シャムキャッツの新作『Virgin Graffiti』は〈いなくなること〉についてのレコードだ。それは、文字通り〈別れ〉を歌った作品であり、こんな世界からさっさとおさらばしちゃおうぜ、と〈逃避〉を耳打ちするアルバムでもある。さらに加えるなら、これは、悩みを抱え傷つき続け、にもかかわらず、その優しさゆえに、いまいる場所から足を踏み出すことができない〈あなた〉へ向かって、〈もういいよ〉と手をとり、別の世界へと連れ出してくれる音楽だ。
それゆえに、サウンドの質感はいつになくサイケデリックでトリッピー。ビッグなアンセム“このままがいいね”、メロウでさりげない名曲“カリフラワー”という2つのシングルはもちろん、ハウス・ミュージックを下敷きにした“逃亡前夜”、バンド持ち前の甘やかなバラードをアラバマ・シェイクス以降の音作りでモダナイズした“俺がヒーローに今からなるさ”、さらにはドライヴィンなサウンドでロック・バンド・ライフを歌った“BIG CAR”など、収録された13曲いずれも個性が際立っている。前作『Friends Again』(2017年)が、バンド4人のアンサンブルに焦点を当てたフォーキーな装いのアルバムだったのと比較するなら、今作は音作りの面でもカラフルな仕掛けの多い、プロダクション重視の作品とも言えるだろう。
聴き手を〈ここではないどこか〉へと運ばんとする、このアルバムの力強さ、逃避的な作風の背景には、シャムキャッツが初のアルバム『はしけ』(2009)でデビューする以前から、バンドに連れ添い、苦楽を共にしてきたマネージャーとの離別があったという。詳しくは以下のインタヴュー本文に譲るが、彼らの活動において、もっとも大きな別れを経ることで、バンドはあらためて、ポップ・シーンにおける自身のアティテュードを、さらには現在の若者がどのような生きづらさを感じ、バンド・ミュージックはいかに彼らをアップリフトできるかについて、考えざるをえなかった。はたして、シャムキャッツが見つけた答えとは? 彼らが『Virgin Graffiti』に託したメッセージについて、メンバー4人に訊いた。
人が動き出したり、表情が変わったり、何かポジティヴな要素を音楽で与えたいと思った
――バンド・サウンドのシンプリシティーを突き詰めた前作『Friends Again』と比較して、今作は楽曲、音作りとも実に多彩なアルバムになりました。2作の間には、どんなモードの変化があったんでしょうか?
夏目知幸(ヴォーカル/ギター)「『Friends Again』を作ったことで、メンバー4人が均等に並んで、非常にシンプルなアンサンブルで作品を作り上げるってことに関しては自信が持てたんだよね。あの作品を作ったときの自分の心象としては、前のインタヴューでも話したけど、〈この世界はあんまり甘くない〉というか、〈明るい未来なんてないぞ〉という視点を作品に定着させようという気持ちがあった。
だけど、それをやり終えてツアーを回ったとき、お客さんの顔とかを見ていると、もうちょっと元気の出せるものも作れるんじゃないか、僕たちも人にパワーを与えられるんじゃないかっていう気持ちがちょっと湧いてきたんです。次、作品を作るなら、人が動き出したり、人の表情が変わったり、何かポジティヴな要素を音楽で与えたいというのはあった。そういうマインドの変化が、まず“このままがいいね”になり、それ以降の作品に繋がっていく」
――“このままがいいね”は、(ブルース・)スプリングスティーン的と言うか、力強い疾走感を備えたロックで、『Friends Again』からのネクスト・ステップを感じました。
夏目「前作のモードから変わりつつあったけど、まだ下地としては『Friends Again』の作風が濃く残っていた面もあって、制作当初は、みんなを焚きつけるようなビートや音像というより、もうちょっと静かに踊らせるような楽曲をめざしていた。
