創設から満2周年。猛烈な勢いで熱いストレート・ジャズを送り続けるレーベル〈Days of Delight〉が、またしても話題作を送り出す。モダン・ジャズ・ピアノの第一人者、片倉真由子のリーダー・アルバム『plays Coltrane』と『plays Standards』の2作同時発売だ。ファウンダー&プロデューサーの平野暁臣氏はこう語る。

「片倉真由子のプレイは言うまでもなく素晴らしい。今回は、その音楽世界、表現世界をさらに広げ、新しい彼女を発見できるようなプロジェクトに彼女と一緒に踏み出そうと思った。ひとつはジョン・コルトレーン作品集。コルトレーンとピアノの関係といえば、やはりマッコイ・タイナーの存在が圧倒的で、我々は彼らを一体のものとイメージしている。誰もが脊髄反射のようにマッコイの音を思い浮かべる。僕はそういう厳しい場所に彼女を追いこもうと考えた。並のピアニストならビビるところだけど、片倉真由子なら腹を括れる。そして十分に闘える。

いっぽうそれとは真逆、対極的なものとしてスタンダード集がある。素材がシンプルだからこそ、本当に高い水準の演奏に持っていくには高度な技術とセンスが必要。“サマータイム”は誰でも演奏できるけど、“サマータイム”で感動させられる演奏がどれほどあるか。お手軽なセッションではなく、本当に価値のある音楽をそこから作りだしていくのはものすごく難しい。スタンダード集とコルトレーン集の二つを同時に出すことで、片倉真由子の表現世界の振り幅をガッと広げてエキスパンドしたかった」

共演者は粟谷巧(ベース)、田中徳崇(ドラムス)。この二作品について、さっそく片倉真由子に話を訊いた。

片倉真由子 『plays Coltrane』 Days of Delight(2020)

片倉真由子 『plays Standards』 Days of Delight(2020)

 

信頼する二人と福岡で〈合宿〉しながら

――『plays Coltrane』と『plays Standards』、楽しませていただきました。バリー・ハリスや〈北海道のビ・バップ伝道師〉福居良とも共演してきた粟谷巧さんはこんなにメロディアスなソリストでアルコ奏法にも秀でているのか、シカゴ・フリー・ジャズ系のイメージがあった田中徳崇さんはこんなにスウィンギーでグルーヴするのかなど、いろんな嬉しい発見がありました。

「このふたり、むちゃくちゃスウィングするでしょ? ベースとドラムって特にコンビネーションが大事ですからね。田中さんのことは昔から知っていたし、東京で何回かご一緒したこともあって、その時から素敵なドラマーだなと思っていたんです。まず、叩いているさまがなんかもう、命かけて叩いているみたいな感じで、とっても素敵。いつかまた共演したいと思っていたんだけど、なかなか機会がなくって。

粟谷くんは、レイモンド・マクモーリン(サックス奏者)のバンドではじめて共演したんですが、そのとき彼のベースを聴いて、そのビートとフィールに心底驚きました。ちょっと聴いただけで、自分の信ずる音楽を極めようとする志がとんでもなく高い人だということがわかります。この二人(田中と粟谷)は人間的にも音楽的にも合うだろうとなんとなく思っていたんですが、2019年3月に開催された〈東北地区ジャズ強化合宿〉で、たまたま講師として三人が揃ったんです。田中さんと粟谷くんは初対面だったけど、講師演奏をやったら、案の定ピタッと合って。もう〈この二人しかない〉と思いました」

――粟谷さんはポール・チェンバースへの愛があふれるようなベース・ラインを弾きますね。

「彼はメイン・ストリームのジャズを極めようとしている人です。でもその一方で、ジャズを取り巻くさまざまな音楽についても貪欲に取り入れる努力をしている。例えば、いまお話したレイモンドのバンドのレパートリーにレゲエの曲があって、粟谷くんはレゲエのパターンを弾くんだけど、初めてその曲を一緒にやったとき、その地の底から這うような、レゲエの魅力を存分に引き出すエキサイティングな演奏に、また驚いてしまいました。あとで話を聞いたら、レゲエのビートを習得するにあたって、レイモンドにレゲエはどうやって踊るのかを聞いて、実際にそのステップを研究したらしいんですね。彼はそうやって、ジャンルを問わず、演奏する音楽を極めようとする。それってとても大切なことなんですよね。

以前、ベーシストの坂井紅介さんに〈サルサって、どうやって弾くんですか?〉って尋ねたら、紅介さんはまずステップを勉強するそうです。ジャズも元はダンス音楽じゃないですか。やっぱり踊りとビートは密接なんですよね。アメリカにいた頃、私も〈踊れ〉ってずいぶん言われました。向こうの人はみんな音楽と踊りを一体と考えているし、実際に踊れるんですよね」

――3人でツアーして福岡で録音したんですか?

