エドワード・ヤンの映し出す台北。それは例えば東京の今にも見えた。更には私たちがまだ気付けていない今をも提示していた。エドワード・ヤンは私たちの何歩も先に行っていた。この86年の傑作も96年になってやっと日本公開されたが、エドワード・ヤンの86年の台北は96年当時の今より今だった。それは、デジタル・リマスターでリバイバル公開された2015年でも全く変わらない。人間が孤独から逃れられないかぎり、この傑作は禍々しく見るものを凍りつかせるだろう。21世紀に1本も映画を残すことなく2007年にこの世を去ったエドワード・ヤンの全作品ソフト化を望んでやまない。