僕がメンバーに〈こういう感じが良いんじゃない?〉と聴かせたのは、アマソンというスウェーデンのバンド。彼らに、マイナー調のコード進行で、まぁ“このままがいいね”よりは遅いんだけど、静かにずっと踊れる曲があって。2、3年前くらいから、僕はどういうわけかクラブ・ミュージックばっかりを聴く人間になっているんだけど、バンドでクラブ・ミュージック的なアプローチをやるにあたって、最初に参考にしたのがアマソン。で、わりと暗い曲調のデモをみんなに出したんだけど、〈せっかくなら明るいほうがいいんじゃない?〉ってシンプルな助言をもらって(笑)。ドラムのパターンはそのままに、BPMを少し早くして、仕上げていった」
大塚智之(ベース)「俺はLCD(サウンドシステム)かと思ってた」
夏目「LCDやニュー・オーダーもあったけどね。いちばん最初の取っ掛かりはアマソン」
藤村頼正(ドラムス)「俺のドラムに関しては、ウォー・オン・ドラッグス的な疾走感を意識していたかな。荒野を駆けるみたいな(笑)。スネアが重たい感じとか、音作りの面でも参考にして」
――菅原くんはギタリストとして、もう1人のソングライターとして、この楽曲をどう描いていました?
菅原慎一(ギター/ヴォーカル)「俺は、“このままがいいね”に関しては、あんまり曲に対する具体的なイメージや想いとかはなくて。シャムキャッツとしてちゃんとポップスにしたい、なんかシングルが切れるような曲になればいいなとしか考えていなかったかも」
――前作がバンドの関係性にフォーカスした作品だっただけに、“このままがいいね”という曲名は、含みを持っているようにも感じました。この言葉は、そもそも永遠を感じていたら出てこないですよね? ゆえに、離別の予感をそなえた曲でもある。
夏目「まぁ僕という作家のクセではあるんですけど、常に時間が動いているということに、執着しているんです。時が過ぎていくんだということばっかりを考えている。なので、昨日や明日のことを歌うことが多いんだけど、“このままがいいね”では自分としていちばん苦手な〈いま〉というものを捉える歌を作ろうとしたんです。だから、刹那のなかでギリギリ捉えられた〈いま〉が、“このままがいいね”だった。楽曲の種明かしをしちゃうと、サビまではずっと同じコード進行だけど、サビが終わったあとにEマイナーが入るんですね。だから、やっぱり〈このままではいられない〉曲ではあるんだけど……」
大塚「シンガー・ソングライターの江本(祐介)くんが、“このままがいいね”をカヴァーしてくれていて、俺は彼のヴァージョンもめっちゃ好きなんだけど、彼が歌うと、すごく〈このままがいいね感〉が出るんだよね。それを聴いたあとに、自分たちの“このままがいいね”を聴くと、こいつらは、この言葉をまったく信じられていないなと、めちゃくちゃ感じたな」
藤村「苦みが強いよね」
夏目「もう今回、言っちゃうことにしているんだけど、“このままがいいね”を出すタイミングで8年間とか一緒にやってきたマネージャーの山口さんが体調を崩して、抜けることになったんだよね。なので、バンドとしても変化せざるをえない状況だった。内情としては、まったく〈このまま〉では立ち行かなくなっていて。2回のアジア・ツアーを行い、ホールワンマンの〈らんまん〉も開催し、シングルも2枚出したから、相当活発に見えていたとは思うんだけど、内側では必死で身辺整理をしてたんだよね」
大塚「だから、それまで以上にメンバーの4人で運営面も回さざるをえなかったし、そのうえで、バンドにやれることってそう多くはないなとも感じた。曲を作ってライヴをやってグッズを作ってとか、そういうことしか自分たちが出せるものはない。俺らは、それを積極的に出していく団体だよね。逆に言えば余計なことをしているヒマはないってこともわかった」
いま僕たちが持てる共通のテーマは、〈誰かがいなくなった〉ってこと
――『Friends Again』以降に実施した、2回のアジア・ツアーを経て、自分たちがいる日本という場所についても、より客観的に捉えることができたんじゃないですか?
