一聴した感じはいまどきのシルキーなシティ・ポップ。しかし、そこには市井の冴えない日常や生活者のペーソスがユーモラスに綴られている。それがYONA YONA WEEKENDERSの新作EP『街を泳いで』だ。
最初につくった自主制作盤の表題曲“誰もいないSea”(2019年)が各ストリーミング・サーヴィスで早速ヒットし、結成から瞬く間に注目を集めるようになった、この4人組。もともとパンク/ハードコアを出自とする彼らは、都市の幻想を描いてきたシティ・ポップというジャンルにいまあらたな視点を書き加えようとしている。
そんな彼らの音楽性に迫るべく、今回はヴォーカルの〈磯野くん〉に取材を敢行。かつてメロコアを鳴らしていた彼は、一体どんな経緯でYONA YONA WEEKENDERSのメロウなポップスに辿り着いたのだろう。その背景を探ってみたい。
メロコアからシティ・ポップへ
――もともとみなさんはそれぞれ別のバンドで活動されていたんだとか。
「そうですね。僕らは4人ともパンクに通じるシーンでバンドをやってきた人間で、もともとは対バンしていたような仲だったんです。全員ほぼ同い年だし、このバンドを組む前からよく飲みにも行ってたんですけど、あるときに僕がそれまでやってきたバンドを解散して。いちど音楽活動を辞めて就職することになったんです」
――音楽活動を辞めたのは、なにかきっかけがあったんでしょうか?
「彼女とも長く付き合ってたから、そろそろ結婚を考えようかなと思って、フリーターしながらバンドやるっていう生活にいちど区切りをいれることにしたんです。それである企業に就職したんですけど、そこがもう、絵に描いたようなブラック企業で(笑)。毎日残業、休日出勤は当たり前っていう」
――それはしんどいですね……。
「で、あまりに疲弊している当時の僕を見かねたスズキシンゴ(ベース)が〈ストレス解消のためにも、またバンドやったほうがいいじゃない? 片手間でよければぜんぜん手伝うよ〉と声をかけてくれたんです。それがYONA YONAを組んだきっかけですね」
――バンド仲間の一言で、また音楽を始めようと思ったと。
「その頃は仕事以外なにもしてなかったし、生活にも張りがまったくなくて。なんのために働いてるんだろう、みたいな感じだったんですけど、そんなときにシンゴから声をかけられて、〈俺はいままで音楽があったからがんばれてたんだな〉ってことにあらためて気づかされたというか」
――そこで始めたのがパンクやメロコアではなく、シティ・ポップだったのはなぜだったのですか?
「もともと僕はいろんなジャンルの音楽が好きで、それこそ昔からヤマタツさんとかユーミンさんをよく聴いてたし、ブラック・ミュージックも好きだし、なんならメタルにハマってた時期もあったりして。そんなときに高校の先輩の影響もあって始めたのがメロコアのバンドだったんです」
――なるほど。
「なので、もちろんメロコアは大好きなんです。ただ、その一方で〈自分の声を活かせる音楽はもっと他にもあるんじゃないかな〉みたいな気持ちも当時からあって。以前にやっていたJUNK FOOD PANICというバンドも、いま思えば後期はメロコアからかけ離れた楽曲をやってましたね。そんなときにシティ・ポップ・リヴァイヴァルが起きて、これはもう波に乗るしかないなと(笑)」