SuiseiNoboAzひさびさの新曲“3020”が素晴らしい。あくまで大文字のロック・バンドとしてアンサンブルを研ぎ澄ませつつ、THA BLUE HERB“未来は俺等の手の中”にオマージュを捧げ、視線の先にはブレインフィーダー周辺の猛者たちを見据えた、現在のボアズによる新たなサイエンス・フィクション・アンセム。ハードボイルドかつロマンチックな歌詞の世界観ももちろん健在で、〈3020年までずっと友達でいよう〉という言葉からは、石原正晴の〈肯定感〉が力強く伝わってくる。そして4月18日(土)には、その“3020”のヴァージョン違いと新曲“SUPER BLOOM”を収録した両A面7インチ・シングルをリリース。〈オルタナティヴ〉を掲げる若いバンドが多数台頭してきた中にあって、彼らのようなバンドがいてくれることは実に頼もしい。
プロデューサーに向井秀徳を迎えたファースト・アルバム『SuiseiNoboAz』から早10年。サポートだった高野メルドー、河野“Time Machine”岳人、ヤノアリトを2017年に正式メンバーとして迎え、新体制で『liquid rainbow』を発表し、昨年は盟友MASS OF THE FERMENTING DREGSとのスプリット・ツアーを行ったことも記憶に新しいが、4人全員でのインタビューは意外にも今回が初だという。進化を続けるボアズの現在地に迫った。
〈4人のボアズ〉になること
――4人での取材が初めてとのことで、まずは改めて、現体制になった経緯について話していただけますか?
石原正晴「2013年に3枚目の『ubik』をcutting edgeから出して、その年の12月に名古屋でやったライブが前の3人での最後のライブで。なので、2013年の年末から実質一人で、当時のマネージャーも同じタイミングで離れて、車も機材も売り、家に物販の在庫の山が来て……しんどい時期だったんで、今思えばただの意地で続けてた状態ですね。で、最初の半年弱くらいは完全に一人でやろうと思ったんです。ただ、それまでサンプラーとか触ったことなかったんで、やればやるほど難しいというか……弾いた方が早いなと(笑)」
――そこから改めて〈バンド〉に意識が向き始めたと。
石原「そうこうしてる中でもいろいろ気にして声をかけてくれる人がいて、茨城の〈つくばロックフェス〉に毎年出てたんですけど、主催の伊香賀(守)さんから〈今年も出てほしい〉って言われて。〈音どうなってるかわかんないですよ?〉って言っても、〈それでも出てほしい〉って言ってくれて、そのときパッと河野くんとアリトくんとメルちゃんの顔が浮かんで、スタジオに呼び出したんです。3人とも他に誰が来るかは知らないまま」
――3人がいいと思ったのは直感で?
石原「もちろん、理由はそれぞれあります。ベースは河野くんくらい弾ける人じゃないと絶対無理だし、ドラムはアリトくんくらい熱い人が欲しいと思ったし、メルちゃんはギターの音いいなって思ってたし、鍵盤とかもできるって知ってたから。もともと界隈で一緒にやることが多い人たちで、新宿・秋葉原・高円寺周りのずっと一緒にやってる人たちって、同級生じゃないけど、でもホントそんな感じ。だから、〈オファーした〉っていうよりは〈一緒にやろうぜ〉みたいな、地元の仲間を集めたみたいな感じに近いのかな」
高野メルドー「仲は良かったんですけど、僕からするとみんな大先輩なんです。もともとこの人たちのファンで、前売りで観に行ってたことが長かったし、バンドを始めたのも後追いというか。ファンとしては〈断るべきでは?〉みたいなことも最初は思った気がします」
石原「最初音小っちゃかったもんね(笑)」
ヤノアリト「俺は当時ディスクユニオンで働いてて、『FOLLOW-UP』(ディスクユニオン発行のフリーペーパー)の〈スタッフが推す今年のベスト〉みたいなので、ボアズを1位にしたことがあって。〈ブッチャーズ、イースタン、ナンバーガール、ああいうロックのエモーションを同世代で感じられて、ヒリヒリ泣ける音楽が他にあるか?〉みたいなことを書いて、友達ではあったけど、それくらい大好きで。ライブを観るといつも泣きながら〈くたばれー!〉って言ってたし(笑)」
河野"Time Machine”岳人「自分は当時マヒルノをやっていて、石原くんとはボアズ結成前夜から一緒にやってたりして、ずっとそばで観てた、ホントに大好きなバンドで。だから、応援もしてたんだけど、でもライバルで、〈絶対負けねえ〉みたいな、いい関係性だったというか。だから、最初に〈スタジオ入りませんか?〉って連絡が来たときは、単純に〈ストレス溜まってて、デカい音出したいんだろうな〉と思って、〈全然いいよ〉って軽い気持ちで行ったんですけど、そうしたら2人がいて、〈実はライブが決まってる〉って話で」
――〈つくばロックフェス〉が決まっていると。
河野「最初はサポートっていう形ではあったけど、最後まで自分がいちばん悩んでたような気がします。あまりに距離が近すぎて、好き過ぎて、元の3人のことも、石原正晴のことも大好きだったから、その中で弾くイメージがなかなか持てなくて。だから、ホントに最後の最後まで悩んだんですけど、でもやっぱりボアズの音楽がすごく好きだから、何か一緒に作れたらいいなと思って、最終的に入ることに決めたんです」
――実際に音を出してみて、わりとスムーズに形になりましたか?
