デビュー20周年盤の制作中に訪れた、不慮の悲しみ。その果てに響く歌声には、別れを繰り返し、彷徨う野良犬たちを美しく肯定する光が宿っていて——

不慮の悲しみの先へ

 今年でデビュー20周年という節目を迎えたシンガー・ソングライター、七尾旅人。名前の通り、彼は旅するようにジャンルを越境し、さまざまなミュージシャンと交流し、歌うべきものを求めて彷徨い続けた。東日本大震災の影響下で制作された『リトルメロディ』(2012年)。社会状況と真っ正面から向き合い、全曲新曲で挑んだコンセプチュアルなライヴを映像作品として発表した「兵士A」(2016年)と、大きな題材に取り組んだ作品が続いたなか、2年ぶりの新作『Stray Dogs』が完成した。本作に至るまでの流れを、七尾はこんなふうに振り返る。

七尾旅人 Stray Dogs felicity(2018)

 「『リトルメロディ』と『兵士A』の時期は、試行錯誤でしたね。でも、『兵士A』を出せたことで、これまで書き溜めていたポップな曲をやっと出せると思ったんです。もともとポップソングが好きなんで、そういう方向に舵が切れるんじゃないかって、羽根が生えたような気持ちで曲を作っていて」。

 でも、そこで思いがけない出来事が起こる。身近な者の不慮の死。その悲しみのなかで、アルバムを作り続けるかどうか悩んだ結果、七尾は前に進むことを決意した。

 「大事な人を自死という形で失ってしまい途方に暮れたけど、だからこそ今まででいちばん光に満ちたアルバムを作って、その人を笑わせたいと思って。そういうことがあって収録する曲の方向性も変わったけど、結果的には、これまででいちばんポップでありつつ、重みもある作品にできたのではと思います」。

 『リトルメロディ』「兵士A」とは違ったところでヘヴィーな状況で、七尾は自分に向き合いながら今作を自宅で作り上げた。

 「OvallのShingo Suzuki君とかKan Sano君、四家卯大さん、石橋英子さん、Boogie Mann、鈴木正人さん、ほかにもいろんな方が要所要所で入ってくれました。入り方に濃淡はあるんですけど、Shingo君がいちばんガッツリ。特に“Across Africa”“君はうつくしい”の2曲は共同プロデュースしてもらいました。Kan Sano君やBoogie Mannはクローザー的な役割というか。曲は結構出来上がってたけど何かが足りないと感じたところで、彼らがその最後の1ピースを加えてくれた感じです」。

 アルバムの内容は、弾き語り、バンド・サウンド、打ち込みなどヴァラエティー豊か。曲の流れも考え抜かれていて、想像力が刺激される。例えば、胸を締め付けるような美しいバラード“スロウ・スロウ・トレイン”は、終電が終わった駅のホームを舞台にした曲で〈離陸していくんだ 君のもとへ〉という歌詞で終わるが、続く“DAVID BOWIE ON THE MOON”の舞台は宇宙。デヴィッド・ボウイの訃報に触れて作られたこの曲は、“Space Oddity”を思わせる浮遊感を湛えたソウル・ナンバーだ。地上から宇宙へと孤独な魂が上昇していく。

 「“スロウ・スロウ・トレイン”って踏切の音でバサッと終わるじゃないですか。そこから天に召されていく男の曲になるので不穏な感じもするんですけど、こういう希望なのか絶望なのかわからない曖昧な感覚って僕のファーストの頃からあるんですよね。“DAVID BOWIE ON THE MOON”は(歌詞で)〈携帯は大気圏外〉になって、〈やっと誰にも邪魔されなくなった〉ってボウイが思ってる。そんなちょっとユーモアめいた部分もある曲で、サウンド的にはメロウなR&Bというか、〈宇宙空間の“サーカスナイト”〉って感じですね」。

 また、打ち込みのビートを軸にした“崖の家”は父親との関係が題材になっていて、父親と世界を旅する姿が描かれているが、続く“Across Africa”では舞台はアフリカになり、アフロビートに乗って、歌は広大な大地を駆け抜けていく。

