ナルシズムを肯定する

 ダンス・ミュージックのフォーマットに即した結果として楽曲の展開はかなりシンプルなものとなったが、そこに鴨田の叙情的な詞世界と人懐っこい歌が乗るという構造はこれまで通り。だが詞の有り様には変化があったと鴨田は語る。

 「Aメロ、Bメロ、サビっていう構成がないぶん、詞を書くスピードが速くなったし、あまり悩まなくなりましたね。それから、衒いたくないし演じたくないという気持ちがあって。花がきれいだったら〈花がきれいだね〉って書きたいというか。そういうこともポップスを諦めた結果なのかもしれないけど(笑)」(鴨田)。

 野暮を承知で書き添えると、彼らの言う〈ポップスを諦めた〉は〈形式〉から解き放たれたということであって、〈ポップであること〉を志向しなくなったという意味ではないだろう。むしろサウンドが明快にシェイプアップされたゆえなのか、これまで以上にキャッチーな訴求力を備えた作品に感じられるのがおもしろい。

 「個人的にはもう、歌が入ってればポップスじゃないかと思ってますね」(Crystal)。

 「それで成立すればいいし、実際のところ、いまの状況だと成立していると思うんですよね。アルカとかが受け入れられているわけで。免疫がついてる時代なんだから、もっとやってしまっていいんじゃないかって」(鴨田)。

 つまりは〈やりたいようにやる=自身の皮膚感覚に忠実な作品を作る〉ということ。アルバムに漲る圧倒的なクールネスや説得力は、そのシンプルな考え方から生まれたものなのかもしれない。

 「音楽を作るというよりも、自分たちの表現をするということが何よりも念頭にあったんですよね。頭に描いた理想を完成させることにしか興味がなくて、〈他人のなかの自分〉を気にすることを止めた。それはナルシズムを肯定していくという気持ちでもあるんですよ。ナルシズムによる誤解が個性になるってことと、孤独でいることで個性が生まれるってことに気付いたんです。そのふたつの個性を肯定しようという確信からアルバムが出来たところはあります」(鴨田)。

 間違いなくひとつの到達点にして新たな出発点。堂々たる風格を湛えた本作は、彼らの未来のみならず、ポップスの未来を切り拓く可能性を秘めている。

 「このアルバムが出来たことで、(((さらうんど)))は自分の活動のなかでもいちばん自由な場所になりましたね。何をやってもいい。この先の展開がいろいろ広がったと思います」(Crystal)。