日本の音楽史にその名を刻んだアーティストのドラマ

 いわゆるダンス・ミュージックは、ディスコやクラブといった〈場の音楽〉という意味を飛び越えて、いまや完全に一般的なものになった。もはや〈ポップスとダンス・ミュージックを融合して~〉とかいう陳腐な形容を目にすることもないほど、ハウスやエレクトロといった音楽そのものがポップスとして機能することも普通のことだ。で、そうした状況を整えた〈日本のハウス〉勃興期の重要作に、小泉今日子近田春夫の『KOIZUMI IN THE HOUSE』を挙げる人は多いだろう。ただ、時のアイドル歌手と先鋭的な作り手の結び付きという意味では、奇しくも同年に登場した島田奈美島田奈央子)の『MIX WAX -NAMI NONSTOP-』も忘れちゃいけない。そこでハウス・リミックスを手掛けたのが、本稿の主役となる寺田創一である。

 65年に東京で生まれた寺田は、大学生の頃からセッション・ミュージシャンとして活動。80年代後半にはデジタル・サンプラーを使って作るヒップホップやハウスに魅了され、自主でトラックを発表している。それを聴いた杉山洋介(現Paris Match)が、自身の手掛ける島田の“SUN SHOWER”にてリミキサーに起用。その音源がNYでオーガナイザーをしていたヒサ・イシオカ(後にキング・ストリートを設立)を介して現地のDJの手に渡った〈その時〉、日本産のハウスが世界とコネクトしうるものだと証明されたのだ。同曲はラリー・レヴァンマーク・カミンズがリミックスを手掛け、〈Paradise Garage〉でもプレイされるクラシックとなっていった。

 一方の寺田は、自主レーベルのFar East Recordingやイシオカ主宰のBPMなどからシングルを発表し、90年代前半にはメジャー経由のアルバムもリリース。『Sumo Jungle』(95年)でいち早くドラムンベースに取り組んだりもしつつ、サンプリングを凝らした趣味性の高い志向や、盆踊りなど和のテイストを採り入れたトラック作りに興味を傾けていく。

 90年代末に「サルゲッチュ」のサントラを手掛けてからはゲームやCM音楽でも名を馳せるようになり、2001年には民謡電子音楽を軸とするプロジェクト、Omodakaをスタート。以降はFer名義でaosisにラウンジーでお洒落な“Breezy”を残したり、ブレイク前のPerfumeと絡んだり、いくつかのリミックスを手掛けつつマイペースな自作リリースを続けている。近年は文化庁メディア芸術祭で賞を獲得してもいるが、時代の流れよりも自分の興味の流れに従って動くという姿勢は昔から変わらないのかもしれない。

 


 

寺田創一のその時々

寺田創一 SOUNDS FROM FAR EAST Rush Hour(2015)

オランダのラッシュ・アワーによる編集盤。Far Eastから91~93年に発表された12曲を収め、寺田と横田信一郎のミニマルで洗練されたグルーヴを聴かせる。○ェレール使いの“Saturday Love Sunday”をはじめ、大らかなサンプリング感覚が当時らしくもあり、イマっぽくもあり。

 

 

寺田創一 Sunshower Remixes Finalized Far East(2015)

オリジナルやアカペラ、種々のリミックス含め、島田奈美の“SUN SHOWER”を12態収録。Mrフィンガーズ風やレベルMC使いなど多様にズルムケなリミックスを寺田と横田が手掛け、ラリー・レヴァンはもちろん、Jazzadelic永山学森俊彦)のヴァージョンも貴重! 

 

 

ムーンライダーズ カメラ=万年筆 スペシャル・エディション クラウン(2011)

BONNIE PINKをはじめ、90年代TPD深田恭子島田奈央子 with Alaniらの作品にて起用されてきた寺田。この大御所たちの80年作の30周年記念盤では“太陽の下の18才”の再構築を披露している。 

 

 

DieTRAX vs FFF 広島死闘篇~Hiroshima Deathmatch~ MURDER CHANNEL(2013)

近年のFER作品はタワレコで入手できないのでリミックスをもう一つ。寺田とはHONDALADYでも絡んだDieFFFと衝突する日蘭ハードコア決闘盤にて、寺田は“Miyajima”をハイパー宴会化。同系仕事ではRAM RIDERの8ビット化も忘れ難い。