船出を祝う喝采は“唯一無二な響き”を秘めていた! ~尾崎裕哉の追加公演を聴いて~

 緊張を隠せなかったのはむしろ聴衆のほうだったかもしれない。9月4日の日没後、よみうり大手町ホールの観客席を埋めたのは年齢も服装もさまざまならば、隣り合う同士の職業や語り合うその関係も一概にはいえないような幅広い人々だった。演目は『billboard classics 尾崎裕哉 premium concert -「始まりの歌」-』、18時開演の夜の部を観た。日本有数のクラシック専用ホールにトオミヨウ(P)の前奏が流れ、ビルボードクラシックス弦楽クァルテットの奏が重なる。拍手の中登場した今宵の主役は、1曲目の《Smile》を歌い終えると「この(編成の)ミニマムな感じ、贅沢な時間を愉しんでいってください」と語り、客席側の肩ひじの張りを解いた。事前の取材記事にも書いたが、この青年が想い出少ない亡父・尾崎豊から受け継いだ一面がこの佇まい、爽快さの伴うある種の貫禄だろう。

 が、“放熱への証”の伝え方は父子間でもかなり違う。たとえばオリジナルの《Moonlight》の後、アコギ1本で披露したのは意表をついた《夏の終りのハーモニー》、そう、井上陽水安全地帯の不朽曲だ。次いでイントロから満場喝采に包まれて歌い始めたのが《I LOVE YOU》、父を完コピした少年期からの自立の証か、両腕をだらりと垂れての(“あしたのジョー”を彷彿とさせる)歌唱スタイルが妙に印象的だった。そして淡々とコマを進める如く、一切のトークも挟まずに歌いだしたのが《瑠璃色の地球》、松本隆の世界観を松田聖子が見事に歌い切った傑作だ。尾崎裕哉が環境情報学を専攻していたことや、先程の《Moonlight》で描いた詩的世界も連想できた選曲だった。「楽しんでますか?」と問いかけたり、自著『二世』が「この夜の部では開演前に完売しちゃいました」というさりげない発言にもあざとさや嫌味がない。歌が一曲一曲染み渡る構成と、彼の歌唱愛が深いからだろう。いつか《I LOVE YOU》を越えるオリジナル作品を書きたいと葛藤した日々、“僕が僕であるため”の立ち位置に気づいてボストン滞在中に書き下ろしたという《Road》。I部最後の自作曲《With You》の場合、歌詞面というよりもむしろ旋律の行間に“尾崎のDNA”を嗅ぎ取れたのが興味ぶかかった。

 15分間の休憩を挟んだII部では「ギター愛好家」の一面や、前掲取材時にこう語っていた尾崎裕哉の志向性も披露された。「今っぽい部分ではエド・シーラン的な事は凄くやりたい。エレクトロニカっぽくてもトロイ・シヴァンとかの方向にはまだ、ふり切りたくないので。もう少しJ-POPサウンドとの親和性を持ちつつ新しさのあるような、それが洋楽っぽいと言われるならばそれも良しというね」、当日は「僕の中のボブ・ディラン」と前置きして彼の多面性を感じさせる意欲作も聴けた。そして終盤の2曲は「年齢で父を越える(越えた)」感慨を綴った《27》と、母親への愛情を描いた《始まりの街》。長身の尾崎裕哉に初めて接した日、脳裡を掠めたのは寺山修司の一首(=向日葵は枯れつつ花を捧げおり父の墓標はわれより低し)だった。あるいは渡米後の母子生活中、ハンドルを操る母親好みのBGM(aiko宇多田ヒカル等)が「日本語との接点だった」という秘話を聞いた際は違う一首(=地平線揺るる視野なり子守歌うたへる母の背にありし日以後)が胸中を通過したりもした。もちろんそれは筆者の勝手な脳内遊戯にすぎないが、尾崎裕哉作品は“ほぼ初耳”と思しき聴衆で埋められたホール内でもおそらく、十人十色の印象が交差していたに違いないと信じてやまない。つまり、尾崎豊の描いた青春の縮図的共感性(ある種の限定性)に比して、尾崎裕哉のオリジナル作品は汎用性に富んでいるとも言えるだろう。予定外のアンコールでは父の《OH MY LITTLE GIRL》をアカペラで聴衆共々合唱を――その後の、船出を祝う喝采は、誰のライヴでも感じた事のないような響きを秘めていた。同企画は早くも第二弾が決定したという。この俊英の航跡を今後も追いかけたい。