藤村「やっぱり、日本はちょっと堅苦しい面が多いなという印象はありますね」
夏目「まぁどこの街に行っても、日本と比べて良いところと悪いところはあるね。ただ、僕たちみたいな音楽と活動のスタイルでやるには、日本がいちばんやりやすいなってのも感じる。でも生活のことを考えると、日本は家賃や食費は高いし給料は安いし、めちゃめちゃ暮らしにくいなとも思う。僕としては、日本の特徴がわかってきたというよりは、それ以外の国で演奏したり音楽が好きな人と関わりを持ったりすることで、音楽にできることが見えてきた感じ。
『Friends Again』では、すごく柔らかい手触りで現実をそのまま曲にして、聴き手に押し当てようとしたんだけど、ツアーを回っていくと、〈音楽ってもっともっと特別な魔法がある〉とも思えた。束の間、現実から離別するというか、逃亡させる力があるし、僕たちの音楽が、他の国でもそういうものになってるというのが、海外に行けば行くほど感じたんだよね。だから、シャムキャッツで5枚アルバムを作ってきて、自分としてははじめて、〈音楽って逃避なんだ、これを聴いている間、一緒にどっかに逃げよう〉って感覚で作った。それには結構アジアの影響は強くて」
――菅原くんはいかがですか?
菅原「うーん……ちょっと話の方向性が急に変わった気がして、亮太の質問の意図がイマイチつかめないな。俺がアジアをどう見たかってこと? それとも新しいアルバムに影響を与えたのかってこと?」
――えーと、アルバムの逃避的な側面が、どういう経験に起因したものなのかを教えてほしいってところですね。
夏目「その答えとしては、最大の要因は、やっぱり長年一緒だったマネージャーと離れてしまったってことでしかないんだよね。アルバムを作り出す最初の段階で、いま僕たちが持てる共通のテーマは、〈誰かがいなくなった〉ってことだよね、と話していたとは思う」
――じゃあ菅原くんにとっても、そのテーマが念頭にあったうえで曲を作れた?
菅原「念頭……うん、だいたいそうかな」
――なるほど。じゃあバンドにとっての大きな別れが一つ起点としてはあるとして、最初に夏目くんが言ってくれた、ロック・バンドとして聴き手の気持ちをもっとアップリフトできるんじゃないか、といった視点もメンバー全員が共有していたんですか?
夏目「知らない(笑)」
菅原「なんかね、そういうふうに誰かが思っていることを共有した感じは、今回あまりないかもしれない」
――たとえば、前作は、シャムキャッツというバンドをいかにプレゼンテーションするかを、かなりバンド内で固めて作り上げた印象だったんです。
菅原「今回は、そんな感じはないかもね」
夏目「というか僕は、作りはじめたときに、みんながあまり共有したがってないなという空気を感じていたな」
一同「笑」
夏目「いや、僕は『Friends Again』はプロジェクトとして上手くいったと思っていたんですよ。ジャケも良かったし、内容も粒が揃っていたし、ツアーも上手くいったし。だから次はもっと良い作品を作って、もう一段階評価されようという気持ちが強かったんですよね。ちゃんとシャムキャッツが歩んできた道のりをふまえて『Friends Again』があって、バンドのストーリーとして次は〈最高傑作〉を作ろうと。で、まぁ次は滑れないよなとメンバーにも言っていたんだけど、あんまり響いていないなとは思っていて(笑)」
菅原「“このままがいいね”と今作の間に“カリフラワー”というシングルをリリースしたんですよ。“カリフラワー”はただただ良い曲で、俺ら的にもめっちゃ良いと思っていたんだけど、出してみるとすごくヒットするような感じでもなかったんだよね。そこでいったん見つめ直すっていうか、現状確認とも違うけど、この方向でどうなのかな?みたいな空気は瞬間的にあったんだよ。その感じが夏目に響かなさとして伝わったんだと思う」
――アルバムの制作をスタートしてからも、コンセプトを詳細に詰めていくことはなかった?
