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YMO結成前夜からの40年の活動を振り返る

――今年はカシオの電子楽器が発売されて40年、一昨年はYMOが結成されて40年。まさにカシオと幸宏さんは、この40年間を一緒に駆け抜けてきたわけですが、振り返ってみてどんなことが頭に浮かんできますか?

「僕のファースト・アルバム『サラヴァ!』がリリースされたのが78年だから、ソロ・デビューしてから40周年を過ぎてしまいました。しかも、そのときにはすでに『YELLOW MAGIC ORCHESTRA』(78年)を作り始めているんです。今思うと『サラヴァ!』は過渡期のアルバムで、全曲のアレンジを手がけてくれた教授(坂本龍一)が、キーボードを手弾きでダビングしてくれたんだけど、〈別録りするなんて、そんなのは音楽じゃない〉なんていう人も結構いたんですよ。

クリックを流しながら演奏するのも、他のミュージシャンには嫌がられました。特にストリングスで参加してくれた、年配の弦楽器奏者たち。あの頃は、若者をバカにする傾向があって。教授や細野(晴臣)さんたちは楽しんで演奏してくれましたけどね。そのうち今度は〈クリックに合わせられないドラマーは時代遅れ〉なんていわれていた時期が一瞬来て、そこで辞めちゃった人たちも沢山いました。ちょっとコツを掴めばクリックの中でもグルーヴは出せるし、それってすごく楽しいことなんですけどね」

高橋幸宏 サラヴァ! キング(1978)

――〈クリックに合わせて正確に演奏するなんて、ミュージシャンとしてのアイデンティティーを放棄する行為だ〉と思った人もいたでしょうね。

「実際、〈ミュージシャンのアイデンティティーなんて、要らないんじゃないの?〉と思ってました。本当は要るんですけど、その時は〈ちょっと邪魔だな〉と感じていたんですよね。新しいことに対して拒否する人、興味を持ってくれない人は仲間じゃないと思っていたから、細野さんからYMOの構想を聞いたときには飛びつきました(笑)。もちろん、教授には教授の、細野さんには細野さんの思惑があり、それが入り混じって良い方に進んでいったわけですが」

――細野さんの自宅に2人が招かれ、コタツでミカンを食べながらマーティン・デニーの“Firecracker”を聴いて、〈この曲をシンセでエレクトリック・チャンキー・ディスコにアレンジしてシングルを世界で400万枚売る〉と細野さんに言われたというエピソードは、あまりにも有名です。

「例えばサディスティック・ミカ・バンドの『黒船』(74年)は10万枚いくかいかないかだったんですけど、それって当時は大ヒットだったわけです。もし一つの国で10万枚行けば、10か国で100万になる。〈400万売るには40ヵ国で売れればいいんだ!〉っていう謎の理論が働いたんですよ(笑)。もう一つ、細野さんが掲げたコンセプトは、〈ニューヨークなどの凄腕セッション・ミュージシャンに影響を受けた日本人たちが、コンピュータとセッションし踊れる音楽をやること〉でした。

細野さんは、普段は〈売れる音楽〉なんて考えてないけど、一度スイッチが入ると別人になるんですよ。ものすごく歌謡曲チックな楽曲も作れるじゃないですか。そこはもう、ほとんど宇宙人の領域だと思っています。YMOのヴィジュアル・コンセプト、衣装などは僕が作ったけど、アートな部分での好みは3人とも面白いくらい合致して。そこはいつも面白いなあと思うし今もずっと続いていますね」

――個人的にYMOは、ビートルズとの共通点を沢山持つバンドだと思っていました。メンバー全員が曲を書き、アルバムごとにスタイルをガラッと変えて、ファッションやアートからの影響も大きくて……。

「それともう一つ、〈ギャグ〉ですね」

――そうなんです。ビートルズが「モンティ・パイソン」やラトルズを愛していたように、YMOもお笑いが大好きで〈トリオ・ザ・テクノ〉なる漫才グループでテレビに出演していましたよね(笑)。ご本人たちは、ビートルズはどのくらい意識していましたか?

「もちろん僕はビートルズ大好きでしたけど、細野さんはどちらかと言えばアメリカン・ミュージックの人だったし、〈ビートルズをコピーするバンドには興味がなかった〉と言ってました。でも、YMOの中後期になると、細野さんと一緒にビートルズの曲をたくさん聴いたんですよ。例えばビートルズの“Baby, You're A Rich Man”を聴きながら〈このリズムのユレはもう、テクノだよな〉なんて話していました(笑)。

つまりテクノの定義は、〈機械やコンピューターが必須〉でも〈ロボットみたいになること〉でもなくて。例えばニール・ヤングもヴォコーダーを一生懸命使ってアルバムを作ったじゃないですか(笑)。ビートルズも最新テクノロジーを積極的に取り入れることを、ジョージ・マーティンとともにトライし続けていましたよね。テープを切り刻んだり、新たなエフェクターを開発したり」

――確かに。そこにあるテクノロジーを最大限に利用し新しい音楽を作り出す、という意味で言ったらYMOもビートルズも、そしてビーチ・ボーイズも同じ場所にあるなと確信しました。

「うん、そうかもしれない。ビーチ・ボーイズも“Good Vibration”で実験しまくっていましたよね。例えばYMOのアルバム『テクノデリック』(81年)に“新舞踊/NEUE TANZ”という曲があるんですけど、そこではでケチャを再現するためサンプリング・マシンを駆使してるんです。僕たちの〈チャ!〉っていう声をサンプリングしてそれを何度も重ねていて、〈こんなに簡単にケチャを作っていいの?〉なんて話していましたね」

――〈いいものを創造すれば、必ず人々はそれを必要とする〉という樫尾俊雄さんの強い信念は、〈テクノロジーを最大限に利用し新しい音楽を作り出す〉という精神に共通するものだと思いました。

「その通りだと思います。新しいツールはいつでも僕らをワクワクさせてくれるし、そこから新しい音楽が生まれますよね。おそらく僕以外のメンバーが、ビートルズを意識することはなかったと思うんですけど、ビートルズと同じように〈ファンを裏切りたい〉という気持ちはいつもありました。つまり、現状のことで満足せずすぐ違うことをやりたがるんです。

おかげで『BGM』(81年)をリリースした時は、チャート・ランキングも落ちましたし(笑)、〈YMOはなんでこんなことやってるんだ?〉って散々叩かれましたけど、今はYMOといえば『BGM』と『テクノデリック』が一番いいって言う人もたくさんいる。世間の評価なんて、あっという間に変わっちゃうんだなって思っていますね。ビートルズの“Strawberry Fields Forever”なんて、当時は全英1位を獲れなかったけど、今では最も評価の高い楽曲の一つになりましたし」