LIFE FROM DA BASSMENT
ジョデシィ直系のチルドレン……ディヴァンテの見い出した才能集団
ディヴァンテ・スウィングが組織したプロダクション/レーベルのスウィング・モブには、ミッシー・エリオットやルショーン・シェルマン(K-Ciの恋人でもあった)を擁する女性グループのシスタ、スタティック・メジャーを含む男性トリオのプレイヤ、トウィートが在籍したシュガ、そしてティンバランド、マグー、ジニュワイン、ダリル・ピアソン……と、無名ながらも才能豊かな若人が集まっていた。ダ・ベースメント・クルーを名乗るこの集団は、『Diary Of A Mad Band』あたりからディヴァンテ仕事やジョデシィ作品で名を出しはじめ、アップタウンと溝を深めたディヴァンテを中心にクルー名義の作品も準備していたとされる。
が、その奮闘はなかなか実らず、シスタの初作やコンピのお蔵入りを経て、ディヴァンテの仕切るサントラ『Dangerous Minds』(95年)にてクルーはようやくその陣容の一端を明らかにした。そこにはスタティックを配したディヴァンテのソロ曲“Gin & Juice”も含まれていたのだが、PVで真っ赤なジャケットを着用する姿に象徴的なシュグ・ナイトとの深い仲は、やがてディヴァンテと弟子たちの絆を引き裂いていった、のかもしれない。
翌96年、バリー・ハンカーソンの下に走ったティンバランドとミッシーはアリーヤ『One In A Million』を手掛けて華々しく名を広め、ジニュワインも即メジャー・デビュー。このスピードに業界力学を見る思いだが……元ベースメント組の躍進はわずか1年で師匠を過去の存在へと追いやることとなった。クルー崩壊の経緯についての決定的な説明は今後もないだろうが、だからこそジョデシィの新作にティンバが駆けつけたことには大きな意味があるのだ。