大塚「今回のレコーディングは、仕事的にと言っていいかはわかんないんだけど、俺のなかではシステマティックにこなすって感じもあったんだよね。あんまり練習する時間もなかったし。俺は……もしかしたら藤村もだけど、瞬発力で勝負する感じだったな。夏目や菅原からもらった曲をできるだけ短時間で熟読して意図を汲んで、作り手の意図通りに演奏しようと思ってた。だけど、夏目ってこういう意図があるんだよね?といちいち確認する時間はなくて、すぐ答えを出さなきゃいけないという印象。なので、演奏面で難しいことは特にしてない」
菅原「それが逆説的に、夏目のやりたいことを共有する感じになったのかもしれないね。音を足していくうえで、彼の考えに乗るしかないじゃないですか? ホントに申し訳ない言い方だけど、たとえばバンビ(大塚)がベースを〈やったる〉みたいに気合い入れて弾くことはなかったってことでしょ?」
大塚「そうそう」
藤村「俺もそうだな。だから、いままででいちばん肩の力を抜いて作れた。その場で良い感じにやればいいなってノリで」
――たとえば、“完熟宣言”では、大塚くんと藤村くんがメイン・ヴォーカルをとられるパートもあります。バンドして初の試みではあるけれど、意外にサラッと流せるという感じ。リンゴ・スターをフィーチャーしてみたいな雰囲気ではなくて。
夏目「そうそう(笑)」
藤村「去年や一昨年に、歌えと言われたら、〈やべぇな、ちゃんと歌わないと〉と思っていただろうけど、いまはなんにも気にせずに歌えたな」
夏目「積極的にアイデアを出し合う感じではなかったにもかかわらず、不思議なことに、結果的には『Friends Again』以上に自由にやっている印象になっているとは思う。前作は、煮詰めてシンプルにしていくという作業だったから、考える時間は長かったけど、今回は考えていない。煮詰める前のフレッシュな状態で出しているんだよね」

初々しくて外向き、街の壁に描くようなフィーリング
――フレッシュと言えば、一曲目に収録された“逃亡前夜”はハウス・ミュージック・フィールを醸していて新鮮でした。ただ、具体的にどういったハウスを参照にしたのかは見えてこない感じで。
夏目「フフフ(笑)。それはむしろ正解」
藤村「実は特にハウスを落とし込んではない。ハイハットの入り方とかも、ミニマルなパターンではなくてわりとランダムというか、ちょっと手癖が入ったり入っていなかったり。だから、整理されてなくて結構人間臭いところがあると思う」
夏目「モザイカっていうテクノ系のアーティストがいて、“逃亡前夜”のタンバリンや固いビブラスラップの音とかは、ほぼ彼の楽曲をモティーフにしたと言っていい。つまり、ビートはダンス・ミュージックから持っていきつつ、アコギを鳴らして歌を入れるという実験をした。で、ミックスを仕上げるにあたっては、僕が聴いているテクノのノリや音の配置にしたかったんですよ。
ただ、エンジニアの日向さんがやってくれたミックスは結構ロックな印象で、〈これハウスなんですよ、テクノなんですよ〉という仕上がりにするのであれば、少し違和感があった。最初は、うーんと思ったんですけど、次第にいま俺らがやるのであれば、いちばん良いのかもなという気もしてきた。そうなってからの僕のイメージとしては、(デヴィッド・)ボウイの“Young Americans”や“Let’s Dance”とか、ああいうグルーヴィーなロックに寄ったイメージなのかなと思っている」
――ブルーアイド・ソウルというかね。この曲は間奏のギターもすごくロッキッシュでカッコイイですね。
菅原「あれね。でも、実はあのフレーズを考えたのは俺じゃなくて、バンビなんです。なので、俺はこの曲に関しては、何もやってないと言っていい」
一同「いやいや(笑)」
菅原「今回、実務的な面でも作曲に関しては、俺と夏目でパキッと分かれていて、お互いの曲にあんまり干渉しないって感じにはなってるね。そういう意味では、ぜんぜんバンドっぽくない感じがする作品なのかもしれない。だけど、不思議なことに、アルバムを通して聴くとすごくシャムキャッツになっている。それは前作でカチッとしたフォーマットを作りこめたからこそ、ここに到着できたのかなとも思うな」
