「ウディ・アレンとダイアン・キートン大好き!」な二人が共有するアメリカーナ
ペトラ・ヘイデンはザット・ドッグ、ジェシー・ハリスはワンス・ブルーの一員として、奇しくも同じ年(95年)にレコード・デビューした。しかし、ロサンゼルスとニューヨークという離れた場所で活動していることもあって、二人が初めて出会ったのは、ほんの3年前のこと。LAで行なわれたジャズ・ギタリストのアンソニー・ウィルソンのライヴにそれぞれゲスト出演したことが、一緒に活動するきっかけとなった。
「ペトラとの間にはビル・フリゼールはじめ、共通の友人が何人かいたけど、会う機会がなかった。ザット・ドッグのことも昔から知ってたけど」(ジェシー)
「ライヴを終えた後、ジェシーは私を自宅まで送ってくれたんだけど、車中で『あなたは素晴らしいソングライターで、私は素晴らしいシンガーだから、私たちはお互いを必要としていると思う』と告げたの(笑)。もちろん私は、ノラ・ジョーンズが歌った《ドント・ノウ・ホワイ》は聴いたことがあった。でも、ジェシーの曲に惚れ込んだきっかけは、3年前のライヴで、アルバムだと、『ボーン・アウェイ』です」(ペトラ)
14年に亡くなったペトラの父親チャーリー・ヘイデンは、一般的にはジャズ・ベーシストとして知られている。だが、チャーリーの両親と兄姉は、“ザ・ヘイデン・ファミリー”としてカントリーの世界で活動していた。そしてチャーリーも、チャーリー・ヘイデン・ファミリー&フレンズ名義の『ランブリング・ボーイ』(2008年)というアメリカーナ系のアルバムを遺している。ペトラは、こんな祖父母の世代に遡るヘイデン・ファミリーの音楽的血筋を受け継いでいる。
「幼い頃は家でカーター・ファミリーやスタンレー・ブラザーズの曲を妹たちと一緒に歌い、彼らの曲を通じてコーラスのハーモニーを会得しました。ええ、私が一人でアカペラを多重録音してアルバムを作ることができるのは、そのおかげです」(ペトラ)
「ペトラほど音程が正確で洗練されたアメリカーナ系のシンガーを、僕は知らない。だから僕の曲を初めて歌ってもらった時は、心底驚いた」(ジェシー)
彼らの初来日公演に足を運んだオーディエンスの中には、気づいた人もいるだろう。ペトラはわざわざステージの上に譜面台を持ち込んでいたのに、譜面に目をやることなくヴァイオリンを弾いていたことを。
「私はステージ恐怖症なので、譜面台がないと、落ち着かないの。そうね、『ピーナッツ』に出てくるライナスにとっての毛布のように(笑)」(ペトラ)
「その点も含めてペトラは、かなり変わった人だよ。なにしろLAで暮らしているのに、自動車の運転免許を持っていないんだから(笑)」(ジェシー)