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アイルランド語に対する複雑な思い

――まさに〈アイルランドに存在しているカオス〉ですね(笑)。フォークミュージックへのオルタナティブなアプローチでの注目を集めているランクムのイアン・リンチが、子供の頃はアイルランド語は保守的だと思っていたけれど、今は新しいアイデンティティとしてその言葉を取り入れようとしている、と映画内のインタビューで語っています。そういう母国語に対する複雑な思いは多くの若者たちに共通するものなのでしょうか。

デニス「アイルランドには、イアンのように複雑な想いを抱かずに母国語で話している人もいます。5つの地域はアイルランド語が第一言語として保存されていたので普通に喋っている人たちもいるんです。それ以外のエリアでは英語が支配的です。

私はダブリンで育ちましたが、アイルランド語を母国語として教えられながらも喋っているのは英語です。なので文学や詩をアイルランド語で習うわけですが、私たちはその言葉をちゃんと理解していないので、言語からちゃんと学んで、そのうえで文学や詩を学ばなければいけないという状態でした。それが母国語との関係を複雑にする場合もあります。

また、アイルランドが独立した当時、カトリックの教会が非常に抑圧的な権威として機能していたので、母国語に保守的なイメージを持ってる人もいるかもしれません」

――それで反抗的な若者はアイルランド語を敬遠するんですね。

デニス「ただ、今の若い世代、特に大都市にいる人たちはアイルランド人でもイギリス人でも一緒に飲みに行って会話をしているんです。〈ただの言葉じゃないか、気にせずに好きに話せばいいよ〉という、すごくシンプルな態度をとっているのが新しいと思います。映画には、両親が他の国からアイルランドへ来た移民二世の人たちが登場しますが、アイルランド語と複雑な関係を持っていなくて、〈アイルランドに来たわけだから、アイルランドの言葉を喋ればいい〉という風に思っているんですよね」

 

フォークは保守的な力も革命的な力も持つ複雑な音楽

――ベルファスト出身のヒップホップグループ、ニーキャップの映画「KNEECAP/ニーキャップ」を観ると、アイルランド語でラップすることが挑発的だったことが描かれています。彼らの音楽はアイルランドでどのように受け止められたのでしょうか。

デニス「アイルランド語でラップすること自体は特に新しいことではなくて、以前からやっているアーティストはいました。ニーキャップは、ポスト植民地的社会の恥みたいなものを投げ捨て、笑えるやり方でアイルランド語と政治的なメッセージを結びつけたことが新しかったんです。そして、彼らは質の良くなった現在のアイルランド語のポップミュージックやヒップホップへの橋渡し的な役割を担ったんです」

――フォークバンド、メリー・ワロパーズのメンバーが「フォークは基本、毒舌だ」と発言します。そういうパンクやヒップホップにも通じるような反骨精神は、アイルランドのフォークミュージックに受け継がれているものなのでしょうか。

デニス「反抗的な血はアイルランドのフォークミュージックにずっと流れていたと思います。イギリスの植民地支配に対して反対を唱えたり、共和党の人たちが捕えられて囚人になっていることを歌ったりしている曲もあるんです。そういう側面について、この映画で触れたいと思いました。

フォークミュージックのなかに純粋なプロテストソングはそれほど多くはないのですが、植民地時代を生き抜いてきた者の歌やポスト植民地的な歌もあります。政治的な曲を紹介するだけではなくて、あるアーティストを劇中で紹介することが政治的ステートメントになっていると思ったんです」

ラース「アイルランドのフォークミュージックが興味深いのは、矛盾した使い方をされてきたことです。アイルランドが独立した時に国家建設のためにトラッドミュージックが使われました。つまり、アイルランドの伝統的な音楽は保守的な力にもなったし、同時に体制に立ち向かう革命的な力も持っている。全く違う側面があるという複雑さがあるんです。そのことについて、ミュージシャンが語るのも本作の興味深いところだと思います」