夏目「ロック・バンドってクセで作っちゃうと前と似たような音になるんだよね。だから、ちょっとプロダクション面を変えたいという気持ちはあった。で、そのアプローチとして、これまではドラムとベースを録ってギター、それから歌という順番だったけど、今回は、まず声をどこに置くのかを念頭に、周りの音をいかに配置していくのかをイメージした。なので、メロディーや歌詞に引っ張られて、それぞれの楽器の演奏もいままででいちばん変化していると思う」
――プロダクション重視のロック・アルバムと言うと、最近ではアラバマ・シェイクスやスプーンといったバンドの作品を指すことが多いと思いますが、自分は今作にスーパー・ファーリー・アニマルズを感じたんですよ。サイケデリックでありフォーキーでもありつつ、プロダクションにはエレクトロニック・ミュージック的な意匠もあって。
藤村「確かにスーファリっぽいかも」
夏目「それは合っていると思うな。UK感って言うかね。僕から言わせると、イギリスのサイケの魅力は、アメリカにはない軽さだと思っていて、こう綿菓子みたいなサウンドっていうか。ビートとかの土臭さに関してはアメリカのほうが好きなんだけど、綿菓子というか麩菓子みたいな感じはイギリスの音楽特有だし好きなんだよね」
菅原「それは〈浦安感〉ってところでもあると思うな」
夏目「すべてが偽物という感覚っていうか。でも、そういう紛い物だと引き受けた音を鳴らすことが、日本でロック・バンドをやるうえでは、いちばんの正統なやり方だと思うんですよね」
――その浦安感、本物になれてないというニュアンスをふまえつつ、楽曲ごとの個性がバラバラな本作は、初作『はしけ』を9年越しでヴァージョン・アップしたような印象もありました。
夏目「僕もね、『はしけ』っぽいなと録音が終わって、曲を並べたあとに思ったな。ただ、『はしけ』はかなり箱庭的な作品――同じ街に住んでいる奴らが同じ感性のもと、あーだこーだ言いながら作った、内側で完結している作品だと思っていて。それと比べると、今回の作品は外に出ている感じがすごくするんだよね。街に出て何かをするんだという意思を自分としてはすごく感じていて、その初々しくて外向き、街の壁に描くようなフィーリングが 『Virgin Graffiti』というタイトルにも繋がったんだよね」
――今作は、ロック・バンドがいかに聴き手を日常のしがらやみや抑圧から、外側に連れて行くかということに視点を置いた作品ですよね。そのありようとして、自分は初期の曽我部恵一BANDを思い出しもしたんですよ。ただ、ソカバンがいわゆるロックの熱量みたいなものにこだわっていたのに対し、今回のシャムキャッツはむしろロックというフォーマットから逸脱することで、同じロマンを提示しようとしたところがおもしろい。
夏目「うん、わかる。ロックって、ソカバンが持っていたパワーというか、MC5的な上がりが興奮としてはいちばん強いと思うんです。でも、ダンス・ミュージックって熱量のある音を入れて、それで上がらせるという世界ではないですよね? むしろテクノとかって音の粒自体が良いのか悪いのかってシビアな世界だし、その抜き差しや揺らぎ、繋がりや展開とかでなだらかに気持ちを昂揚させていく。僕は、そっちの昂揚のほうが、人間に対する感動のさせ方として、強いんじゃないかといまは感じていて。だから、バンドでロックをやるときも、バスドラ、スネア、ベース、ギター……それぞれをどういうふうに鳴らせているのかが、人の感動に直結していると考えているんですよ。曲に対して、適切な音、位置、おもしろさを足していくというアプローチで作りました」
――ただ、そういったディテールにおける方法論は把握しつつも、アルバムとして一枚にまとまったときの全体像みたいなものは、なかなか見えてこなかった?
