英国生まれのミック・ロックは、70年代の初頭から活動を続けるロック・フォトグラファーの草分けだ。とりわけ72年~73年のジギー・スターダスト期のデヴィッド・ボウイに密着し、膨大な写真を残して、グラム・ロッカーとしてのヴィジュアル・イメージを世界的に広め、定着させた功績はとてつもなく大きい。そのほかにルー・リードの『Transformer』(72年)やイギー・ポップ&ザ・ストゥージズの『Raw Power』(73年)、クイーンの『Queen II』(74年)、そしてロック・ミュージカルの草分け「ロッキー・ホラー・ショー」(75年)など、ロック・ファンなら誰もが思い浮かべられるような鮮烈なイメージの写真の数々を撮影したのもミック・ロックである。
彼は好評開催中のボウイ大回顧展〈David Bowie is〉に合わせて東京・原宿VACANTで開催された写真展『DAVID BOWIE by MICK ROCK』のために来日。去る3月13日にはドレスコーズの志磨遼平と対談トークショーを行った。志磨によれば、15歳の時にミックが撮ったグラム時代のボウイのステージ写真に衝撃を受け、人生が変わり、生きる希望を得られたとのこと。いわば志磨にとって、ミックは命の恩人なのだという。
そのミックによれば、ボウイとは時代の変革期にあった当時(60年代末~70年代初頭)のカルチャーそのものであるという。時代を象徴する存在でありながら時代を超越するアーティストであり、ボウイやイギー、ルーらが果敢な実験精神で、当時の社会のさまざまタブーを打ち破っていった……といった話が、身近にいた当事者だからこそ知るエピソードと共に語られたのである。また志磨が「魅力的な被写体の条件、つまり格好良いロックスターの条件とは?」と問うと、ミックが「匂いでわかるよね。オーラがあるんだよ。彼らは目に見えないメタフィジカルなエネルギーを発している。ボウイもイギーもルーもそうだった」と答える一幕もあった(当日のレポートはこちら)。
トークショーの数日後、ミックに単独インタヴューの機会を得た。通訳など無視して気ままに、喋りたいことを喋りたいように喋る彼は、ロックが一番自由で可能性に富んでいた頃から活動してきたアーティストらしく、どこまでもフリーダムな男だった。
デヴィッドは写真の持つ影響力をよくわかっていた
――フォトグラファーを志すようになったきっかけを教えてください。
「写真を撮るきっかけになったのは大学時代だ。お金がなくカメラも持ってなかったけど、友だちにビスケット会社の御曹司がいて、彼は当時としては最高のサウンド・システムを持っていたり、いろいろなおもちゃを持っていた。それで彼の家に集まってワイワイやっていたんだ。彼は高級なカメラを持っていたけど、特に写真に関心があるわけでもなく、写真を撮っているわけでもなかった。それで遊びに行った時にカメラのひとつを手に取ってシャッターを押してみたら、すごく感じるものがあった。瞬間を切り取るというカメラの魅力に虜になったんだ」
――影響を受けた写真家はいますか。
「特に影響を受けたカメラマンはいない。写真家とか写真に興味があったのではなく、写真を撮るという行為が好きで、興味がある被写体を捉えることに興味があったんだ。人の顔や表情が好きなんだよ。特に大好きだったロックンロールのアーティストたちのカリスマ性やオーラに惹かれて、彼らの写真を撮るようになった。エインズリー・ダンバー、プリティ・シングス、シド・バレット、ピンク・フェアリーズ……俺は人に頼まれたり雇われてミュージシャンを撮っていたんじゃなく、彼らの仲間のひとりだったから、いつの間にか(自然と)ミュージシャンを撮るようになったんだ。彼らにしてみれば、雑誌に雇われたカメラマンがやってきても、そこには壁があったと思う。でも俺はそういうカメラマンと違って〈仲間〉だったというのが、いい写真が撮れた理由じゃないかな。それに俺はインタヴューの仕事もしていたから、ただ写真を撮るだけじゃなくしっかり取材もして、その人となりも知ってから意気投合した上で写真を撮っていた。だからみんな心を開いてくれたんだと思う。当時は音楽を撮るカメラマンの数は多くなかったし、発表の場も少なかった。いっぱい写真を撮ったはいいが、そのほとんどは発表する場もなく、寝かせたままだった。カメラマンといっても特別扱いされることもなかったしね。まさかロックンロールというカルチャーがこんなに大きく重要な存在となり、写真の価値もすごく評価される時代が訪れるなんて、その当時はまったく想像もしていなかったよ」
――当時のミュージシャンと今のミュージシャンで、撮っていて何か違いを感じますか。
「デヴィッド・ボウイは、当時から写真の持つ影響力というのをよくわかっていた。でも彼以外の人は、撮られた写真が世に出ることでどういう影響があるか、ほとんど自覚していなかったと思う。それに比べると、今のミュージシャンの方が写真に対する意識は遥かに高まっている。だからコントロールしたがるよね」
――ボウイと出会って、撮るようになったきっかけを教えてください。
「72年に『Hunky Dory』を聴いてすごく好きになった。それまでデヴィッドがどういう人なのか、そんなに知らなかったけど、彼のインタヴューを読んで興味を持ち、音楽を聴いてますます惹かれるようになったんだ。それで雑誌から依頼があって、72年に彼がバーミンガムのタウンホールでライヴをやった時に、楽屋でインタヴューと撮影をした。それがきっかけだよ。当時のデヴィッドはわずか400人の前でライヴをやってたけど、一目見て自分の好きなアーティストだと確信したし、そこから彼を追っかけるようになって、どんどん大きくなっていく過程をすぐそばで見ることができたんだ」
――先日の志磨さんとのトークショーで、あなたが撮ったボウイの写真が5千点以上あると聞いてびっくりしました。
「全部ジギー・スターダスト期のものだよ。映像フッテージやPVも含めて、俺が全部権利を持っている
――では、そのうちどれを公表するか、あなたに任されていたんですか?
