すべては変わってしまった。目の前の風景も、恋愛模様も、仲間たちの姿も――辺境の地からメインストリームのそのまた中枢に入り込み、頂上のさらにその上へとみるみる駆け上がったドレイク。圧倒的な高みから無敵モードでゲームを更新しながら、待望のニュー・アルバム『Views』に至るまでその影響力は絶えることなく世界に降り注ぐ。すべてが変わってしまったいま、彼のモチヴェーションはどこにあって、その視界には何が映っているのだろう?

 地元カナダはトロントのランドマーク、CNタワーのメインポッドの縁に腰掛けて、ひとり佇むドレイク。公開されると共にたちまちインターネット・ミームになった彼の最新アルバム『Views』のアートワークは、ポップ・ミュージックの頂に登りつめた現在もなおホームタウンに根差した活動を標榜する、ドレイクのステイタスとスタンスを実に端的かつ明快に表している。 

〈昨日の夜、俺は決めたんだ。この街のために死んでやるって/トロントに見せてやる、ここまでやってのけるのがどれほど大変なことなのか/一等賞、一等賞、俺たちには引き分けなんてあり得ないのさ〉――“9”

DRAKE Views Young Money/Cash Money/Republic/ユニバーサル(2016)

 それにしても、1,136フィートの高さから見下ろす〈世界〉の眺望はさぞ格別だろう。なにせ『Views』のアメリカでの初週セールスは、今年のヒップホップ作品としてはぶっちぎり1位の104万ユニット(2位はケンドリック・ラマー『Untitled Unmastered』の17万8千ユニット)。このランキングでは昨年もドレイクのミックステープがワンツーフィニッシュを飾っていたわけで(1位が『If You're Reading This It's Too Late』で53万5千ユニット、2位がフューチャーとのコラボ作『What A Time To Be Alive』で37万5千ユニット)、いまや彼の突出ぶりはこれといった比較対象が見当たらないレヴェルにまで達しつつある。

 だが、誰もがそうであるように、ドレイクもまた始まりはゼロからだった。

〈底辺から這い上がってここまできた/底辺から這い上がってきたけど、いまも昔の仲間たちと一緒さ/新しいダチは求めちゃいない、薄っぺらいダチもな/金と名声を手にしても俺の話は昔からずっと同じ/俺はあのころを忘れたりはしない/だから家にいても首にはチェーンを身につけているんだ〉――“Started From The Bottom”

 2013年作『Nothing Was The Same』収録曲“Started From The Bottom”
 

優位性の理由

 ドレイクことオーブリー・ドレイク・グラハムは、86年10月24日、アフリカ系アメリカ人の父デニスとカナダ系ユダヤ人である母サンディの息子としてテネシー州メンフィスで生を受けている。彼は5歳のときに両親の離婚に伴って母親と共にトロントに移住するが、夏休みには父親の住むメンフィスに滞在。ジェリー・リー・ルイスの専属ドラマーだったデニスの案内でビール・ストリートなどを訪れ、次第に音楽に興味を持ちはじめたという(なお、父方の親戚にはスライ&ザ・ファミリー・ストーングラハム・セントラル・ステーションラリー・グラハムハイ・レコーズの屋台骨を支えたハイ・リズムティーニー・ホッジスといった名うてのミュージシャンがいた)。

 その後、ドレイクは15歳のときにデニスの知人の紹介で俳優活動を行うようになるが、ラップに開眼するのはもう少し後、17~18歳ごろのこと。当時刑務所に服役中だったデニスと電話をシェアしていたポヴァーティを名乗る囚人が、たびたび電話越しのドレイクにラップを仕掛けてきたことがひとつのきっかけになっている。もともとドレイクがデニスからシンガーをめざすよう強く勧められていたことを踏まえると、ラップと歌の境界線をさまようような彼のあのヴォーカル・スタイルの下地はこのころすでに形成されつつあったのかもしれない。

 2006年になると、ドレイクは初のミックステープ『Room For Improvement』を発表して本格的に音楽活動を開始。翌2007年には第2弾の『Comeback Season』をリリースする。この『Comeback Season』には、後のヤング・マネーとのディールに繋がるリル・ウェインとのコラボレーション“Man Of The Year”を収録。2008年末にはウェインの人気ミックステープ・シリーズ『Dedication 3』の“Stuntin'”で客演を果たすと共に、彼の全米ツアー〈I Am Music Tour〉に同行している。

 そして2009年2月13日、現在に至るドレイクの名声を決定づけた運命のミックステープ『So Far Gone』が公開される(後にリリースされる同名のEPとはまったくの別物と考えてほしい)。無料でばらまかれているにもかかわらず2曲もの全米TOP20ヒット――“Best I Ever Had”(全米ポップ・チャート2位/R&Bチャート1位)と“Successful”(同ポップ・チャート17位/R&Bチャート3位)――を生み出した『So Far Gone』は、以降のヒップホップにおける成功のルートとフォーミュラを刷新することになるが、なによりも画期的だったのはそのサウンド・プロダクションだ。

