音楽とは何か、を究める精神の葛藤が真のヴィルトゥオージティ
「昨年のバッハ国際コンクールで旧東西ドイツの統一後、初めて優勝したドイツ人のピアニストだよ」と知人に誘われて2003年、ライプツィヒの小さなホールでマルティン・シュタットフェルトを初めて聴いた時の驚きは今も鮮明だ。長身痩躯の青年は“ドイツ”“バッハ”に対して多くの人が抱くイメージとは正反対の繊細きわまりない音楽、大胆な即興性で魅了した。翌年ドイツを再訪すると、自主制作した音源をドイツ・ソニーが買い取って発売したJ・S・バッハの『ゴルトベルク変奏曲』がベストセラーに躍り出ていた。2005年に初来日して『ゴルトベルク』で高い評価を得たが、招聘元の撤退で足が遠のき、2015年5月の日本ツアーが6年ぶり。前後して発売された『シューマン(《子どもの情景》とピアノ協奏曲)』『モーツァルト(ピアノ協奏曲第1&9番と《ロンドン・スケッチブック》』)の新譜2点、あるいは実演でも孤高の存在を改めて印象づけた。
6年間の変化といえば「結婚して子どもが生まれたこと」。父親として「ドイツの音楽教育が崩壊の危機に瀕している」現状を憂い、「良い作品との最初の出会い」を自ら授けようと、アウトリーチを始めた。「弾くのはもっぱらバッハ。中でも《平均律クラヴィーア曲集》の諸曲は短いながらも印象的で、それぞれにバッハの人生と深く結びついたエモーションがこめられているから、子どもたちにも十分に伝わる」という。年間最大60回の公演回数のうち約8割がソロリサイタル。「新しいレパートリーを手中に収め、究めるには時間が必要」という。
《子どもの情景》でも外面的な効果や他のピアニストの解釈には目もくれず、シューマンの内面に潜む“子ども的なるもの”を見つめ、第11曲《びっくり》と《ロ短調ミサ曲》の直接の関連性をはじめ“バッハのコラールとの結びつき”をひたすら追い求める。「自分が正しいかどうかはわからないが、どんな作品にも深いメッセージが潜んでいると確信し、弾き込んでいる」。8歳のモーツァルトがロンドン滞在中、父レオポルドの介入を全く受けず感性の赴くままに綴った“スケッチブック”を「宝物」と称え、恐ろしいほどの美を引き出した。それぞれの協奏曲でも指揮者と高い次元で、解釈の一致をみる。
次の録音はショパンの《練習曲集作品10&25》とバッハの《シャコンヌ》の組み合わせ。
「1曲ごとのエチュードとバッハの《平均律》との関係を明らかにし、真のヴィルトゥオージティとは超絶技巧の競争ではなく、《音楽とは何か》を究める芸術家の精神の葛藤であると宣言したい」