核実験を巡る現実と空想の混じりから生まれたゴジラは、まさしく人間の恐怖そのものだった。その圧倒的な力は、全く笑えない現実味とシリアスさを当時から持っていたはずだ。そしてそれは今日におけるテクノロジーの在り方にもそのまま当てはめることができる。時にその力は人間を大きく超え、飲み込み、失望させるが、果たして一体それは何を意味するのだろうか。

東京ザヴィヌルバッハ・スペシャル Change Gravity APOLLO SOUNDS(2014)

 東京ザヴィヌルバッハは「自動変奏シーケンサーMとの即興演奏」なる愉快で奇怪な手法を通じて、「両者は共存できるのか」という現代の至上命題に対し一貫した返答をし続けてきたが、ここに来て大きな変化の時を迎えた。「その音楽を生身の人間によって再駆動させる」=「テクノロジーをも飲み込むことの出来る新しい肉体性の追究」へと向かったのである。しかも、あたかもテクノロジーの存在を無視した短絡的なコピーとペーストによる「ジャズ」への回帰とは全く別の文脈において、だ。

 一種のテクノロジー音楽とも言えるヒップホップに、Jディラは肉体的グルーヴをもたらした。そして近年ヒップホップを積極的に取り上げていた盟友の菊地成孔は(あくまで表面的に言えば、ではあるが)遂にペペ・トルメント・アスカラールにまでその動きを反映させている。この一連の流れは、坪口昌恭の変化と明らかに関連しているだろう。そして驚くべきは、構造変化を経ても坪口の信念は全く変わらないどころか、むしろその強度を高めている点である。ポリリズムによって空間の磁場や重力をコントロールできるのであれば、論理と数列で構築された無表情の神もまたその例外でないはず、と。かつてギリシア神話の美しき神から引用した名を自身の作品に与えたその男は、あまりにも強気で真摯である。

 人の子よ、失望するにはまだあまりにも早すぎるだろう。何故なら「新しい肉体」を巡る闘争はもう既に始まっているのだ。しかも何年も前から、である。

 


 

東京ザヴィヌルバッハ・スペシャル『Change Gravity』
リリース記念ミニライヴ&サイン会決定!

6/21(土)21:00〜 タワーレコード新宿店