ALL YOU NEED is WACK and SCRAMBLES
[特集]WACK×SCRAMBLES、祝3周年!
数々の名曲を世に送り出しながら音楽シーンを騒がせ、エモい涙と笑いと怒り(?)を巻き起こして幾星霜――星を見上げてばかりのチームはここまで大きくなった!!

 


 

絶対に一緒にやりたかった

――そもそも『WACK & SCRAMBLES WORKS』を作るきっかけは何だったんでしょう?

渡辺淳之介「最初はBiSHのディレクター、avexの篠崎さんからの提案で、〈せっかく3周年だし、集大成として何か作りませんか?〉みたいなノリで、飲みの席ですよね、たぶん」

松隈ケンタ「〈ご祝儀代わり〉って言ってくれよったね(笑)。俺が聞いたのは、アヤ・エイトプリンス(GANG PARADE)がカラオケで“ラバソー ~lover soul~”歌ってて、その予約画面か何かの写真をTwitterで俺に送ってきてくれて、それを篠崎さんが見てたのかな。それをちょっと覚えてたらしいんですよね。で、3月のWACKオーディションの歌唱審査でアイナ(・ジ・エンド:BiSH)に“Plastic 2 Mercy”歌わせたらカッコ良くて、〈おもしろいな〉ってなって。それと〈3周年のご祝儀〉がドッキングしたみたいで」

VARIOUS ARTISTS WACK & SCRAMBLES WORKS avex trax(2017)

――オーディション合宿は、他のグループの曲を歌ったり、曲の奪い合いもあったのでニコ生も盛り上がってましたし。

松隈「合宿が大きいかもしれないですね。曲交換のアイデアもそこから出たんよね」

渡辺「そうっすね。やっぱ僕の中ではチームでやってる感じを出したくて、〈BiSHが好き〉っていうとこから〈WACK、SCRAMBLESが好き〉みたいになってくれるのが理想なので、そういう意味で言うと〈良いタイミングで出してもらえるな~〉って感じてます」

――選曲や人選は松隈さんですか?

松隈「俺がだいたい決めて、皆さんに相談して。WACKの子らはみんな声の個性が出てるし、今回はいつもと違って曲がある前提なので、〈この歌詞を、このメロをこいつに歌わせたい〉とかディレクションを考えられておもしろかったです。EMPiREはまだ把握しきれてないとこもあるけど。“Nerve”で〈これ誰だっけ?〉とか言ってね(笑)」

渡辺「でも、いま考えると不思議な話ですけど、BiSHも最初は〈これじゃ誰が誰だかわかんないっすよ〉みたいに言ってましたからね。最初のBiSに慣れちゃってて」

松隈「そうね、BiSはデコボコやったからね、みんな声が違って。でも、今回は楽でしたよ、昔なら〈こりゃ大変だな〉ってなったけど、みんな上達して歌えてるんで。スケジュールは鬼の短期間でしたけどね」

――そんな二人ですけど、そもそもの発端は松隈さんがバイトしてたスタジオに渡辺さんが社員として出入りされてて……という2008年ぐらいの話ですよね。そのへんは渡辺さんの伝記などに詳しいので省略しますけど、渡辺さんがその後つばさプラスに入社されてからも交流を切らさずにいたという。

渡辺「絶対に松隈さんと仕事がしたいと思っていて。聴かせてもらった曲がどれもホントにカッコ良くて、〈何か一緒に作れたら楽しいだろうな〉っていうのが一番だったんですよ。なので、〈とりあえず一人前になって、自分がCD作れる状態にするんで、1年ください〉って言ったのかな? まあ、1年じゃ足りなかったんですけど(笑)」

松隈「僕はスタジオのバイトを続けて、たまに飲んでは情報交換とかしてて、ちょくちょく提案くれたりとかね。でも火種にはならず」

渡辺「とにかく繋いでおきたくて、ホントに何かと理由をつけてメシ食っては、デモ聴かせてもらって。覚えてるのは、1月2日ぐらいに会社で仕事してたら、松隈さんも帰省してなくて〈用賀で飲んでんだけど来ない?〉って呼ばれて」

松隈「はいはい。1月2日やったね」

渡辺「はい、用賀のバーで〈今年はちゃんとやりましょう〉っていう話をした気がする」

――それがプー・ルイさんを手掛ける前の、2009年のお正月。

渡辺「そう、まだ丁稚奉公のような状態で(笑)。その後〈好きにやっていいぞ〉って言われて開いたオーディションにプー・ルイがくるんです」


この曲が売れない

松隈「でも、こうやって思い出してると、いろいろやっとったね。TV用に青山テルマちゃんのバック・バンドを演ったりとか、スコット・マーフィとか、その時は音楽絡みなら来た話は全部受けてました」

――その時はもうバンド志向はなく?

