フランス映画界を代表する人気作曲家、ジャン=ミッシェル・ベルナール。
名だたる監督の作品を手掛けてきた男の次なる目標は、あの日本の巨匠!
フランスを代表する映画音楽家、ジャン=ミッシェル・ベルナールが、東京国際映画祭で来日した。これまで、ミシェル・ゴンドリーやクロード・シャブロル、マーティン・スコセッシなど様々な監督と仕事をしてきたベルナールだが、最近ではサンプリング・ミュージック・ユニット、アヴァランチーズの新作『ワイルド・フラワーズ』に参加するなど活動範囲を広げている。そこで来日中の彼に、これまでのキャリアについて話を訊いた。まずは音楽との出会いから。
「家にピアノがあって父や祖母が弾いていたんだ。2歳の頃に見よう見まねでピアノを弾きだして、6歳でコンセルヴァトワール(フランスの有名な音楽学校)に入学したんだ。それまでは兄の持っていたジャズのレコードをよく聴いていたよ。特にレイ・チャールズが大好きで、後に彼と一緒にステージに立った時は不思議な感じがしたね」
学校卒業後、ジャズ・ピアニストとしてキャリアをスタートしたベルナールは、レイ・チャールズのツアー・バンドのメンバーに採用されて「親子のような絆で結ばれた」らしい。そして、ベルナールはジャズの仕事をする一方で、サントラの依頼も受けるようになる。そんななかで、運命的な出会いをしたのがミシェル・ゴンドリーだ。
「高校時代の親友がパリで暮らしていた時、ミシェル・ゴンドリーとシェアハウスしていたんだ。彼らの家に遊びに行った時には、ミシェルの部屋に置いてあるハモンド・オルガンを弾いたりしてたよ。その頃、ミシェルはビョークのミュージック・ビデオなんかを作っていたと思うけど、僕はまったく知らなかったんだ(笑)」
ゴンドリーのデビュー作『ヒューマンネイチュア』(01)の時に声をかけられ、それ以降、『恋愛睡眠のすすめ』(06)、『僕らのミライへ逆回転』(08)のサントラを手掛けたベルナール。彼はゴンドリーとのコラボレートを、こんな風に振り返る。
「ミシェルは結構、頑固者なんだ。そして、僕も頑固者(笑)。だから意見がぶつかることが多いけど、彼は良いアイデアの場合はすぐ認めてくれる。どちらも映画のことを第一に考えているから、そうやって意見を闘わせることは重要なことなんだ」
そんななか、『恋愛睡眠のすすめ』のサントラに関して、こんなエピソードを明かしてくれた。
「このサントラは、珍しく映画を作る前に脚本を読んで作曲したんだ。ミシェルからは『モートン・フェルドマンみたいなスタイルで』と言われたけど、僕は誰かのマネをするのが嫌いだから、自分がフェルドマンの音楽を聴いた時に感じた印象を手掛かりにして曲を作ったんだ」
ゴンドリーとは「カジュアルな友好関係で結ばれている」と語るベルナール。その一方で、スコセッシとの作業とはどうだったのか。ベルーナルは『ヒューゴの不思議な発明』(2011)のサントラに曲を提供した時のことを振り返ってくれた。
「スコセッシは20年代のフランスの流行歌を使いたかったみたいだけど、著作権の関係で使えなかったんだ。それで僕に似たような曲を作ってほしいと依頼してきた。ミシェルとは違って、スコセッシは自分がどんな音楽が必要か明確にわかっていて、必要な曲を細かく説明してくれたよ。曲の流れや歌詞の内容も事細かにね」
そして、個人的に気になっていたのがアヴァランチーズとの関係だ。アルバムへの参加の経緯について訊ねると、そこには彼の息子の働きかけがあったらしい。
「メンバーからメールが来ていたんだけど、僕は彼らのことを知らなくて無視していたんだ。でも、そのメールを見た息子が驚いて『スゴい! やるべきだよ』って彼らの音楽を聴かせてくれた。それで彼らに興味を持って参加したんだ。3年くらいかけて彼らの送ってきた音源に、楽器を加えたりアレンジをしたりした。そして、彼らには『ギャラはいらないから私の作品をミックスしてほしい』と頼んだんだ」
ちなみに彼の息子はDJで、日本の70~80年代の音楽が好きだとか。そこには母親(ベルナールの奥さん)が日本人だということも影響しているに違いない。ベルナールも日本のカルチャーには興味を持っていて、最後にこんな夢を語ってくれた。
「いま、すごくやってみたいのが日本のアニメーションの音楽なんだ。宮崎駿監督の作品と久石譲の音楽は息がピッタリあっていて、あんな風に共同作業できたらいいね。よかったら、宮崎サンに紹介してくれないかな?(笑)」
もちろん、そんなツテはないけれど、夢が叶う日が来るのを楽しみに待ちたい。