一同「うん」
夏目「まったく見えなかった」
菅原「今回は最後までわからなかったね。タイトルが付いて、ちょっとわかった気がしたくらい」
夏目「どうなるかと思っていたよね。日向さんだけが、〈これは良いアルバムになる〉と断言していたな。粒が揃っているから、もう大丈夫、曲の種類はバラバラだけど並び方を間違えなければ名盤になるとずっと言っていたんです。正直、僕らは不安だったんですよ」
ホントの強さとは、隣の人に対して優しくすること
――とはいえ、各曲のアレンジやサウンドはバラバラなのに、作品が訴えかけるテーマとしては……
藤村「いままでで、いちばん統一感があるんだよね」
夏目「そうなんだよ」
菅原「やっぱり山口さんがデカかったのかな」
――苦楽を共にしてきた盟友との別れが、今作に深く影響を及ぼしたのは間違いないにしても、バンド内ストーリーを綴っただけのアルバムではないですよね。体調を崩してしまい、ある意味では夢半ばでバンドを離れてしまったスタッフをモデルケースにしたうえで、現代社会に生きる人が何に苦しめられているかを見つめつつ、そこから逃げてもいいんだよ、と伝える作品でもある。
夏目「そう! まさしく」
藤村「俺らや彼に起きたことは、いまの社会では誰もがそうなってしまう可能性があると思ったんだよね」
どこかであんしんとか/いつかはまんぞくとか
もういんだって/もういいんだって
きみはきみだけみてればいい
“もういいよ”
――シャムキャッツを聴くリスナーやライヴに来るオーティエンスは、比較的若い世代が多いと思うんですけど、みなさんから見て、彼らを苦しめている強迫観念ってなんだと思います?
菅原「うひゃー、難しいな」
夏目「僕はやっぱり同調ってことかなと思う。圧力とまでは行かないけれど、なんか同調しなきゃって感覚はすごくある気がするな」
――具体的な事象をあげてもらうとすれば?
夏目「うんとねー、この前、友達が……そいつも音楽関係の仕事をしてるので、SNSでバンド名を検索したりするらしいんですけど、その際に〈あのバンドのチケットは、みんなが行くからとった!〉みたいな投稿を見たらしいんです。逆に〈このバンド、好きなんだけど、誰も行かないしライヴには行かない〉みたいな発言もあったらしくて。でも、そういうことじゃないなっていうか。すごく日本人的な感覚だと思うけど、それは悲しいことだよね」
菅原「孤独であることに対して、過剰に恐れを持っている人が多いなと思う」
夏目「SNSの誕生以降、若者たちが孤独を標準装備するようになったとは言われてるんだよね。昔は、孤独ってのは結構特殊というか、あるタイミングがこないと感じないものだったけど、いまの子たちってのは、もちろん僕も、最初から自分のなかに孤独がある」
――シャムキャッツの音楽は、孤独を消すため、仲間づくりをするためのツールではない?
