カマシ・ワシントンやジ・インターネットのサポート・アクトを務め、ロバート・グラスパーからホセ・ジェイムズ、さらにはスティーヴィー・ワンダーまでが称賛を贈るトリオ、ムーンチャイルド。新世代ジャズやネオ・ソウルを通過したアンサンブルを敷きつつも、フロントウーマンを務めるアンバー・ナヴランのたおやかな歌声はポップスとしての心地よさも醸しており、その穏やかでメロウなサウンドはさまざまなジャンルのリスナーを魅了してきた。今年の5月には、3作目となる最新作『Voyager』を発表。秋には、9月23日(土・祝)~24日(日)に横浜・赤レンガ倉庫特設会場で開催される〈Blue Note JAZZ FESTIVAL in JAPAN 2017〉への出演&9月25日(月)~26日(火)に東京・丸の内COTTON CLUBでの単独公演を組まれた来日を控えている。今回は、ジャズ評論家の柳樂光隆がムーンチャイルドを解説。究極の〈いそうでいない〉バンドと彼らを評する柳樂に、その理由を教示してもらった。 *Mikiki編集部
とにもかくにも終始メロウで、ただひたすらに気持ちいい
南カリフォルニア大学のジャズ・スクールで結成されたムーンチャイルドは、ヴォーカルとフルートとテナー・サックスを担当するアンバー・ナヴラン、アルト・サックスと鍵盤を担当するマックス・ブリック、トランペットと鍵盤を担当するアンドリス・マットソンの3人によるプロジェクトだ。つまり、メンバー各自が複数の楽器を使い分けているばかりか、それぞれが管楽器を演奏している。ヴォーカリストであるアンバー・ナヴランまでもが、管楽器を担当しているというのは、なかなか珍しい編成だと思う。
彼らのサウンドは、一般的にネオ・ソウルを引き合いに出されることが多い。エリカ・バドゥのカヴァーもしているし、実際にそういう部分もあるにはある。ただ、それだけでムーンチャイルドの音楽性をネオ・ソウルと乱暴に括ってしまうのは、ロバート・グラスパー・エクスペリメントのことをR&B/ネオ・ソウルの文脈だけで捉えようとすること以上に、大きな違和感を覚えてしまう。
いまやJ・ディラからインスパイアされたビートを生演奏で叩くドラマーも、その演奏に合わせて、濁った音色でもたったリズムを鳴らすベーシストも珍しくなくなった。同じように、ディアンジェロやエリカ・バドゥらの楽曲にあった響きを取り入れるアーティストも巷に溢れかえっている。こうしてネオ・ソウルの根幹をなすサウンドの構造が解析され、手法として広く共有されていったことで、そのサウンドに宿っていた諸要素は〈ジョン・コルトレーン以降のモード・ジャズにおけるサックス奏法〉だったり、〈バーナード・パーディー以降のファンクのドラミング〉などと同じようなものになったと言えるだろう(唐木元さんに教えてもらったのだけど、YouTubeで〈neosoul chords〉と検索すると、ネオ・ソウルのメソッド解説動画が山のように出てくるので、気になる方は調べてみてください)。
そのなかで、〈グラスパー以降〉に台頭した意欲的なミュージシャンたちは、ネオ・ソウルの遺産から必要なものだけを採り込みつつ、名状しがたいオリジナルなサウンドを手にしてきた。そして、このムーンチャイルドもまた、ニュー・アルバム『Voyager』で新しい何かを形にしている。ただし、それはネオ・ソウルをジャズの視点から再構築したホセ・ジェイムズや、ネオ・ソウル的なリズムを軸にビート・ミュージックなどの要素を大胆に採り入れたハイエイタス・カイヨーテとは新しさの種類が異なるものだ。
ムーンチャイルドが彼らと比べて独自性を感じさせるのは、ブラック・ミュージックっぽさがあまりしないことと、リズムがトピックになっているわけではないこと、この2点が鍵なのではないかと思っている。そもそも、冒頭でも触れているように、ムーンチャイルドには正式メンバーにドラマーがいないのだ。
ここ数年のネオ・ソウルとジャズ、ヒップホップの交わりといえば、リズムの拡張が大きく取りざたされてきた。ディアンジェロにしろ、ロバート・グラスパー及びクリス・デイヴにしろ、ハイエイタス・カイヨーテやUKのジョーダン・ラカイにしろ、ズレていたり、なまっていたり、突然リズムが切り替わったようなエグいエディット感を生演奏で表現したりと、どこかしら尖っている部分があって、そういったビートを流暢に取り入れているのが特徴的だった。しかし、ムーンチャイルドの音楽には、そんな尖った雰囲気がほとんど感じられない。J・ディラ的なリズムの要素もあるにはあるのだが、それが前面には出ておらず、先に挙げたような面々のようなトリッキーさは希薄だ。とにもかくにも終始メロウで、ただひたすらに気持ちいい。