自分の言葉で
ペンをマイクに持ち替えて。ニーヨがデフ・ジャムからソロ・デビューしたとき、そんなキャッチコピーが躍っていた。つまり、ソングライターからシンガーへの転身。ただし、10代後半にはエンヴィというグループで活動。同じ79年生まれのブランディやアリーヤが華々しく活躍していた頃だ。アポロ・シアターのアマチュア・ナイトではブーイングを浴び、エンヴィは2000年に解散してしまうが、その頃に彼はソングライターとしてボーイ・バンドのヤングスタウンに楽曲を提供。これがきっかけとなり、曲の共作者だったビッグD・エヴァンスの提案で、映画「マトリックス」の主人公・ネオ(Neo)にちなんだNe-Yoの名でソロ・シンガーとして再出発する。ちなみに本名はシェイファー・スミス。ソングライターとしての〈ペンネーム〉は、現在に至るまでその本名がクレジットされている。
ビッグDが故2パック関連の仕事をしていた関係もあってか、当初はドクター・ドレーとの契約話もあったようだが、ご破算に。最初に契約したのはコロムビアだった。同社ではソロ・アルバムを作って準備万端。ところがアルバムはリリースされず。だが、そこで歌っていた“That Girl”をイマチュア改めIMxのリード・シンガーだったマーカス・ヒューストンがソロ・デビュー曲として取り上げ、これがまずまずのヒットとなったことでニーヨはソングライターとして注目を集める。こうして裏方として実績を積んでいくなかで誕生したのが、マリオに提供した“Let Me Love You”(2004年)だった。浮気グセのある彼氏より自分のほうが誠実だとアピールして意中の女性にアタックするこの求愛ソングが大ヒットし、以降ニーヨは〈ヒット請負人〉として名を馳せていく。
そしてペンをマイクに持ち替える。2005年、ニーヨは、ジェイ・Zが新社長となったばかりのデフ・ジャムにシンガーとして迎え入れられたのだ。まずは“Stay”で様子を見て本命の“So Sick”で当てるという目論見は見事的中。その後も“Sexy Love”などのヒットが続いた。それらを収録したのが、2006年発表のファースト・アルバム『In My Own Words』。〈自分の言葉で〉と銘打った表題はシンガー・ソングライターとしての矜持でもあったのだろう。プライヴェートを反映した恋愛模様を巧みに描写する作詞家であり、キャッチーなメロディーも作る彼の曲は、R&Bにとどまらずポップスとして広く愛されるような普遍性がある。その意味ではベイビーフェイスにも近く、メアリーJ・ブライジ、ビヨンセ、アッシャー、セリーヌ・ディオンといったスターに曲を提供してきた点もフェイスを思わせる。