松隈「上京してきた時お世話になったcuneの生熊耕治さんとのバンドでギターを弾いたり、サポートという感じで演奏はしてました。ただ、自分は裏方志向が強かったし、作曲だけでは食っていけない時代が来るっていうのはわかっていたので。作曲は売れないとお金にならないけど、編曲とプロデュースは技術に対してお金がいただけるっていう。だから、中田ヤスタカさんが自宅でミックスもマスタリングもやっちゃうみたいな時代が来てて、自分はそれをバンド側の立場からやりたいと思って勉強してた時期で」

渡辺「松隈さんは早かったっすね。いまコンペをやると誰でもDTMでキレイなデモを作ってくるんですけど、僕がつばさで川嶋あいをやってた頃とかは、作曲コンペをやっても届くデモの状態がバラバラだったんですよ。でも、10年前からクォリティーが高かったんです、松隈さんのデモは」

松隈「アレンジまで仕上げてたよね? 10年前って、J-Popからエレキ・ギターの音が流れてこなくなってたような時期で、俺もアコギのアレンジとか、R&Bっぽい曲とかダンス・ミュージックとかいろいろ作るようにしてたんです。それが現在に活きてるんですけど。で、その頃にたまたま〈作家さんの好きなようにロックな曲を作ってください〉っていうコンペがあったので、久々に好きに作ったのが柴咲コウさんの“ラバソー~lover soul~”だったんです。たまたま自分の得意なとこで拾ってもらえた」

渡辺「デモのアレンジが凄いカッコ良かったんですよ。だから〈アレンジも松隈さんなら良かったのに〉って思ってました」

松隈「まあ、アレンジが不採用だったのは〈まだコイツは編曲を知らないし、ペーペーだからプロに任せよう〉ってとこですよね。だから今回の新録は、世に出てるオリジナルにも敬意を表しながら、僕の元のデモにあったコード感とかも活かして、SCRAMBLESでリアレンジしたみたいな」

――その時の落とし前というか、音的にも意味のあるカヴァーっていうことですね。

松隈「そうなんですよ。これで喉のつっかえが取れたと言うか」

――これは大ヒットになりました。

松隈「ただ、まだ当時は、昼はスタジオで、夜勤で牛丼作って、またスタジオ、って休みなしでバイトしてて。よくあるやつですよ、牛丼作ってたら〈ラバソー〉が流れてきて……〈ヘヴィーだな〉って。〈これ決まっても食えんのか、俺〉っていう」

――時系列でいうと、プー・ルイさんの『みんなのプー・ルイ』(2010年)が出て、その後に中川翔子さんの“フライングヒューマノイド”が続きます。

松隈「しょこたんチームの方々が〈ラバソー〉を聴いて誘ってくれて、“フライングヒューマノイド”をやる前に、まずは編曲をやらせてもらってたりしてました」

渡辺「“フライングヒューマノイド”は良い話があるんですけど、松隈さんと養老乃瀧のカウンターで飲んでる時に、〈これは凄い良い曲だから、プー・ルイに歌わせたいんだ〉って。僕も最初に聴いた時から大好きで、凄く大事な曲だっていう認識は共有していて……」

松隈「もっと言うと、Buzz72+のメジャー契約がなくなった時期に、〈俺はこういう曲を作ってくから、力をつけてメジャーに戻ろう〉って書いてメンバーに聴かせてたのが“フライングヒューマノイド”なんですよ」

――それが10年前、2007年なんですね。

松隈「そうそう。結局は半年後にヴォーカルが脱退するんだけど(笑)。Buzz72+の最後の曲だったんですね、言うたら。それを後から作り変えたのを淳之介にも聴かせてたんです」

渡辺「プー・ルイもデビューしたけど売れず、僕も悩んでて。その時に松隈さんが〈“フライングヒューマノイド”歌わせようよ〉って言ってくれたんすけど、その時に僕が〈凄く欲しい曲だけど、いまここでプー・ルイに歌わせてしまったら、この曲が売れない〉」

