未来はいまの指先から――バッハ、グールド、フランチェスコ・トリスターノ
書くことは信じること。未来を願うことだ。書くことは読むことを待機する。誰かとともにある未来を願うことである。楽曲であれ、文章であれ、私信であれ。書くことの内では、未来が現在に先立つ。
書くことと読むことの間にはつねに時間差がある。書いている現在が未来に託される。書くことは未来を手繰り寄せる。それは未知への触手だ。
音楽は現在に起こる。モーメントの芸術だと言える。しかし、弾くことと聴くことの間にもつねに時差はある、文字どおりのディレイが。演奏のさなかでもそうだが、レコーディングともなれば、それはまさしく時間を超えて成り立つものだ。音楽のなかではすべてが現在であり、つまりはあらゆることが未来に起こるべきものと想定される。
レコードを創る、ディスクに刻む、書き込み、プレスをすることは、だから未来を信じることである。少なくとも、なにかを未来に託すことだ。そこでは未来はまさしく現在である。
コンサート・ライヴを通じた聴衆とのダイレクトなコミュニケーションをこよなく愛するフランチェスコ・トリスターノが、レコーディングに格別の意欲と情熱を注ぐのは、そうして未来を手繰り寄せようとしているからに他ならない。一対一で、よりプライヴェートに聴き手個々の感覚に接近する意味もあるだろう。
卓抜なピアニストであるその彼が、メジャー・レーベルでの活動に飽き足らず、自身のレーベルを日本でローンチした。〈intothefuture〉の名のもとに、さらにインディペンデントな表現者としての宣言を新たに放っていくのである。バッハのいわゆる“イギリス組曲”全6曲を精緻なCDにまとめ、このモニュメントを輝かしい船出として。
――あなたにとって、未来とはどういうもの?
「未来はいま!」と、フランチェスコ・トリスターノは即答した。「バッハにとってはまさしくそう。僕らは未来を待つ必要はない。いま事を起こさなくてはいけない。だから、自分のレーベルを〈intothefuture〉と呼ぶんだ」
「自分自身のレーベルをもつという考え自体は、ずいぶん前からもってきた。でも、メジャー・カンパニーとの契約があって。テクノに関してはいくつかアンダーグラウンドのレーベルで出しているけれど、クラシック音楽で、バッハをたくさんリリースしようというプロジェクトはそのかたちではできなかった。電子音楽ではアーティストが自己のレーベルをもつのはよくあることだけれど、クラシック音楽ではそうではないからね」
テクノのフィールドでも活躍するフランチェスコ・トリスターノには、表現様式の選択上、クラシックの世界に閉じ籠る必要はなかった。自分の強く望むかたちで、適切な方法を採ればいい。
「幸運にも実り多いミーティングがいまから6か月前にもてて、キングインターナショナルに、新しいレーベルをローンチしたいという夢を語った。昨年すでにイギリス組曲のレコーディングは終えていて、これを王子ホールでのショーにあわせてリリースできたら素晴らしいね、と。夢というのはときに実現するのに永い時がかかるものだけど、タイミングによってはとても迅速に物事は運ぶ。半年前にはたんなるアイディアだったものが、幸いにも、いまはリアリティになっている。“フランス組曲”も、“パルティータ”もレコーディングは終えていて、だから未来が楽しみだ」