Photo by Ebet Roberts / Getty Images
右がフローリアン・シュナイダー

ドイツの音楽グループ、クラフトワーク。世界の電子音楽、ひいてはポップ・ミュージックをすっかり変えてしまったバンドの始まりは、ラルフ・ヒュッターとフローリアン・シュナイダーという2人の若者が出会った60年代後半にさかのぼる。70年にヒュッターとクラフトワークを結成し、2008年にバンドを去るまで、その中心的存在だったシュナイダー。彼が4月21日、がんにより亡くなった。

今回はシュナイダーを追悼するため、ソロ・ユニットのagraphとして活躍する電子音楽、牛尾憲輔に執筆を依頼。クラフトワークのオリジナル・メンバー=シュナイダーの背中を追いかけ続ける牛尾が、彼の偉業を振り返る。 *Mikiki編集部


 

私は今日も電子音楽を作っています。
レゾナンス発振を短くきってパーカッションを作るとき、基音より何度か上のオシレーターを足してふくよかなパッドを作るとき、Minimoogのフィルターにベースを委ねるとき。
今日も音楽制作の、あらゆる瞬間でクラフトワークを、フローリアン・シュナイダーを追いかけているのかもしれません。

フローリアン・シュナイダーが亡くなってしまいました。
多大な影響を受けた故人に、心から哀悼の意を表します。
追悼記事としては故人のデータや年表、今聴かれるべき音源を俯瞰的にしたためるべきかもしれません。が、そうしたものはプロ・ライターの皆さんにお任せするとして、一音楽家として、私とフローリアン・シュナイダー/クラフトワークという観点から筆を執りたいと思います。

 

90年代の中頃、私が初めてクラフトワークに出会ったのは中学校を卒業した春休みでした。
友人宅で聴いた『The Mix』(91年)は(出会いが『The Mix』かよ、という声が聞こえてきそうですがそれでも)大変な衝撃を与えてくれました。
“The Robots”のみずみずしいパーカッション、“Pocket Calculator”のキャッチーなリフとビート、“Autobahn”のゆるやかなグルーヴの絡み方、“Radioactivity”の古今入り乱れる音色のミックス、どれをとっても新鮮で完璧なものでした。中でも“Computer Love”の3分38秒から、たった7秒のブレイク!
コココココ……と単純なクリック音のリヴァーブが深くなっていく、だけ。
なんという格好良さでしょう!
強烈な1音色と単純なエフェクトだけで心身を揺さぶられたのは人生初の出来事で、あまりの衝撃に呆然としたのを覚えています。友人所有の『The Mix』を半ば強奪するように借りた私は、アルバムをリピート再生するのはもちろん、この7秒だけをカセットテープに録音してくり返し聴くようになりました。
今思えば、このたった7秒が私の音楽家としての嗜好を決定づけたのかもしれません。

クラフトワークの91年『The Mix』収録曲“Computer Love”

 

高校生になった私はもちろんクラフトワークの既発音源(名盤しかありません。是非)を聴き、そこから皆さんと同じように電子音楽の世界に耽溺していくことになります。それはテクノでありハウスでありエレクトロであり、あまねくクラフトワークを参照しているものでした。出会い頭、強烈に嗜好を決定づけられたあとも私はクラフトワークの影響下にあるアーティストを追いかけ、自分もそうありたいと思うようになりました。
その後も様々なアーティストを発見しては聴き続けていましたが、何故でしょう、肝心のクラフトワークのニュー・アルバムが一向に発売されません。先述の『The Mix』は91年の発売でしたがリアレンジ・アルバムであり、オリジナル・アルバムは当時でもすでに10年以上発売されていませんでした。調べてみると、どうも彼らはコンセプトの創造、サウンドの実験に多大な時間をかけるようで、おいそれとアルバムを出すことはないようなのです。その後、2003年に『Tour De France』が発売されるまで実に17年もオリジナル・アルバムが発売されることはありませんでした。
後年、この時期の寡作さには別の理由もあることを知るのですが、それでもこのストイックな姿勢は当時の私に大きな影響を与えてくれました。

一生の嗜好を決定づけるような強烈な音楽、今までみたこともないコンセプティヴでストイックな姿勢。
ここにクラフトワークは私の中で揺るぎないものになったのです。