 「 “崖の家”を作りはじめたとき、ふと〈家族の歌にしよう〉と思ったんです。こんな奇妙な打ち込みの曲なのに。それで、〈父親と自分の関係を表現したらどんな音だろう?〉と思っていろんな楽器を探したら、なぜかトルコ製のソフト・シンセだった(笑)。硬質で温度を感じさせず、だけど胸の奥に刺さるような音色が合ってる気がしたんです。曲の後半は亡き父と世界中を旅するイメージで、それがアフリカの歌へと繋がっていく。“Across Africa”には、モザンビークのスラム街に住むミュージシャン、ナジャが参加してくれました。彼が幼い頃、90年代にはまだ内戦の真っ只中だったそうで、戦火のなか、母親に手を引かれて逃げていくナジャを小さな子ライオンに例えて歌詞を書いたんです。でも、すごく抽象化したので、暗さはなくて、2人のヴォーカルで掛け合いするうちに、とても楽しくて勢いのある曲になったと思います」。

 

人生や生命を肯定する歌

 そんなふうに多彩な曲が並ぶなか、際立つのがメロディーの美しさだ。ただ美しいのではなく、七尾の魂(ソウル)を音楽というナイフでスライスして、その鮮やかな切り口を見るような痛みもそこにはある。「兵士A」にも収録された“Almost Blue”も、剥き出しの魂が震えているような歌だ。

 「この曲は自分がこれまでに書いた曲のベスト10に入るなと密かに思ってる曲なので、スタジオ録音ヴァージョンも残しておきたかったんです。別離の感覚を歌にしたものなんですが、気持ちが救われたと言ってくれるお客さんも多くて、不思議ですね。シンガー・ソングライターならではですよね。とても辛かった時期の曲が、誰かの支えになる可能性を孕んでいたりもするという。盛り上がる曲で楽しませるのも、もちろん大好きですが、こうした曲を大切に思ってくれる人がいることには、いつも驚きと感謝の気持ちがありますね」。

 このアルバムには、そんな別れのイメージが随所に散りばめられていて、深い悲しみが歌を通じてポップな煌めきへと昇華されていく。そんな祈りのような気持ちを象徴しているのが “きみはうつくしい”だ。

 「この曲は東日本大震災直後にプロトタイプが出来たんですけど、結構パワフルで勢いのある曲なので、復興もままならないなか、まだこういう歌を東北のお客さんの前で歌うべきじゃないと思って放置してました。でも、今回どうしても収録したかったんですね。ラップに初めてトライしていたりとか、楽曲の骨格はヒップホップですけど、意識していたのは70年代のニュー・ソウルです。例えばスティーヴィー・ワンダー“Joy Inside My Tears”みたいに、声高にじゃなく、もっと奥底から、いろんな人生や生命を肯定できる曲にしたいなと思ってました」。

 〈泥にまみれ あざけられ 焼け付く痛みに震えても きみはうつくしい〉と歌うこの曲は、ギリギリのところで傷だらけになって生きている人々に差し出した一輪の花のようでもあるが、その花を持つ手も傷だらけだ。泥にまみれて生きること。それはまるで、アルバム・タイトルになった〈野良犬(Stray Dog)〉を思わせる。歌詞のところどころに犬が登場するのも本作の特徴だ。

 「僕、犬が大好きなんですよね。人間とか犬ってすごく社会的な動物で、仲間を深く愛するからこそ、一匹だけはぐれてしまった姿に物悲しさがある。僕の大事な人が自死してしまったとき、まるではぐれ犬みたいだなと思って。今まででいちばん良いアルバムが出来たと思うから、聴いてほしかったな。もしかしたら届いてるかもしれないですが」。

 別れを繰り返しながら、野良犬みたいに彷徨う人生。『Stray Dogs』はそんな寂しさを受け入れながら、人生を祝福して、束の間、美しい風景を見せてくれるアルバムだ。暗い道でも、きつい坂道でも、一緒に寄り添ってくれる歌がここにある。

 

『Stray Dogs』に参加したアーティストの関連作品。

 

文中に登場したアーティストの作品。

 

七尾旅人関連の近作。