松隈「って言ったよね。〈絶対に他で決まるから、取っといたほうがいい〉って」

渡辺「そしたら、しょこたん決まったんで、〈やったぜ、俺カッコイイこと言ったな〉っていうストーリーなんですけどね(笑)」

松隈「プー・ルイはそのへんの事情を初めて聞いたみたいな感じやったけどね」

渡辺「あ、ホントっすか? 当時は関係が冷えきってて、喋ってなかったかな(笑)。いまも別に仲は良くないですけど」

――“BEST FRiEND”じゃないですか(笑)。

渡辺「(笑)まあまあ、いまなら絶対に貰ってる曲ですけど、その時のプー・ルイは全然知られてなかったし、松隈さんの曲を人に聴いてほしい気持ちがあって、〈もったいねえな〉っていう感じがしたんですよね」

松隈「しょこたんはもう、すぐ決まったもんね。でも、たまたま10年前に、10年後を歌った曲を書いてて、これは凄いことだなと震えましたね。自分で言うとナルシスティックな話にはなっちゃうんですけど。今回は〈歌詞が前に出てくるような歌い方をできる子たちに歌ってほしいな〉ってのを重点的に振り分けましたね。モモコとかリンリン、ペリとプー・ルイ、あとミキちゃんとユア! うまく歌うより、言葉が飛び出てくるような、っていう雰囲気で歌ってもらいました」


 

BiS

チームで作りたい

――それからBiSの結成に繋がります。

渡辺「BiSのファーストはホントに松隈さん宅の一室で、冷房付けながら録った覚えがある。歌ってる横にみんな座って、歌ってるのを全員で見てるんすよ、〈この音、入って大丈夫なのかな?〉みたいな(笑)」

松隈「そう、〈みんな静かにしろ〉って言いながら。僕の自宅の一室で。プー・ルイのソロの時はまだワンルームだったけど、その頃には作業部屋がひとつできてたんで」

――BiSの初作に参加したチームがSCRAMBLESの前身みたいな感じになったんですよね。

松隈「そう、曲が採用していただけても、作曲家っていうのは基本的にアレンジに入り込んだり、スタジオ・ワークには呼ばれないんですよ。で、やっぱ作曲家の先に行きたかったんですね。自分の好きなプレイヤーと自分の好きなテイクを録りたいし、〈だったらもう自分らでやっちゃおう〉と。で、好きなミュージシャンの友達を集めて作ったのがBiSの最初のアルバム。それを作り終えて〈バンドみたいな感じで、チームでやろうよ〉って。それがSCRAMBLESの原型みたいな感じです。井口(イチロウ)、Schtein&Longer、miifuuとか。もう井口しかいないけど(笑)」

渡辺「井口さんは松隈さんのHPに〈弟子にしてくれ〉って連絡してきて。松隈さんがつばさに連れて来てくれて初めて挨拶した日に、3人で飲みに行ったんすよ。そしたら〈弟子にして〉って言ってる人が最初に寝てて、〈この人、大丈夫かな?〉って思ったんですけど」

松隈「アイツ、いまだにそうやけん(笑)」

渡辺「でも、井口さんが凄かったのは、スパルタで〈1日で曲を上げろ〉って言われたらホントに上げてきたり、技術がすんごい上がりましたよね。けっこう井口さんの曲は好きです。ハマると使ってくれる人も多いし、たぶん松隈DNAもいちばん強い」

松隈「まあ、弟子の曲はあんまり好きじゃないけど(笑)、BiSHの“My distinction”とか“Primitive”は良いよね。ただ、最近はちょっと制作スタイルを変えて、みんな〈アレンジを死ぬ気でやれ〉というところで鍛えてるというか。これからはアレンジができないと商売にならないし、結局アレンジの一番上の歌メロを作った人が〈作曲〉ってなるだけなので、実際は全員で同じ作業をしてると思います。やっぱ漫画家の先生の」

渡辺「ペン入れみたいなもんですよね?」

松隈「そうそう、最後に松隈先生が目だけ入れるみたいな(笑)」

――誤解を招きますよ(笑)。

松隈「まあ、でもそんな感じですよ。俺がいっぱい曲を作ってるっていうより、SCRAMBLESのみんなでいっぱい作ってるっていう意識が強いので。日本だと作詞/作曲/編曲に分かれるけど、海外の作品だと10人くらい〈ソングライター〉が並んでて、そういう感じじゃないですか」

――海外はオケとメロの作者を分けなくて、もう均等に〈共作者〉みたいな感じですし。

渡辺「それこそギャンパレの新作でユアが初めて作曲をしてますけど、オケがあってメロを書くってのはそういう作り方ってことですよね」

松隈「あれはおもろかったよね。初めての試みで、SCRAMBLESで何十曲かトラックを用意して好きなの選んでメロを作ってみて、って。メンバー全員と、実は渡辺君も、マネージャー君たちも作ったんですよ。それで70ぐらい集まったメロディーを聴いていったらユアの曲が残ったんですね。別に話題性を狙ってクレジットをあげるとかじゃなく、ガチでコンペをやって」

渡辺「普通に残りましたね」

松隈「あとおもしろいのは、うちのエンジニアの沖(悠央)も採用されたんですよ(笑)」

――“Are you kidding?”良いですよね!

