Photo: Eric Manas

シューマンに必要なのは“苦しみを経てからこそ得られた無垢”そのもの

 ルイサダによるシューマン・アルバムは、《謝肉祭》を中心に据えた前作から10年ぶり。今回は、2つの彼にとって“もっとも好きな作品”が収録されている。

 「時間が必要だったんです。今では、前回のアルバムでの演奏は、表現しているのは自分だけで、シューマンが表現されていないとさえ感じています」

 確かに、ギラギラと色彩があふれていた《謝肉祭》の演奏とは違い、恐るべき繊細なタッチから、シューマンならではの色調や陰影感を浮き上がらせる。いったいこの10年のあいだに何があったのか。「すべてが変わりました。自分はもちろんのこと、時代も。現在の私が惹かれているのはシンプルであること。色々な効果を狙うのでなく、本当にシンプルなものを見つけるというのは、大変だと思うようになったんです」

 シューマンを演奏するには、「無垢さ」が必要なのだと彼はいう。「モーツァルトの音楽は、子供には簡単かもしれませんが、大人が弾くには難しい曲なのです。シューマンも同様です。こういう曲は初見で弾くと、完璧な、穢れのない美しい形で演奏できるのですが、練習を始めた瞬間に完璧さから遠ざかっていく。最初に弾いたときのイノセントな弾き方を見つけ出すのに、何ヶ月、何年も経ってしまうものなんですよ」

JEAN-MARC LUISADA シューマン・アルバム~ダヴィッド同盟舞曲集&フモレスケ Sony Classical(2018)

 《ダヴィド同盟舞曲集》では、フロレスタン(情熱的)とオイゼビウス(内省的)のコントラストを際立たせるのではなく、それらが同一人物に宿っていることを示唆するかのように、その繋がりがよく伝わってくる。「二つの性格は、絡み合うような会話であったり、闘いだったりします。この綱渡りのような均衡を保ったままで曲は進みます。そして、最後から2番目の曲で、双方が同じ位置に立ち、永遠に続く平和を表すのです。それは死後の世界かもしれませんが」

 《フモレスケ》も、そのクリアな響きのなかから、複雑なニュアンスが香り立つ。「笑いながら泣いているといった様々な感情が交錯し、爆発する」というこの作品、やはり「できるだけ自然な形で、その美しさを表現したかった」という。

 2つの大曲のあいだに、3つの小品が収められている。「《トロイメライ》は2年前に他界した母が一番好きだった曲で、彼女へのオマージュでもあるんです。でも、この曲の録音がいちばん大変だったんです。この曲が含まれる《子供の情景》は私にはとても難しく、15の悪夢のような組曲なのですから。《メロディ》と《楽しい農夫》は、人生で最初に弾いた曲で私のルーツです」。それらは「苦しみを経てからこそ得られた無垢」そのもの。2つの大曲という「大きな崖の真ん中で」可憐に咲く「美しい花」だ。