菅原「極論を言えば、ライヴなんて別に来なくていいんだよね(笑)。家で1人で聴くのでいいし、そのために俺らはレコードを作っているわけで」
夏目「でも1人だからこそ、いっぱい人がいるところに行くとやっぱり安心はするんだよ。同調ではなくて、ある一つのアーティストの音楽をみんなが聴いている場所に行って、自分は1人でいるって状態が、僕はすごく安心するね。みんながキラキラしていて踊っていて、輪のなかに自分がいるわけではないし、別に友達もいないけど、大きな音が流れてる――その場にいるってのが僕にとっては逃避や離別でもある。だから、そういう解放の場としてライヴがあるから、来てほしいな、来ればいいじゃん?とは思ってるかな」
――リスナーに逃げたっていいんだよ、と声を掛けられるのは、シャムキャッツ自体がポップ産業のレールの上から〈いちぬけた〉できたからだとも思うんです。それは、自分たちのレーベル、TETRAの設立/運営や、アジア・ツアーをすることによって日本を客観視できたこと、さらには大きな別れなどを経て、バンドがオルタナだと自称しつつも片足はずっとかけていた、いわゆる〈ロックンロール・ドリームの成就〉みたいなものから解き放たれたことも関係しているのかなって。
夏目「あー、そのとおりだと思うな」
大塚「『Friends Again』のときは、まだポップ・シーンでの成功を意識していた?」
夏目「いや、そういう意識はなかったね。『Friends Again』のときは、意固地に〈今日的、日本的ポップシーンでの成功? そっちにはいきません!〉というスタンスでやってたと思う。サビのある曲を書かなかったりとか。ただ、意地になって地味な方へと向かって行ってた感じもする。だけど、いまはもう反抗すらしてないんだよね」
――ええ。
夏目「音楽って、すごく芸術的な純粋性の部分と、時代との距離感をどうとるかというゲーム性の部分、双方があると思う。で、ポップスは後者の面が強くて、こういうものが流行っているからそれに乗るとか逆を行くとか、そういうのがおもしろい。
でも、僕の意識としては、今作は日本特有のルールというかゲーム性は完全に無視したんだよね。それが自分の創作にすごい良い影響を及ぼしたし、アジア圏で活動しようと思うのであれば、そういう意識を持つのは良いことだと自分では思っている。まぁ、この国でどう受け入れられるか、ほかの国でどう受け止められるかは、まだわからないけれど、自分としては、これまででいちばん気に入っているアルバムにはなった。自分の理想にはもっとも近いかな」
同じようなことで気を病んだらその時考えよう
パッと気が晴れる場所へ出かけて踊ろう
“逃亡前夜”
――いや、夏目くんが言っていたストーリーをふまえても、このアルバムは最高傑作なんじゃないですかね。ロック・バンドが、この2018年にどんなロマンをリスナーに示せるのか、大きな言葉で言えば、いかに音楽によって救われた気持ちをもたらすことができるかを、魂として中心に据えた作品だと思います。
夏目「みんなを踊らせたい、明るい気持ちにさせたい、となったタイミングで、山口さんの一件があったから、自分たちが共通して持てるテーマは離別や別れ、逃避にはなっていったんだけど、とにかく暗い作品にはしたくないという気持ちではあったんですよ。まぁそのエールじゃないですけど、はなればなれになったあとも、それぞれの人生は続いていくわけで。なので、大きな別れと、その先にあるもっと大きな出会いみたいなものを表現したかった」
――菅原くんも作曲のうえでエールのニュアンスを落とし込もうという意識はあった?
菅原「めっちゃありましたね。だいたいの曲をそういう気持ちで作っていたと思う。ただ、俺は結構暗い気持ちだったな。にもかかわらず曲を書いて、その曲をバンドで表現すると、いま夏目が言ったような感じの方向に変わることには、自分でもびっくりした。便所の落書きを書いているんじゃなくて、やっぱりそれを人に届けようと思っているんだなって。俺は、誰しものなかにいる山口さんへと曲を書いたな」
――ちょっと泣ける言い方ですね。
菅原「ホントに強いものは、剣や刀を持つことではなくて、隣の人に対して優しくするとか、そういうことだと思うんですけど、そういうことがやっとできるようになったな、シャムキャッツ」
ここに何か付け足すならば
はぐれた仲間の声を
ステージに運んでちょうだい
“完熟宣言”