 “Say What's Real”での“Say You Will”の引用に示唆されている通り、そしてドレイク本人と『So Far Gone』のエグゼクティヴ・プロデューサーでありドレイクのプロダクション・パートナーであるノア“40”シェビブもはっきりと認めているように、ここで打ち出されているアトモスフェリックなサウンドはカニエ・ウェストの2008年作『808s & Heartbreak』の強い影響下にある。カニエみずから〈史上初のブラック・ニューウェイヴ・アルバム〉と位置づける『808s』がここ10年でもっとも重要な作品であることは、Pitchforkが昨年9月に組んだ特集〈The Coldest Story Ever Told: The Influence of Kanye West's 808s & Heartbreak〉を引き合いに出すまでもなく、いまやポップ・ミュージックのコンセンサスとして確立されているが、ドレイクと40は『808s』のDNAの最速にして最良の継承者/体現者といっていいだろう。

 そしてこれは、ドレイクが現行シーンにおいて圧倒的な優位性を保ち続けている最大の理由のひとつに挙げられる。正直、『808s』の存在がなかったら『So Far Gone』はおろかいまのドレイクの成功そのものがなかった可能性は極めて高い。だが『808s』のすぐ後にドレイクと『So Far Gone』が続かなかったら、果たして『808s』がここまで驚異的な影響力を持ち得たかというと、ちょっと怪しいものがある。例えば、ハウ・トゥ・ドレス・ウェル『Love Remains』(2010年)、ウィークエンド『House Of Balloons』、ボン・イヴェール『Bon Iver, Bon Iver』、ジェイムズ・ブレイク『James Blake』、ウォッシュト・アウト『Within And Without』(以上2011年)、フランク・オーシャン『Channel Orange』(2012年)など、現在のポップ・ミュージックのモードを決定づけた〈『808s』以降〉の傑作群の受け止められ方は微妙に違ったものになっていたのではないだろうか。もちろん源流は『808s』にあるが、土壌は『So Far Gone』が作ったようなところは確実にあると思う。

 

メランコリックな世界観

〈恋心が僕たちを襲って、もう逃げられなくなった/あの夜に起こったことが、どうしても頭を離れない/ゴールインしてもよかった、でもそこまで真剣になれなかった/かつては靄がかかっていたが、それもいまははっきりと見える/あのとき、夜空を見上げていればよかった/それがいま、彼女の瞳に映っている花火/見えるのは花火、今夜も夜空を舞っている〉――“Fireworks”

 ドレイクはサウンドだけでなくリリックの面においても『808s』のメランコリックな世界観に多大な影響を受けていて、それがまた彼のアーティスト性の特異な要素になっている。その片鱗は『So Far Gone』の段階ですでに聴き取れるが、わかりやすく表面化してくるのは2010年のデビュー・アルバム『Thank Me Later』以降のことだ。

 きっと多くのリスナーは、『Thank Me Later』を初めて聴いたとき呆気にとられたに違いない。アルバムのオープニングを飾る、アリシア・キーズをフィーチャーした前述の“Fireworks”。〈どうしても君は行かなくちゃならないんだね/僕にできることはもうなにもないのかい?〉と繰り返す、続く“Karaoke”。デビュー・アルバムの冒頭から、ここまでどっぷりと恋の感傷に浸っているラッパーがかつて存在しただろうか?

〈あんな奴やめておけよ、溺愛しているみたいだけど/俺たちが一緒だったときのことを思い出しているんだろ?/あんな奴やめておけよ、この人こそはって思っているんだろうけど/俺の電話に出たってことは、いまここに奴はいないんだろ?〉――“Marvin's Room”

 自己憐憫の情に溺れていくようなドレイクの歌世界は、2011年のセカンド・アルバム『Take Care』からのリード・シングル、泥酔した男が元カノに電話して未練たらたらに管を巻く“Marvin's Room”でさらにその色合いを深めていく。この“Marvin's Room”というタイトルは、マーヴィン・ゲイがLAに建てたスタジオでレコーディングしたことにちなんで名づけられたものだが、ドレイクが綴るしみったれたラヴソングはまさに同じ場所で録られたマーヴィンの悪名高き〈離婚伝説〉こと『Here, My Dear』(78年:元妻アンナに支払う慰謝料捻出のために制作した、いわくつきのアルバムだ)を彷彿させるものがあった。

 そして驚くべきことに、ドレイクが〈マーヴィンの部屋〉に籠り続ける目的はまさにそこにあった。2013年リリースのサード・アルバム『Nothing Was The Same』の制作にあたってドレイクがインスピレーション源として真っ先に挙げたのは、ほかでもない『Here, My Dear』だったのだ。

〈近ごろ俺が考えていることと言えば/お前は誰かほかの奴の上に乗ってヤってるのだろうか、とか/お前は誰かほかの奴のためにブラントを巻いてるのだろうか、とか/俺が教えてやったナスティなことを、誰かほかの奴のためにしてるんだろ/お前にはほかに誰もいらない/お前にはほかに誰もいらないんだよ/なんでいつもひとりじゃないんだ?/なんでいつも出掛けてるんだよ/昔はいつだって家にいて、いいコにしていたというのに/俺に夢中だったのに、そうさ/そのままのお前でいればいいのに/それがいまじゃまったくの別人〉――“Hotline Bling”

 この原稿を執筆している時点、6月25日付の全米アルバム・チャートにおいて、『Views』は6週連続で首位をキープ。シングル・チャートに目を向けてみても、“One Dance”が5週目の1位を獲得している。もはやドレイクの牙城を崩せそうな者は誰も思い当たらないが、彼がたたずむCNタワーの背後はそんな輝かしい現状とは裏腹に、分厚く重苦しい灰色の雲で覆い尽くされている。でも、きっとこれでいいのだ。この男の音楽には、抜けるような青空よりも憂鬱な曇天のほうがよく似合う。