音楽ライターの八木皓平が監修を務め、〈ポスト・クラシカル〉と〈インディー・クラシック〉 という2つのムーヴメントを柱に、21世紀以降のクラシック音楽をフィーチャーする連載〈Next For Classic〉。この第8回では、来月11月初頭に来日ツアーを実施するベルリン在住の作曲家/ヴィブラフォニスト、Masayoshi Fujitaのインタヴューをお届けする。ルーツを皮切りに、彼がどのように音楽性を形作っていったのか、その根幹へと迫ったものになっているので、ぜひライヴ前に読んでほしい。 *Mikiki編集部


 

おそらく世界でもっとも先進的な形でヴィブラフォンという楽器の魅力を追求し続けているヴィブラフォニスト、Masayoshi Fujitaが今年の7月にリリースした新作『Book Of Life』は、『Stories』(2012年)、『Apologues』(2015年)に続く3部作の締めくくりとなる作品だ。

本作の音楽的な魅力については、すでに記事が公開されているシンガー・ソングライター岡田拓郎とMasayoshi Fujitaによる往復書簡で存分に語られているので、そちらでチェックしていただきたい。ではこのインタヴュー記事の役割は何かといえば、〈新作が素晴らしいのはわかったけど、そもそもMasayoshi Fujitaってどんな音楽家なの?〉という疑問に答えるものだ。

実はこの記事は、イレースト・テープスからのアルバム『Apologues』リリース時に開催された2015年の日本ツアーで、筆者がMikikiを通して行ったインタヴューをまとめたもの。諸事情によって長らく掲載延期となっていたが、『Book Of Life』がリリースされた際にあらためてこの記事を読んだところ、Masayoshi Fujitaの音楽的出自や現在の音楽性が形成されてゆくまでのプロセス、ベルリン在住でいることの意味、前作『Apologues』のおもしろさをはじめ、さまざまなことが語られており、Masayoshi Fujitaという音楽家の本質に迫ることができたものになっていると感じた。これを読むことで、『Book Of Life』をはじめとした彼の作品群をより一層楽しめるようになることは間違いない。稀代のヴィブラフォニストにしてポスト・クラシカルの異端児、Masayoshi Fujitaについて再考するガイドとして役立てていただければ幸いだ。


 

ビル・エヴァンスのピアノをヴィブラフォンに置き換えている

――まずFujitaさんのこれまでの歩みをうかがえたらなと思うのですが、幼少期からドラムをやっていたそうですね?

「そうですね、小学校の頃からドラムをやっていて、23、24歳くらいまではバンドでドラムをやっていて、その後ヴィブラフォンに転向しました」

――ドラムを始めたきっかけは?

「うちの父親はジャズが好きでサックスを吹いていて、兄もバンドでベースをやっていたんですよね。家族で一緒に演奏する機会があってポコポコ叩いていたらおもしろかったのもあり、ドラムをやってみるかということになりました。始めてからはジャズの人に習っていましたね。でも自分自身がジャズを好きというわけではありませんでした。当時はロックが好きでジャズは後年好きになりましたね」

――当時はどんなロックが好きだったんですか?

「小学校の頃はボン・ジョヴィが好きでした。中学に入ってボン・ジョヴィからハード・ロックにいき、高校に入ってからはオルタナを聴いていました。もともとエレクトロニックな音が好きだったわけじゃなく、友達の影響もあってハード・ロックやグランジ、オルタナをコピーしたり、聴いたりしていましたね。それからジョン・スペンサーを聴き出して、そのへんのバンドにはヒップホップ的要素も入っていたし、同じタイミングでポーティスヘッドにもガンときて、少しエレクトロニックな音に興味が出てきたという流れです」

ポーティスヘッドの94年作『Dummy』収録曲“Strangers”

――当時の日本のロックやポップ・ミュージックで好きなものはありましたか?

「Buffalo Daughterやチボ・マットとか。エレクトロニックな方面で言えば、SILENT POETSあたり。LITTLE TEMPOも聴いていましたね。あとズボンズも好きで、ライヴにも行ってました。ジョンスペの繋がりですけど」

――24、25歳の頃にドラムからヴィブラフォンに転向した経緯を教えていただけますか?

「それにはいろいろな事情が合わさっているんですよ。あるときから、自分の曲を作りたいなと思いはじめて、でもドラムだけだと厳しいじゃないですか。ヴィブラフォンの音は、昔から父親のジャズ・レコードで聴いていて、あの音をバンドに導入できたらいいなと思って探していたんですけど、なかなか弾いている人もいなくて。

あるときドラマーの手伝いでライヴハウスに荷物を運んでいたら、その日ちょうどヴィブラフォンの方が演奏する公演で、初めてヴィブラフォンの演奏を生で観られて、ワーと思ったんです。その方とお話しする機会があったんですけど、プライヴェート・レッスンをやっている人だったんですよね。じゃあ、と思ってレッスンを受けて、楽器を練習しはじめました。ちょうど同じころ、ドラムの才能が無いなと思いはじめていて、諦めかけていたんですよね。転向までの経緯はそういう感じです。エレクトロニカとかにも興味を持ち出して、打ち込みのビートもおもしろいなと」

――プレイヤーとしてヴィブラフォンをやるにあたって参考にした人はいたんですか?

「ヴィブラフォン・プレイヤーではいないですね。強いて言えば、サブライムがサンプリングしていた、ハービー・マンの楽曲“Summertime”(61年)で弾いていたヴィブラフォンの人(ヘイグッド・ハーディ)。ヴィブラフォンって、僕の印象だとジャズの人ってこうバラバラバラバラ弾きまくる感じの人が多いんですよね。ヴォーカルやフルートのバックで鳴っているときのほうがカッコいいのに、ソロになるとみんなバラバラ弾きだすので、もっとカッコいい音があるのになと思って」

――弾き過ぎないっていうのはFujitaさんの音楽を聴いていて思うところではあります。そこは大事にされている部分ではあるんですか?

「そうですね。大事にしているというよりは、わりと自分が好きなのが音数の少ないもの。特にヴィブラフォンは音が綺麗な楽器なので、自然とそうしてしまいますね。さっきの影響の話に戻ると、ヴィブラフォンではあんまりいないんですけど、他の楽器で例えば、ビル・エヴァンスとかは一時すごく好きで、“Blue In Green”とかをヴィブラフォンでコピーしたりしていました」

ビル・エヴァンスの59年作『Portrait In Jazz』収録曲“Blue In Green”

――ビル・エヴァンスのピアノをヴィブラフォンに置き換えているような感じがあるのかなと。

「実際ピアノ譜をヴィブラフォンでコピーして、音数がピアノのほうが多いので省いたりしつつ、そのときに使ったヴォイシングとかが印象に残っていて、使ったりはありますね」