松隈「はい、エンジニアなのに良い曲作ったっていう斬新な結果で。井口とか落ちてるのに(笑)。良いものを作る試作として、こういうことは今後もやっていきたいですね」


3年の歴史によって

――そんなSCRAMBLESが法人化されて3周年ということで。

松隈「3年前に会社になりました」

――その2014年はBiSが解散してWACKができた年でもありますけど、最初の曲がプラニメの“Plastic 2 Mercy”で。

渡辺「WACK最初の曲ですね」

松隈「BiSはずっとロックでやってきたので方向を変えたいなってとこもあり、あとプラニメはメンバー発信でアニメとかの世界観で行きたいっていうテーマも最初はあったんで、シンセをメインに画が浮かぶような音にしたかったんですよ。時期的にEDMが流行ってたし、ちょっと振り切ってみた感じもありました」

渡辺「“Plastic 2 Mercy”は、曲が出来た時に〈ヤベエ、これ一気に行っちゃうんじゃね?〉と思ったんすけど、まあそうはならなかった(笑)」

――でも、この曲は息が長くて、ギャンパレの新作にも入ってますし、この〈WORKS〉に入るので5ヴァージョン目ですよね?

渡辺「そうなんすよね(笑)。やっぱ、歌い継がれていく曲があるのって凄いなと思っていて、インパクトが凄くあったんだなって」

――BiSHの始動はそれから半年後になります。今回はお二人がbeat mints boyzとして“スパーク”を歌ってて、MVも撮られました。

渡辺「ジャケ写を撮る時もそうだったんですけど、MVの撮影でパッて起きた時に、何か〈え、俺の事務所、3年でこんなにいるんだ〉と思って、けっこう感慨深いものがありました。この先、俺への恨みに変わる奴も何人かいるんだろうな……とか気になっちゃいましたね(笑)。あと、松隈さんが俺の葬式には〈きっとスーツは着ないから〉って、MVで革ジャンだったっていうのが、凄いエモーショナルな感じしましたね」

松隈「あの、忌野清志郎さんの葬式に甲本ヒロトさんが革ジャンで行ったっていうのがあって……渡辺君が死んだら、俺も革ジャン着てこうって考えとったんよ、実は。そうしたら(MVで)死によったから、わざわざ買ったんだよ、高いの」

渡辺「ねえ? 高いの買ってましたね」

松隈「だから、本番の時もそれで行きます」

渡辺「はい、ぜひ」

――はい。その後の“オーケストラ”や“gives”になるともう最近の曲っていう感じがしますが……そういえばプー・ルイさんが前に何かで話されてた、松隈さんがプー・ルイさんのために取っていた〈オーペニス〉って曲は“gives”のことですか?

松隈「ああ、それは違います。取っといた〈オーペニス〉は“NAKODUB”のことですね」

渡辺「“gives”は〈激しく竹野内豊似です〉ってっていう仮題でしたね(笑)。“gives”で松隈さんに言われたのは、せっかくアルバムだし、インパクト重視じゃなくて〈何度も何度も聴いて良くなる曲にしたい〉って」

松隈「サビのメロディーがあった後に、同じメロをピアノで弾くっていうアレンジをしていて、僕はあんまりやんないんですけど、それが繰り返されて、エンディングでもまた同じメロがくる。そうすることで、輪廻転生みたいな、〈繰り返される葛藤〉みたいな曲にしたいなと思って。あんまりスルメ曲って狙って作れないけど、これは珍しくスルメを焼いた感じですかね、あえて」

渡辺「リード曲は別で考えてたんですけど、珍しく松隈さんから〈こっちがいい〉って」

松隈「この曲が出来て、新しいBiSに四番打者が入団したみたいな感じがして。前のBiSで言うと“My Ixxx”とか“primal.”とか、方向性がキュッとする瞬間の曲かなと思いましたね」