全員「うーん……」
――もちろん、そんな簡単な話ではないと。
石原「音の組み立て方が根本的に変わるなっていうのは思いました。あと、自分以外にギタリストがいるバンドって初めてだったので、それが難しかったですね。自分が好きなギターの音って、やっぱり自分の音なんです。メルちゃんに〈もっとこういう音にしてくれ〉とか〈もっとこういう弾き方をしてくれ〉って言うと、結局自分のギターになっちゃう。でも、時間をかけていく中で、メルちゃんの音が出てきて、ちゃんと石原の音と高野の音があるバンドになれたかなと」
高野「それはそれは……めちゃめちゃしごかれましたね(笑)。僕もそれまでいろんなバンドをやってきてはいたんですけど、根本的な練習の仕方だったり、音楽の聴き方にしても、シビアにならざるを得ないというか。それまでは〈フロントマンに合わせる〉って感じだったけど、ボアズは〈音楽そのものの強度が要求される〉というか〈音楽的に正しい〉みたいなことを考えざるを得なくなった気がします。まだまだ修行中の身なんですけど」
ヤノ「俺もホントしごかれましたし、今も絶賛修行中の身なんですけど、もともと前のドラムスの範ちゃん(櫻井範夫)が自分とは全然違う叩き方で、俺はすごい前のめりなんですけど、範ちゃんはバックビートというか、後ろにタメるタイプで、それが3人のボアズのグルーヴの根本になっていて。それが自分のものになるまでは……まだなってるかわからないですけど、とにかく最初はすごく苦労して、ずっと後ろで範ちゃんが見てる気がするんですよ(笑)。でも、『liquid rainbow』を出して、〈解き放たれた〉とは言わないまでも、ようやくこの4人のグルーヴができたのかなって」
――実際『liquid rainbow』の制作で確かな手ごたえを感じたからこそ、正式に〈4人のボアズ〉になることを決めたわけですか?
