タワーレコード新宿店~渋谷店の洋楽ロック/ポップス担当として、長年にわたり数々の企画やバイイングを行ってきた北爪啓之さんによる連載〈聴いたことのない旧譜は新譜〉。そのタイトル通り、本連載では旧譜と称されてしまった作品を現在の耳で新譜として紹介していきます。
今回は〈プロトパンク〉をテーマに、1960年代末~1970年代始めにかけてのパンクの始祖的なバンドの特色や隆盛を北爪さん視点で総括。そして埋もれかけてしまっているプロトパンクの隠れた名盤たちも紹介してもらいました。 *Mikiki編集部
パンク創成期を振り返って
パンクロックのルーツを遡っていくといくつかの源流に辿りつく。1960年代前~中期のイギリスを席巻したザ・フーやプリティ・シングスといったブリティッシュビート。そんな英国のバンドや黒人音楽の影響を受けてアメリカのローカルシーンから次々と生まれたガレージバンドたち。同じ頃、大都会NYの闇を抉ってガレージとは一線を画したヴェルヴェット・アンダーグラウンド。そして1960年代後半のデトロイトから登場したMC5とストゥージズ。さらに70年代前半のハードロックやグラムロック、パブロックの中にもパンクの胎動を感じさせるバンドは散見される。
上記のいずれについても詳しく触れたいのはやまやまだが、大人の都合でそういうわけにもいかない。本稿では、去る1月22日にワーナーミュージックの〈FOREVER YOUNG〉シリーズにて久々の国内盤CDがリイシューされたMC5とストゥージズを軸に、彼らと同時代の1960年代末から1973年辺りにかけて活躍したプロトパンクバンドたちを紹介してみようと思う。
MC5とストゥージズに関しては、プロフィールや代表曲などは以前アップされた以下の記事を参照して頂くとして、ここでは彼らの音楽性についてもう少しだけ掘り下げてみたい。
異なる目的を持ちながら共闘していたMC5とストゥージズ
それ以前のガレージバンドたちとデトロイトの2組はたしかに地続きではあるけれど、前者がアマチュアリズムの初期衝動だったのに対して、後者はラウドなロックを演奏することにより自覚的だったように思える。MC5はラジカルな左翼思想に基づく政治的姿勢をバンド活動に反映していたので、アジテーション代わりのそのサウンドが大音量化するのは必然でもあった。
一方のストゥージズは、自身と社会やそのシステムとの軋轢や断絶といった内的フラストレーションを、自らガラス片の上を転げ回るなどの過激な表現で放出していたのだから、サウンドが暴力的になるのはこれまた当然なのである。目的は違いながらも、ともにヘヴィでハイエナジーな爆音ロックを身上とするバンドが、奇しくも同時代のデトロイトから登場して兄弟バンドのように共闘していたことはじつに興味深い。
とはいえ彼らの楽曲は直情的なロックンロールばかりではなく、のちのパンクには希薄な黒人音楽の要素が垣間見れるのも面白いところ。MC5は第6のメンバーといわれたマネージャーで反レイシズム活動家でもあったジョン・シンクレアの嗜好や人脈的繋がりもあり、当時の前衛的なフリージャズからの影響を強く受けていた。とくにサン・ラーとは何度か共演しているばかりか、『Kick Out The Jams』(1969年)に収録された“Starship”はサン・ラーの詩に曲を付けたアブストラクトなコズミックチューンである。
フリージャズへの接近でさらに上を行くのがストゥージズ『Fun House』(1970年)の終曲“L.A. Blues”だろう。私的には10代でこの超カオティックなノイズ地獄変に触れていたおかげで、ジョン・コルトレーンの『Ascension』や非常階段を聴いてもひるまずに済んだように思う。
また、『The Stooges』(1969年)には呪詛のような詠唱が延々ととぐろを巻く“We Will Fall”という漆黒チューンがあるが、プロデューサーのジョン・ケイルがヴィオラで参加していることもあり、ヴェルヴェット・アンダーグラウンド的な曲と言われることが多い。でも僕はここにジョージ・クリントン率いる初期ファンカデリックとの親和性めいたもの、たとえば“Mommy, What’s A Funkadelic?”などのスロウファンクに通じる粘着質のグルーヴを感じるのだ。彼らもまたデトロイトが拠点でストゥージズとも同じステージに立っていたという史実を踏まえると、あながち的ハズレな推測でもないんじゃないだろうか。
ともあれこうした先鋭的な黒人音楽へのアプローチは、もはやパンクを飛び越えてトーキング・ヘッズやポップ・グループなどのポストパンクにすら近いような気もする。