複雑な感情をストレートなR&Bに昇華してきた繊細な表現者が、メジャー・デビュー10年を数えて最高傑作を完成! 伝統と現代性を内包した『Kehlani』は何を歌う?

ルーツとキャリアの集大成

 2020年に発表したアルバムのタイトルで〈ダメになるまではよかったんだけどね(It was good until it wasn’t)〉と謳っていたケラーニは、恋愛をテーマに、嘆きや怒りをエモーショナルに歌い上げながらみずからを労わってきた。が、このたび発表した新作『Kehlani』では、トラウマを主題にしていた過去と訣別し、喜びを歌う作品として、シンプルに音楽の楽しさへ重心を置いている。

 ファースト・アルバム『SweetSexySavage』から今年で10年。遡れば、地元カリフォルニア州オークランドで、故ドウェイン・ウィギンス(トニー・トニー・トニー)の息子ディラン・ウィギンスたちとポップライフというバンドを組み、2011年には人気オーディション番組「America’s Got Talent」でお茶の間を沸かせていた。その後ソロとなり、2014年には初のミックステープ『Cloud 19』を発表。当時19歳だったケラーニも、いまや30代となり、一児の母親でもある。去る4月24日、31歳の誕生日に発表した『Kehlani』は、そんな自身の音楽ルーツとキャリアの集大成と言えるアルバムだ。

KEHLANI 『Kehlani』 Atlantic/ワーナー(2026)

 昨年、先行シングルの“Folded”が自身最大のヒット(全米6位)となり、今年のグラミー賞で〈最優秀R&Bソング〉と〈最優秀R&Bパフォーマンス〉の2部門に輝いたこともアルバムへの追い風となった。ドラマティックなストリングスで始まる同曲では、関係を終わらせようとしている恋人に〈服を取りに来て……ちゃんと「畳んだ」から〉と告げながら、〈でも、心はあなたに「抗えない」〉と、〈Folded〉という言葉に複雑な感情とエロティックさを重ねて歌う。この曲はEP『Folded Homage Pack』に6種のリミックスが収録され、新作の日本盤CDにはニーヨ、トニ・ブラクストン、ブランディによるそれぞれの客演版がボーナス収録されている。残る3組の客演陣は、ジョジョ、マリオ、タンク。つまり6組とも2000年前後のR&Bを彩ったシンガーであり、今回のニュー・アルバムは同リミックスにおける人選の延長線上にある。

 

ジャンルの根源を問う姿勢

 端的に言えば往時のR&Bへのオマージュ。だが、それを単なるオマージュに終わらせず、現代のR&Bへと昇華させているのが、A&Rとしてアルバムを総轄し、演奏や楽曲制作も担うクリス・リディック・タインズである。“Folded”では、アンドレ・ハリス、DK・ザ・パニッシャー、ドン・ミルズと共同制作しているクリスは、レオン・トーマスとの制作デュオ、ラスカルズの片割れ。“Folded”と並ぶ昨年のR&Bヒット“Mutt”で話題のレオンも、今回の新作では“Sweet Nuthins”という甘いスロウ・ジャムでデュエット相手を務めている。

 アルバムではカーディBやビッグ・ショーンを招きながら、ゲストや制作陣の多くを、現在も影響力を持つR&Bやヒップホップのレジェンドが占める。その顔ぶれからも新作の狙いどころは明らかだが、以前から「ストレートなR&Bを歌っている」と公言しているケラーニは、ミックステープ『While We Wait』シリーズでも往時のR&Bに愛を示してきた。ただ、〈R&Bは死んだ〉などの流言飛語や〈オルタナティヴR&B〉という無価値なラベリングからの解放、生成AIが跋扈する音楽業界への反発を創作の原動力とした今作は気迫が違う。マルチレイシャルで、パンセクシュアルと公言しているケラーニは多方面にリーチする曲を歌ってきたが、今回は改めてR&Bというジャンルの根源を問うような姿勢を見せているのだ。そうした真っ直ぐな思いが、アルバムの表題(セルフ・タイトル)にも反映されたのだろう。

 ステレオタイプスが制作に関わり、ミッシー・エリオットが賑やかしを加える“Back And Forth”は、表題も含めてアリーヤへのトリビュートだと解釈したくなる一曲。また、アルバム全編を通して楽曲制作の鍵を握る元アンダードッグス一派のアントニオ・ディクソンが手掛けた“Out The Window”は、かつて彼が関わったオマリオンの“I’m Tryna”を思い起こさせる。そのディクソンを重用していたベイビーフェイスらの制作曲“Shoulda Never”がアッシャーとのデュエットとくるから豪華極まりない。リル・ウェイン客演の“Anotha Luva”は、リッチ・ハリソンの制作らしい、エイメリーを彷彿させるチップマンク・ソウルで、これらの曲が聴き手を2000年代前半へと連れ戻す。

 

R&Bへのラヴレター

 ケラーニを初期から支えてきたポップ&オークのセンスも光る。近年はポップ(・ワンゼル)が2022年作『Blue Water Road』、オーク(・フェルダー)が2024年作『Crash』をそれぞれ単独で手掛けていたが、本作では久々に連名で参加。メランコリックなミッド・グルーヴの“No Such Thing”では、名手ボラ・セチのギターを(おそらくJ・ディラ製のビート経由で)サンプリングし、ファーサイドの“Runnin’”を思わせるドラム・ループでケラーニの歌を運んでいく。そこにルーサー・ヴァンドロスの曲タイトルやリリックを引用したラップで切り込むクリプスも実にクール。T・ペインとリル・ジョンが客演したスナップ・ビートの“Call Me Back”も含めて往時をレミニスさせるが、2026年の空気へと変えているのは総指揮を務めるクリスの手腕だろう。

 ブランディを迎えた“I Need You”は、〈声の聖典〉として崇められるブランディを慕うケラーニにとって音楽人生のハイライトとも言える瞬間だったに違いない。滑らかなフェイクや重層的なハーモニーも含めてブランディの“When You Touch Me”を思わせるこのスロウを手掛けたのがジャム&ルイスというのも破格の説得力を持つ。タンクやケリ・ヒルソンらが共作した“Oooh”や本編のラストを飾る“Unlearn”もブランディが歌っているのかと錯覚しそうになるスロウで、改めてケラーニの歌唱ルーツに触れる思いだ。

 95年生まれのケラーニがリアルタイムで聴いてきたR&Bにしたためたラヴレターのようなアルバム。彼女にとってのマイルストーンとして語り継がれていく作品になることは間違いない。

『Kehlani』参加アーティストの作品。
左から、レオン・トーマスの2024年作『Mutt』(Motown)、ビッグ・ショーンの2024年作『Better Me Than You』(FF To Def/Def Jam)、カーディBの2025年作『Am I The Drama?』(Atlantic)、クリプスの2025年作『Let God Sort Em Out』(Roc Nation)、ミッシー・エリオットのベスト盤『Respect M.E.』(Atlantic)、ブランディの2002年作『Full Moon』(Atlantic)、アッシャーの2024年作『Coming Home』(Mega/Gamma)、リル・ジョンの2010年作『Crunk Rock』(Republic)、T・ペインの2023年作『On Top Of The Covers』(Empire)、トニ・ブラクストンの2020年作『Spell My Name』(Island)、7月10日にリリースされるニーヨのニュー・アルバム『Highway 79』(10k Projects)