石原「それまでに7インチを録音したり、『liquid rainbow』のレコーディングと前後して、台湾ツアーをやったり、チョモ(Qomolangma Tomato)とツアーをやったりして、この4人のグルーヴ感は十分高まってきてたので、自分の中ではアルバムを作り終わったときに、〈メンバーになってくれませんか?〉って言おうと思ってたんですけど、逆に、それまでは言わないでおこうと決めてたんです。アルバムって、やっぱりひとつの証だと思うんで。なので、実質的にはそれまでもずっとメンバーのような感じでやってくれていて、晴れて作品が完成したときに、〈お待たせしました〉じゃないけど、ちゃんと伝えたんです」
河野「ただ、サポートの気持ちでやるにはあまりに重すぎるバンドなので、最初からメンバーだって気持ちでやらないと、バンドに許してもらえないっていうか(笑)」
石原「〈俺はいいけど、ボアズがなんて言うかな〉みたいな(笑)」
河野「そういうプレッシャーはみんなあったと思うから、サポートっていう体ではあったけど、3人とも最初からメンバーっていう意識で関わっていたと思いますね」
ボアズは赤レンジャー
――昨年はマスドレ(MASS OF THE FERMENTING DREGS)とのツアーがあって、ファイナルはLIQUIDROOMでの2マンでした。もともとマスドレがリキッドを押さえていて、声がかかったそうですね。
石原「もともと友達で、よく現場でも一緒になってたんですけど、岡山の〈hoshioto〉っていう、DIYでやってるすごくいいフェスがあって、それに出させてもらったときにマスドレもいて、なっちゃん(宮本菜津子)から〈実はリキッドを押さえていて、一緒にやらない?〉って言ってもらって。で、マスドレから言ってもらったなら、それは乗ろうと。ただ、記念受験のつもりはないから、きちんと意味があるものにしたくて、〈じゃあ、ツアーにしよう〉ってなって、自分たちと関係の深いところに声をかけて、東北2か所と大阪と、短いツアーではあったけど、回ることにしたっていう。初めての経験だったのが、お互いのメンバーとスタッフを総動員して、〈どうやったら届けられるか〉って、いろんな話をして。それでライブ配信とかいろんなことを試して、そこから得るものは大きかったですね」
高野「なっちゃんや小倉(直也)くんは年齢的にも同い年くらいで、この年まで生きのびてくると、戦友感みたいなのが出てくるというか。でも、みんなの共通意識として、大舞台だからって、ここがピークとは誰も思ってなかったし、交互にライブをするっていうのはすごく斬新だったから、対バンの新しい形として流行らないかなって(笑)」
――ステージにあらかじめ両バンドの楽器がセッティングされて※、数曲ごとに入れ替わりながら進んでいくっていう、斬新な形でしたよね。世代的には、2ステージ制でセット・チェンジの時間なくライブが進んでいく〈東京BOREDOM〉を連想したりもしました。
※当日のセット図はこちらの記事を参照
石原「〈東京BOREDOM〉をやりたいのかもしれない(笑)」
高野「いつだったか、前のバンドが終わってすぐにボアズが“プールサイド殺人事件”をやり始めたのをすごく覚えてて……※」
※2009年9月に開催された〈東京BOREDOM #3〉でのこと
石原「チョモの後だと思う。あのときはまだチョモと知り合いじゃなくて、チョモの方が調子よかったから、ぶっ潰してやろうと思って、主催にお願いして、〈絶対チョモの後にしてくれ〉って言って。でも、その後すっげえ仲良くなっちゃって(笑)」
高野「『ドラゴンボール』みたいな感じですよね(笑)」
石原「少年マンガ脳なのかもしれない。しかも、一昔前の『週刊少年ジャンプ』なんだよね」
――「ONE PIECE」じゃなくて「ドラゴンボール」。
石原「ボアズはトリックスターとかダーク・ヒーローじゃなくて、赤レンジャーじゃないとダメだと思ってて。〈一度の人生、赤レンジャーじゃないとダメでしょ〉っていうかね。だから、接頭詞がつくようなロックは好きじゃないんです。とはいえ、肝心の音楽がつまんないのは嫌だから、軽やかにいろんなことを吸収して、進化していきたいなと」
河野「リキッドって、自分たちがそれまでやってきたバンドではやってなかったサイズだったけど、そこで小っちゃくまとまらないで、〈好きなことやっちまおうぜ〉って感じだったのはよかったなって。あの日はスタッフに全然大人が入ってなくて、俺たちの知り合いがさらに知り合いを集めてくれた感じで、そうやって自分たちだけの力でできたのもデカかった。めちゃくちゃ大変だったけどね(笑)」
ヤノ「そもそもリキッドであの形でやろうってなったのは、その前に配信ライブをやったのが大きくて。STUDIO ZOTでskillkillsのGuruConnectに協力してもらって、その日も交互でライブをしたんですけど、それがすごく楽しくて。最初は普通に、〈ボアズやって、マスドレやって、最後みんなで〉みたいなイメージだったんです。でも、配信をやって、〈これをステージで再現するバカいないよな〉〈でも、やったら面白くない?〉〈じゃあ、やろうか〉って、だんだん人を巻き込んでいって」
石原「最初は〈え?〉って感じだったけど、実際セット図を組んでみたら、〈これいけるんじゃない?〉ってなって。あれができたのはホント、技術さんやスタッフのおかげですね」