Photo: Masatoshi Yamashiro

 

SOIL&"PIMP"SESSIONSのピアニスト、丈青初のソロピアノ・アルバム

 名ピアノ、ファツィオリの「鍵盤自体が傾斜していて弾き慣れない」という操作性と、「ものすごく下まで濁りなく綺麗に再生できる。だから左手の低音がコントラバスみたいに聴こえ、多用してしまう」という特性が、丈青の奏法もヴォイシングも変えたという。それをスタジオでなくホールに持ち込んで、独特な鳴りをゆったりとした響きで閉じ込めたのが、この『I See You While Playing The Piano』だ。

丈青 I See You While Playing The Piano SPIRAL(2014)

 その状況下で丈青は、意図を排して、その場で弾きたいと思ったものを演奏している。

 「楽器に向かった時に何もない状態で臨んで、自然に物を置いていくように演奏しました」

 無心で臨み、自分が弾いた音がそのまま自分に影響して、また自分の音として出ていく。

 「鏡みたいにね。エゴがなくて、何にもとらわれていない状態でいたかった」

 とにかく無心でナチュラルにプレイする中で、このアルバムでは丈青の新たな側面が炙り出されている。

 「俳句みたいなもので、無駄なプレイは一瞬でもいらない。このセッションもスタインウェイがあったら、もっと弾いたと思うし、もっと現代的になったと思う。きっとそれが必要な音数だから。でも、このホールでファツィオリを自分に正直にナチュラルに弾くとこの音数がベストでした」

 ここにあるのは、シンプルなことを今までに積み重ねてきたもので、自然に出しているピアニストの姿だ。そして、そぎ落とされた表現の中で浮かび上がったのはメロディと歌心。まるで自身で歌い、それを最小限の音で伴奏しているような瞬間さえ聴こえてくる。

 「スティーヴィー・ワンダーやシャーリー・ホーンみたいなヴォーカリストが弾いているピアノが大好きなんです。そういう人のバッキングって最高だから。それってすごく音楽的なことで、実はそれもピアニズムなんですよね。そういう意味で、このアルバムではフェイヴァリットが自然に反映されている。一人でバッキングしているような演奏もある意味で自分のスタイルだと思います」

 無駄なく最小限に必要なことだけで、自分を表現しなければならない歌のバッキングは丈青のピアノに対する美意識そのものなのかもしれない。

 「自分の中にあるものや無いものが自然に自分の中から出てくる。その心の状態にして演奏しないと広がらないし、表現がクローズしていく。音も飛んでいかないので、届かないんですよ」

 丈青=ソイル、J.A.Mでのイメージを完全に覆されるのはきっと僕だけではないだろう。