Photo by Kana Tarumi

サブスクリプション・サーヴィスが普及して、言語の壁をこえて音楽市場が広がった今、日本の楽曲は韓国などと比べてなかなか世界に出ていかない。韓国や中国ではインディー・バンドも世界中で盛り上がりを見せ始めている。一方国内でも、かつてのJ-Popのヒット曲とは少し違うタイプの楽曲が再生回数を伸ばしはじめた。そんな過渡期に、アーティストはどうやって新しい音を作っているのだろうか。

CRCK/LCKSのリーダーを務め、Chara、cero、TENDRE中村佳穂のサポートとしても活躍する小西遼。バークリー音楽大学を卒業したサックス・プレイヤーとしてキャリアを築く一方で、買い漁ったアナログ機材を組み合わせ、既存の楽器にとらわれない音を生み出している。そんな彼がソロ・プロジェクト〈象眠舎〉として初めて楽曲をリリースした。バンドではできない音楽を生み出すためだ。

音楽の権威と、日本のライブハウスで磨き上げた野性っぽさ。その両方を持つ小西は、古今東西の楽曲がフラットに聴かれるサブスク時代、どうやって新しい音を生み出しているのだろうか。


 

〈サックスしかない〉とは思えなかった

――CRCK/LCKSはもちろん、Charaやceroのバック・バンドでも活躍している中で、どうして〈象眠舎〉を立ち上げようと思ったんですか?

「象眠舎を立ち上げたのは、僕がアメリカにいたころ、CRCK/LCKSができるよりずっと前なんです。音楽だけじゃなくて言葉や物語をとりいれた作品を作りたいっていうのが最初のコンセプト。バークリーの学友たちと、演奏を基調にエレクトロニカや用意されたテキストなどを組み合わせたライブをしたのが最初でした」

象眠舎始動の契機となった卒業制作時の様子

――音楽のバンドではなかった?

「そうです。憧れのサックス・プレイヤーがいるわけでもないまま、高校生のときからジャズで食っていきたいと夢見てアメリカにまで行ったけど……。なんの迷いもなく〈サックスしかない〉とは思えなくて」

――なぜでしょう?

「もっと他に自分の表現方法あるんじゃないか?、と。高校生の頃、ジャズの道に進もうと思ったのと同時期に、演劇とか文学にも憧れてたんです。

いちばん大きかったのは、野田秀樹の芝居を観劇し終わったあとに放心状態で椅子から立てないぐらい衝撃を受けたこと。〈読後感〉っていうんですかね……。他にも村上春樹の小説から影響受けたり、音楽ではない作品の強烈さが自分にとって重要になったんだと思います」

――サックスの技術を学んでも〈自分があの衝撃を作れるのかな〉みたいな?

「そう。アメリカにいたときも、それはずっとありました。今思えば多分、音楽に〈物語〉が欲しかったんだと思います。ただ演奏するだけじゃなくって。

アメリカに行った当初はまだサックス・プレイヤーとしての夢みたいなのがあったんだけど、サックスを吹いていても満たされない感じもあって、作曲とか編曲も本格的に始めた。物語を作る感じで、それが楽しくなってきちゃったんです(笑)。

当時は卒業制作として、バークリー時代の集大成のライブをやったんです。それが象眠舎のはじまりになっています。管弦楽器に歌と4リズムの11人編成。そのときに〈俺がやりたかったのはこれだ!〉と確信して、作曲も編曲もやっていこうと決めました。それが2015年ぐらい」