
どんなポップスでも100年後には⺠謡になるかもしれない
――改めて寺田さんは⺠謡をどんな音楽だと捉えていますか?
「東アジアにはその地域特有の⺠族的なメロディーや音階、スケール感というのがありますが、民謡はそれが長期にわたり反映されてきた音楽という感じがします。特にメロディーに表れやすいと思うのですが、地域によってはリズムやビート、和声なんかに出ている場合もありますね。さらに文化や宗教なども影響して、その地域特有の⺠謡として聴こえてくるというか。
それと同時に、この民謡はロシアからの影響があるなとか、インドネシアの音楽とそっくりな音階があるなとか、違う国との繋がりを感じたりもします。あと日本が鎖国していた時代の音階と、明治維新以降の音階ではスケール感が違うのですが、そうした時代ごとの変化を感じさせてくれるのも民謡という音楽だと思います」
――このアルバムを通じて改めて民謡をじっくり聴いたのですが、昔の人々の生活が垣間見える音楽だなと思いました。
「最近、自分が歳を取ったからだと思いますが、昔聴いていた曲の歌詞を見ると、今では通じなくなっているストーリーがあったりするんですよね。当時は大人気だった曲でも、何十年か経つと何のことを歌っているのか半分わからないみたいな。
例えば、僕は1965年生まれなんですけど、中学の頃に聴いていた曲の中に出てくる〈電話〉は固定電話なわけですよ。今とは生活のインフラが違うし、なくなった言葉もあるじゃないですか。それに人とのコミュニケーションの取り方も変わってきているから、どんなポップスでも100年、200年経ったら⺠謡になる可能性があるなと感じることはありますね」
――黒電話や公衆電話を知らない若い世代も今は多いですからね。
「テレホンカ-ドの存在とか、それを公衆電話でどう使うか知らない若い人の方が今は多いですよね。だから約800年前の鎌倉時代から歌われてきたとされる“ひえつき節”の〈あなたの家に着いたら鈴を鳴らすから、馬に水をあげると言って外に出てきてくれ〉みたいな歌詞は、当時の人にとってはとても現実的かつロマンチックな描写だったんじゃないかなって」
――“Oedo Nihonbashi(お江戸日本橋)”は女郎も出てきたりして、日本橋から京都までの旅行記とでも言いますか。
「あの曲は〈ここの場所にはこういうお店があって、こんな遊郭もありますよ〉っていう江戶時代の風俗ガイドの歌らしいですよ(笑)」
――それと昭和を生きた人はほぼ耳にしている〈エンヤーコラヤット ドッコイジャンジャンコーラヤ〉というフレーズは、改めて民謡からの引用だったんだなと再確認しました。
「僕も確実にその世代ですけど、『8時だョ!全員集合』のオープニングでザ・ドリフターズが歌ってたのは“北海盆唄”の替え歌だったんですよね。ドリフターズって、コントのときにファンクを使っていたりしてめちゃくちゃかっこいいんです」
――⺠謡は思わず口ずさんでしまうような、耳に残るものが多いですよね。映像も制作された“Donpan Bushi(どんぱん節)”は、骸骨の動きと歌声がマッチしすぎて脳裏に焼き付いてしまいました。
「あの骸骨は、Omodakaのミュージックビデオを手がけてくれている牧鉄平さんが普段よく使っているキャラクターなんです。YouTubeの概要欄に書いた〈苦悩や心配のない場所に旅立った亡き家族へ向け、また来年会おうという見送りのメッセージ〉というのは実は後付けの説明なんですけど、映像はいい感じに仕上がっていて嬉しいです」