「もちろん、デヴィッドに確認はしていたよ。でもどんなふうに撮ったところで悪い写真になんかなりようがないし、彼にもそれはよくわかっていたと思う。彼はとにかく忙しくて、いろんなことを同時にやらなきゃいけなかったし、あらゆることを自分で判断しなければいけなかった。なので、写真に関しては俺を信頼して任せてくれたということじゃないかな。それに俺と彼は本当に近い関係だったから、撮っていいタイミングをなんとなく直感でわかったというのもある。彼がライヴの直前に楽屋で集中力を高めているような時にも撮って構わないような関係性もあったし。あとは外から派遣されてくるプレスのカメラマンのように、テーマを予め決められていて、その通りに撮らなきゃいけないとか、そういう制約が俺には一切なかった。この瞬間を今撮ったらおもしろいとか、そういう自分の直感や感覚に従って、自分の撮りたいものだけを撮ることができた。だからこそおもしろい写真が撮れたわけで、それが彼に信頼されたということだろう」
――じゃあ〈今は撮るな〉〈これは撮るな〉とか、〈この写真は外に出すな〉みたいなことを言われたこともない?
「一切言われたことはないよ。今まで一切表に出ていない写真にも結構すごいやつがあるけど、デヴィッドに出すなと言われたことはないし、俺も出すつもりはない。当時は発表する場所もなかったしね。あとはやはり、信頼関係を大事にしたいから、デヴィッドが機嫌を損ねるような写真を発表するわけにはいかないよ。ジョン・レノンとボブ・グルーエンの関係もそうだと思うし、あるいはルー・リードと俺の関係においても同じだ。彼らが嫌がりそうなものを世に出したいとは思わない。そういう関係はとてもオーガニックなものだね」
デヴィッドの無防備な姿も撮ることができたのは俺だけじゃないかな
――あなたがボウイを集中的に撮ったのは、72年~73年のジギー・スターダスト期のわずか2年間です。
「そのあと、76年に撮ってくれと頼まれたことはある。ちょうど彼がイギー・ポップと一緒にアルバムを作っている時だね。でもその頃に俺はNYでルーに頼まれ、『Rock And Roll Heart』(76年)のジャケットやツアーの写真を撮っていた。俺はNYの街の空気にすっかり魅せられてしまって、デヴィッドとはだんだん離れてしまったんだ。その後、2002年の『Heathen』の時にフォト・セッションするまで、彼を撮ることはなかった」
――なぜです?
「〈デヴィッド・ボウイのカメラマン〉というレッテルを貼られるのがイヤだったんだ。俺はそれだけじゃない、というところを見せたかったというのもあった」
――なるほど。
「その後のデヴィッドは……例えば鋤田正義さんは、長い間デヴィッドを撮り続けて素晴らしい作品を残している。でも一般的に求められるデヴィッドの写真は、俺が撮ったジギー・スターダストの頃のものだと思うよ。髪の毛の色が赤かった頃のね。(時期によって)音楽性はまったく違うけど、イメージという点で一番インパクトがあったのはこの時代のデヴィッドじゃないかな。それにデヴィッド本人にこれだけ身近でアクセスできて、これだけ多くのシャッター・チャンスをもらえて、彼の姿を収めることができたのは俺だけだと思う。鋤田さんが日本で撮った、電車に乗っているデヴィッドの写真も、明らかに撮られていることを意識している。でもジギーの頃は、いろんなことがあまりにも急激に起こっていて、彼自身も把握しきれていないところがあった。そういう、ある意味で無防備な姿も含めて撮ることができたのは俺だけじゃないかな。もちろん、どっちがいいとか悪いとかじゃない。ただ、両者は違うものだということだよ」
――ふむ。
「俺がデヴィッドと密に接して写真を撮っていたのは、わずか20か月に過ぎない。先日数えてみたんだけど、その期間に彼は75パターンもの違う衣装を着て映っているんだ。その短い期間でそれだけ多くの服を着た写真を撮ることができたというのも、考えてみればすごいよね」
――2002年に、ボウイを久々に撮った時はどんな印象でした?
「変わらないよ。昔それだけ深く付き合い信頼し合った関係って、歳をとってから再会しても全然変わらないものなんだ。それはルーも同じだった。初めて会って2週間で『Transformer』の写真を撮ったんだけど、そこで深い信頼関係を結ぶことができたから、それから何年が経とうが、その後も変わらぬ関係で写真を撮ることができた。ルーにとって『Transformer』のジャケットはそれだけキーになるイメージだったし、イギー・ポップの『Raw Power』や、クイーンの『Queen II』もそうだ。デヴィッドの場合は変化し続けていたから、僕だけでなく、鋤田さん、そしてブライアン・ダフィー※の3人が、デヴィッドの〈これぞ〉というイメージの写真を撮ったと言えるんじゃないかな。自分の直感もあるけど、運も良かったと思う。いい時期にデヴィッドと出会えたからね」
※『Aladdin Sane』(73年)のジャケット写真を筆頭に、70年代のボウイを撮影してきたカメラマン
――あなたが知るデヴィッドの人柄を教えてください。
「とてもナイス・ガイだよ。どんな人に対しても決して敬意を忘れない。だから、周りにいる人たちの良さを引き出すことができたんだと思う」
DAVID BOWIE INFORMATION
大回顧展〈DAVID BOWIE is〉
デヴィッド・ボウイの世界観やキャリアを総括し、そのクリエイティヴィティーを体感できる、画期的な展覧会が開催中!
4月9日(日)まで @東京・寺田倉庫G1ビル
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