみようという気持ちはありました。
あとは、ああいうイベントによって各地の人たちが交流を持てたりするじゃないですか。〈今度、札幌来て〉とか〈福岡行ったら一緒にやろう〉とか、そういう循環はいいことだし、音楽活動に絶対に張り合いが出る。なので、そういう場になったらいいかなという感じですかね。まあ、6周年はしっぽりやろうかな(笑)」

──でも、今言ったことがNEWFOLKのスピリットそのものですよね。新しい人たちと出会うことを掲げてるわけだから。
「そうですね。それは僕が〈うたのゆくえ〉※ってイベントをやってたときから変わってないかもしれないですね」
誰にも知られたくない自分だけの特別な作品
──それにしても、リリースしているアーティストやバンドがどんどん増えてますよね。
「それぞれの良さがありますからね。拙い素晴らしさも完成された素晴らしさもあるし、ある種、乱調の美みたいなものもある。ひとくくりにはできないんです。〈このバンドとこのバンド、全然タイプが違うじゃん〉って思われるかもしれないですけど、自分の中では整合性は取れてるし、ジャッジするポイントはブレてない。そういう感じでやってます。」
──難しい質問かもしれませんが、NEWFOLKの歴代カタログの中で須藤さん的にキーポイントといえる作品は?
「自分で出している作品は全部大事なんですけど、やっぱり台風クラブの『初期の台風クラブ』(2017年)。あれは自分がこういう仕事をしていくうえで大きな転機になりました。すごく思い入れもあるし、あの作品を作ってくれた台風クラブのみんなに対しては特別な気持ちがあります。本当に家族みたいな存在で、ずっと苦楽をともにしてきた存在だなと思ってます」
──以前に須藤さんと台風クラブの話をしたとき、「このアルバムのレコードは絶対に廃盤にしません。品切れしても再プレスし続ける」と言ったんですよ。覚えてます?
「まだ作り続けてますからね」
──ニック・ドレイクをプロデュースしたジョー・ボイドがイギリスのアイランド・レコードを離れる際に、ニック・ドレイクが残した3枚のオリジナルアルバムは絶対に廃盤にしないようにと伝えたという逸話を思い出します。
「ある種、それと同じ愛し方だと思います。台風クラブを出したのはNEWFOLKという名前をつける前ですけど、自分が音楽業界の人間として独り立ちした人生の起点になった作品だから、思い入れが半端ない。誰がなんと言おうと、この世でいちばん俺が愛してると思います。
あと、自分にとっての常備薬みたいな存在としてずっとそばに置いておきたいなと思う作品は、わがつま『第1集』(2021年)です。自分の人生における大切な作品として、ジュディ・シル『Judee Sill』(1971年)、ヘロン『Heron』(1970年)、ニック・ドレイク『Bryter Layter』(1971年)があるんですけど、そこに並べたいくらい大事なアルバムなんです。世に出しておいてこんなことを言うと相反する感じですけど、誰にも知られたくない自分だけの特別な作品としてずっと愛していたいかな」

