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ジャズを知るにはアメリカに行った方が早いや

――1988年には日野皓正さんや日野元彦さんと共に美空ひばりさんの伴奏もなさっていますね(〈佐久音楽祭〉)。ひばりさんにとってただ一度の野外コンサートであったとのことです。

「大学卒業後、あまりツテのないまま上京しましたが、日野容子さんが経営する六本木のジャズクラブ、アルフィーで飛び入りをさせてもらううちに、ご主人の日野元彦さんのバンドに参加するようになって、お兄さんの日野皓正さんとも演奏するようになりました。

その関係で〈佐久音楽祭〉の舞台にも出ることができて、ひばりさんが“ラヴァー・カムバック・トゥ・ミー”と“テネシー・ワルツ”で飛び入りしました。既に立っていられないほど体調を崩されていたようですが、演奏が始まると走り回るぐらい元気に歌っていらっしゃいました」

――そして1991年から13年間、ニューヨークで活動なさいます。日本のジャズ界での地位を一度捨てて、留学ではなくプロのベーシストとしてニューヨークに飛んだのは大変思い切ったことだったのではないでしょうか。

「当時の日本ではウッドベースを弾く若手が珍しかったこともあって、いろんなチャンスをもらいましたが、どうしていいのかわからない場面も多かったんです。今のようにネットもないし、情報が少ないから他人に教えてもらうしかないんですが、その意見もバラバラなので、〈ジャズを知るにはアメリカに行った方が早いや〉と思って。30歳を過ぎてから行くより今行っておいた方がいいだろうとニューヨークに飛び込んだんです。

現地ではブラッド・メルドーやジェフ・バラードが普通にセッションに来ていたし、どこに行ってもロイ・ハーグローヴがいた。そんなニューヨークのミュージシャンたちの仲間に入れてもらううちに、〈ジャズとは?〉みたいなことを考えていてもしょうがない、演奏していくうちに自然と見えてくるものなんだ、と体感できました」

 

初めての観客の前ではがむしゃらにやるしかない

――ここ数年は武本和大さん、濱田省吾さんとのトリオでも定期的に活動なさっていますが、井上さんがかつてニューヨークで得た経験や知識を2人に伝えることもあるのでしょうか?

「このトリオは2018年から始めて、2019年に初めてのアルバムが出ています(『ニュー・ストーリーズ』)。

2人には、僕が先輩たちにしてもらったような感じで、チャンスをあげて、うまくいってもいかなくてもいいから、自分が全力でやらないとわからないことがいっぱいある、ということも知ってもらうようにしています。友達ではない初めてのオーディエンスの前ではがむしゃらにやるしかないでしょう? こぢんまりと演奏していてはダメだし、特に西の方の観客は〈もっとガツンと来いよ〉みたいな反応をしてくる。〈得意なもので勝負して、だんだん領域を広げていってほしい、責任は全部僕が取るから〉という感じでしょうか。

信じられないような感性や技術を持った新しい世代が次から次へと出てくるし、40歳くらいまでが勝負だろうと思うけど、自分の表現をしっかり持っていれば、そんなに焦ることはない。僕もそうでしたからね。

コロナ禍で中断した時期もありますが、このトリオは基本的に毎年全国ツアーをやってきました。おじさんと面白い若者たちが、トラディショナルなジャズに根ざしながらも、知らないところに連れていってくれる面白い音楽をやっている、というイメージを持ってもらっているようで、これまで続けてくることができました。

ある程度やれることはやったと感じはじめたタイミングで、平野さんから〈リーダーアルバムを作らないか〉と声をかけていただいたんです。〈トリオではなく、ソロをやってみたいです〉とお答えしました」