〈FUJI ROCK FESTIVAL ’22〉への出演決定が発表されて話題を呼んでいる、米LAのオルタナティブR&B/ネオソウル系シンガーソングライターのシド。ジ・インターネットやオッド・フューチャーの一員としても知られる彼女がリリースした新作『Broken Hearts Club』は、辛い失恋をテーマにしていながらも、どこか吹っ切れた明るさと力強さに満ちている。シンガーとしての成長はもちろんだが、やはり注目したいのはサウンドで、これまでよりも進化し、新旧のブラックミュージックへの敬愛にあふれたプロダクションが聴きどころになっている。そこで、今回は、音楽ジャーナリストの林剛に、そのオマージュや元ネタなどを解説してもらった。 *Mikiki編集部

SYD 『Broken Hearts Club』 Columbia(2022)

 

失恋の傷を歌いながら自分を見つめ直し、前進しようとしている

所属するジ・インターネットでは以前シド・ザ・キッドの名前で親しまれ、ソロ作ではサブスクリプションサービスによって本名のシドニー・ベネットという名義が使われてもいるシド。この異能のシンガー/ソングライターによるニューアルバムのタイトルは『Broken Hearts Club』という。ストレートに邦題化すると『失恋クラブ』。シドは失恋していたのだ。

2017年のソロデビューアルバム『Fin』以来5年ぶりとなる今作では、終わった恋が歌われている。ただし、まだ恋愛が順調だった頃から書き始めていた曲もあるようで、当初は愛に満ちたアルバムになるはずだったという。それが急転。パンデミックと同じタイミングで失恋を経験し、正反対のテーマを掲げることになった。

とはいえ、悲しみに暮れたアルバムではない。確かに、未練が滲むリリックからはまだ完全に傷が癒えていないことがわかるし、別れた理由を正当化しているような、多くの人が失恋直後に抱く複雑な気持ちが赤裸々に綴られてはいる。だが、様々な感情と葛藤しながらシドは自分自身を見つめ直し、前進しようとしている。悲愴ではなく悲壮。〈自分も遂に「失恋クラブ」の仲間入りをしちゃった〉と、客観視できるくらいの状態で作った作品と言えそうだ。

 

コンピューターファンク“CYBAH”

アルバムには、前作『Fin』の流れを汲む部分、異なる部分のどちらもある。前作はジャケットのアートワークに通じるサイバーソウルとでも言うべき近未来的な楽曲が目立ち、ボーカルも含めて、あえて人工的な質感を強調したような印象を受けた。その感覚は本作でも一部の曲に引き継がれている。ラッキー・デイを迎えた先行シングル“CYBAH”(=Could You Break A Heart?)もそんな一曲で、表題をサイバー(Cyber)にかけているのではないかと思いたくなるクールなスロウファンクだ。

『Broken Hearts Club』収録曲“CYBAH (feat. Lucky Daye)”

トラックはリンドラムを多用していた頃のプリンスのようでもあるが、これは引用のクレジットこそないもののシンセやギターのリフからしてザップの“Computer Love”(85年)を意識しているのだろう。思えば2017年のEP『Always Never Home』収録の“Bad Dream / No Looking Back”で引用していたジョデシィの“What About Us”(94年)、その元ネタ(の一部)が“Computer Love“だった。これに関しては単なる偶然かもしれないが、シドの音楽には80年代のコンピューターファンク的なエッセンスも多分に含まれている。

ザップの85年作『The New Zapp IV U』収録曲“Computer Love”

 

アリーヤへのオマージュなど90年代末〜2000年代序盤のムード

ただ、サウンド面では前作の流れを汲む曲があるものの、トラックにまとわりつくようなシドのボーカルは、クールな前作とは違って優しく温かみが感じられる。爽やかでスウィートでさえある。それはアルバム全編に言えることで、単純にボーカリストとしての成長や成熟と捉えることもできるが、失恋を経ての人間的な成長も反映されているのだろう。終盤のギターソロを含めて80年代のプリンスを思わせるポップファンク“Fast Car”での歌唱にもこれまでにはない繊細さが感じ取れるし、何より吹っ切れている。そこは前作と明らかに違う。

『Broken Hearts Club』収録曲“Fast Car”

“Fast Car”を手掛けたプロデューサーのひとりにトロイ・テイラーがいる。かつてトレイ・ソングスの出世に貢献し、近年再びR&Bの最前線で活躍している名匠だ。そのトロイと並んで90年代後半から2000年代に多くの名曲を生み出したロドニー・ジャーキンスのプロデュースによる“Control”は、アリーヤ“One In A Million”へのオマージュだと解釈することができそうだ。ティンバランド系のシンコペイテッドなビート、その後ろで鳴り続ける雛鳥のような声、そしてシドのフェザータッチの美声。前作でアリーヤを連想させた“Know”以上にあからさまなオマージュだろう。

『Broken Hearts Club』収録曲“Control”

アリーヤの96年作『One In A Million』収録曲“One In A Million”

近年のR&Bやポップスにレイト90s〜アーリー2000sのムードが色濃く反映されているとはよく言われるが、シドの今作も例外ではない。例えばスミーノを迎えたアップチューン“Right Track”も、シュガー・レイ“Fly”(97年)にそっくりなギターリフを引用してアフロカリビアンな雰囲気を醸し出すが、2000年前後のデスティニーズ・チャイルドあたりが歌っていたタイプの曲だ。モッタリとした低音ボイスが絡みつく“No Way”も、往時のヒューストンヒップホップをレミニスさせるチョップト&スクリュード・マナーのスロウで、酩酊感を誘いながら懐かしさを感じさせる。

『Broken Hearts Club』収録曲“Right Track (feat. Smino)”

シュガー・レイの97年作『Floored』収録曲“Fly”