「そうではなくて、レコーディングのためだけに福岡まで行ったんです。実は田中さんはエンジニアでもあって、いま福岡県のうきは市を拠点に活動しています。彼にエンジニアをお願いして九州で録音するか、東京のスタジオで録るか、選択肢はふたつありました。どうしていいかわからなくて、平野さんに相談したところ、〈君はどっちがいい作品になると思う?〉と訊かれたので、〈福岡だと思います〉と答えたら、〈じゃあ、そうしよう〉と。田中さんは最初から〈ホールで録りたい〉と言って、実際にホールで録音した映像を見せてくれて。きっと具体的な音像のイメージが頭にあったんでしょうね。

リハーサルと録りで5日、前後合わせて1週間を向こうで過ごしました。小さい宿を借り上げて、みんなで文字通りの〈合宿〉をしながら。なにしろ3人でやるのはほとんど初めてでしたから、最初は手探り状態だったんですが、5日間にわたって朝から夜まで音楽に集中できたのがよかったです」

――70年代にはオーディオ・ラボというレーベルが八城一夫や菅野邦彦といったピアニストのレコーディングをホールで行なっていますし、ECMレーベルはスイス・ルガノのホール〈Auditorio Stelio Molo RSI〉でよく収録しています。ホール独特の音の拡がりというのは、確実にあります。

「さすが音楽ホールは音が美しく反響しますよね。いま考えれば、とても気持ちのいい空間でした。もっともレコーディングの最中は、そんなことに感激する余裕なんてぜんぜんありませんでしたけど(笑)。」

 

私というピアニストが、この曲に対して何ができるのか

――『plays Standards』と『plays Coltrane』というアイデアが提案された時の、片倉さんの率直な印象は?

「当初は面白いアイデアだと気楽に考えていたんですが、取り組むにつれてだんだん思いが変わってきました。すごく……何て言えばいいのかな……打ちひしがれたっていうか。レコーディングの最中に、〈私って、こんなに何も弾けないの?〉って思う瞬間が何度もあって。

スタンダード集に関しては極力アレンジをしないようにしたんですが、やっぱりスタンダード・ナンバーには自分の中にイメージがある。自分が昔から聴いてきたもの、たとえば“ソフトリー・アズ・イン・ア・モーニング・サンライズ(朝日のごとくさわやかに)”だとウィントン・ケリーやソニー・クラークの残した解釈があって、そういうものを私はたくさん勉強してきたし、そういった誰かのエッセンスをいっぱい取り入れてきました。20代の頃は、偉大な先人たちの真似をすることがジャズを演奏する上で一番大切なことだと思っていたし、それがジャズに対するリスペクトだと思っていたからです。そこに自己を投影するなんて、その頃はぜんぜんピンと来なくって。

でも、経験とともに考えが変わってきて、それだけに終わってはいけない、〈私というピアニストが、この曲に対して何ができるのか〉を考えねばならない、と思うようになったんです。ところが、自分自身を表現しようとした途端、自分の中から何も出てこないことに気づいて、愕然としました」

――それは意外です。スタンダード・ナンバーが身体の一部になっているようなピアニストだと思っていたので。

「今まで学んできたことが細胞レベルで身についていれば、そこからどんどん湧き出てくるはずだと思っていたんですが、やってみたらなかなかそうはならなくて。アレ?って、自分でもびっくりしたんです(笑)。まだまだ自分の中に〈ジャズ〉が十分には醸成されていないんですね、きっと。今回のレコーディングで、改めてそれを実感しました。この意味で、私にとても貴重な機会だったと思います」

――ご自身のアプローチに関しては、ソニー・ロリンズやハンク・モブレー、ジョー・ヘンダーソンなどからもインスピレーションを受けているそうですね。

「管楽器奏者の歌い方が好きなんです。なぜなら、彼らは深い呼吸をするから。ブレスしないと次のフレーズを吹けないじゃないですか。だから息遣いが聴こえてくる。深く息をするから、次に出る音もすごく深く感じられる。それを私はピアノで表したくて。だからメロディーの弾き方は、ほとんど管楽器から学んでいますね」

――ところで片倉さんは渡米中、バークリー音楽院でレイ・サンティシに師事し、ジュリアード音楽院ではケニー・バロンに習っています。ケニーさんの授業はどんな感じなんですか?

「ケニーはどうしろこうしろと一切言わないんです。でも、だからこそ、すごいレッスンだったと思います。なにしろ彼の演奏を毎週1時間、隣でずっと聴いていられるんですから。私、もともとケニーが大好きで、日本にいたときから何度も聴きに行っていたんです。私は彼を憧れの対象として見ていたし、コンサートホールの客席に座って、遠くに見える彼の音楽をお客さんとして聴いていた。

それが、ジュリアードでマンツーマンのレッスンを受けるようになった途端に、ガラっと変わったんです。遠くで見ている時と、すぐ隣で鳴っている音を肌で感じるのでは、まったく違うんですよね。コンサートホールでは真珠のようなイメージだった彼の音は、実際にはピアノが共鳴しまくって震動している。私も自分では結構ピアノを鳴らす方だと思っていたんですが、その50倍くらい鳴っていて、しかも全然うるさくない。あの音を間近で体感できたことはほんとうに貴重な機会でした。あの極上のバラードを聴くことができて、二人で演奏することもできて。はるか遠くの存在だったあこがれの人が、すぐ隣で私のために音を出してくれている。そのこと自体が、何より最高のレッスンでした。

卒業した後も、来日した時にスケジュールが合うと、私のライブを聴きに来てくれる。それがすごく嬉しいんです。気が引き締まるっていうか……。もう私は自分の演奏をケニー・バロンに聴かれるのは怖くない。私がどういうプレイをするか彼は全部わかってますからね。でもやっぱり聴きに来てくれるっていうのはありがたいし、励みになります」