――なるほど。そして、〈WORKS〉最後の曲が“屋上の空”、これはBuzz72+のメジャー・デビュー曲だったものですね。

松隈「実はディレクターの篠崎さんが、当時のアシスタント・ディレクターだった縁もあるんです。ドラムとベースはもう福岡に帰ってるんで、今回は僕が行って録ったんですよ。原曲に入ってないストリングスは、うちらの“オーケストラ”とか、それこそ“primal.”の時期からずっと一緒にやってくれてる門脇大輔に入れてもらって。何か10年前のバンドをプロデュースしてるような、自分をプロデュースしてるような感覚で、だからホントに貴重な不思議体験に近い感じがしましたね」

――メジャー・デビュー曲にしたってことは、これは当時の勝負曲だったんでしょうか?

松隈「うるさいバンドなのに、これはバラードというかミドル曲なんで、デビューする時も話し合いになりましたね。これを書いたのは2003、4年ぐらいで、もう福岡では200~300人のワンマンやれてる状態だったんですよ。で、そういう頃にツアーで回ってた先に病気の友達の分もサインを貰いにくるファンの女の子がいて、そのライヴハウス行くと同じ子がいつも友達からの手紙もくれたり、僕らもメッセージ書いたりしてたんです。それで、ある時に〈次は退院して来られそうです〉って聞いてたんですけど、次行ったらその子が〈連れてこれんかった〉って泣くんです。聞いたら、もう先がないから、特別に許可を貰ってライヴに来るはずだったのが、間に合わんかったと。それで作ったのが“屋上の空”なんです。この曲がきっかけでプロデューサーのCHOKKAKUさんに気付いてもらえて上京することになったんで、僕も思い入れの強い……そんな曲ですね、これは」

――そういう裏話があったんですね。

松隈「まあ、当時マンション管理人のバイトをやってまして、そのマンションの屋上でサボりながら作ったものなんですけど(笑)」

渡辺「だいたいサボってますね(笑)。てか、だいたい暇そうな職を選んでるんですね」

松隈「そうそう、楽器屋さんとかね。隙を見て、それで名曲が出来上がるのよ(笑)」

渡辺「でも、改めて聴くと、松隈さんも僕もセンティメンタリストなんですね」

松隈「あ、そうだね。おセンチだね」

渡辺「ホント、見た目は斜に構えてるんですけど、けっこう真っ直ぐなのかな」

――ロマンティストだと思ってますよ(笑)。ちなみに、12月の〈WACKのフェス。〉では本作からも披露されそうですか?

渡辺「“スパーク”はやるでしょうね」

松隈「やろう。beat mints boyzでオープニング・アクトでもいいよね。ハシヤスメに後ろで踊ってもらおうか(笑)」

渡辺「それ、また怒られますから(笑)」

EMPiRE

――年内のリリースはこれが最後だとして、年明けにはまずEMPiREですか?

渡辺「たぶんEMPiREはまだ少し先になると思います。BiSHもまたツアーが始まるし、ギャンパレもアルバムが出せて、やっと確変に入るサインみたいなのが出てきたし。あと、BiSは3月に国技館で、メジャー・デビューの時期も調整中で……ちょっと年間計画を組まないと、また秋にリリースが集中しそうですけど……まあ、結局ズレちゃいますかね、やっぱり人間なんで(笑)」

松隈「いろんな事務所からの話が重なって渋滞するのはわかるけど、なぜ同じWACKから同時に来んの?ってのがウケるよね(笑)」

渡辺「ポンポンきたお話を僕たちも嬉しくなって〈やろう! やろう!〉って受けちゃうからでしょうね」

松隈「だね。EMPiREがどうなるのかっていうとこもあるけど、しばらくアルバム的なリリースは空くのかもね」

渡辺「ただ、それもこれも、松隈さん、SCRAMBLESワークスがあるからこそ、僕が遊べるんで。これで曲がSCRAMBLESじゃなかったら、まず全裸PVの時点でコケてたと思うし(笑)。『WACK & SCRAMBLES WORKS』はその歴史がホントに感じられるなっていう気はしますね。だって、“屋上の空”から、もうBiSHで出してても全然いい曲じゃないですか? だから、松隈ケンタの才能っていうのは、そういう意味で言うと10年変わってないんですよね」

松隈「変わってないよね。それは思った。〈同じコード進行だな〉って思った。〈同じアプローチしてんな〉って(笑)」

渡辺「ハハハハハ! そう、松隈節はまったく変わらないっていう」