10年半ぶりの新作『脈』──望まない、判らない、ためのロック
湯浅湾の10年半ぶりの新作。あっという間のような気がするが、たしかに10年半という年月が過ぎてしまった。どれだけのことがあったのか思い出してみる。世の中の雰囲気も大きく変わったように思えるし、私もいよいよ50代になってしまった。私は前作『港』のレヴューも書いていた。『港』はとにかくよく聴いたし、ライヴにも行った。信頼する音楽通の作る音楽はやはり信頼できるものなのだなと思った。だから、裏切られたと感じるくらい大きく変貌をとげていてもおかしくはない年月である10年半をへてもこのバンドが変わらぬどころか、瑞々しささえ感じる音を、「昨日よりも若く」とでも言うように、発していることにもなんら驚くことはない。むしろ、10年半前に感じたことが確信に変わったというべきだろう。エリオット・マーフィーは、「ロックンロールはこの世界に残されたわずかな真実のひとつだったし、いまでもそうだ」と言ったけれど、このアルバムがそうであるように、このポスト・トゥルース時代にも信じるにたる音楽はある。
音楽的には『港』の延長線上にあるように聴こえる。ノイズから歌を伝えるバンドになった湯浅湾におけるフロントである湯浅のヴォーカルは、これまでと変わらぬようでもあるし、以前よりも力強く、しかし、どこか静かで力の抜けた感情の発露とでもいうような変化があるように感じた。荒々しくも、色艶を感じるギターの音色はカラフルで、現在の湯浅湾の指向性が聴こえてくる。そして、サポートメンバーとして参加した、谷口雄(森は生きている)のキーボードが、その印象を鮮やかでたしかなものにしている。最終曲が10分を超える大作なのがディランのようであるが、どこか『ブロンド・オン・ブロンド』のようだ。その大作 「望まない」は、このバンドからのステートメントである。そして、私は湯浅湾について以前、どこまで行っても「判らない」ということが「よく判る」音楽だ、と書いたが、このアルバムでも湯浅は「わかりません」と歌っているのだった。