Page 2 / 4 1ページ目から読む

バンドへの回帰

 アルバムがもともと『U2000』と題されていたことを思えば、新しいミレニアムに向かうバンドが心機一転する役割をこの作品にあらかじめ与えていたのは明らかだろう。90年代式U2は、時代の混沌やトレンドの変化を落とし込んだ『Achtung Baby』に始まり、ジ・エッジ(ギター)のソロ作が発展する形でフラッドと作り上げた『Zooropa』(93年)、フラッドやハウイ・Bとさらなるバンドの脱構築を推進した『Pop』(97年)と意欲的なアルバムを連発し、ポスト・パンク時代の硬派なロック・バンドというイメージから完全に脱却した。

 サウンド的には、ブライアン・イーノと組んだパッセンジャーズ名義の『Original Soundtracks 1』(95年)も含め、同時代のブレイクビーツやテクノ、トリップホップに刺激を受けたエレクトロニックな作風に傾倒していた時期ということになる。スタジアム単位に肥大化した大がかりなセットを伴うツアーや、そこでトリックスターを演じるようなボノ(ヴォーカル)の振る舞いが印象に残っているという人も多いはずだ。ボノとエッジは映画「007 ゴールデンアイ」(95年)の主題歌をティナ・ターナーに提供、アダム・クレイトン(ベース)とラリー・マレンJr(ドラムス)も映画「ミッション:インポッシブル」(96年)のテーマを手掛けるなど、各人の多方面での活躍もU2というバンドの世界を振り幅の広いものにした。

 ただ、90年代を通じての拡大志向と脱バンド・フォーマットの試みは、『Pop』とそれに付随する〈PopMart Tour〉でピークに達してしまった。東京~大阪のドーム公演も含むツアーの過程でメンバーたちは反動的にシンプルなバンド演奏に志向を定め、ツアー終了後には次のアルバムに向けて動きはじめている。新展開にあたって彼らが選んだのはブライアン・イーノ、そしてダニエル・ラノワとのリユニオンだ。この両名が揃ってプロデュースしたU2のアルバムは、『The Unforgettable Fire』(84年)と先述の『The Joshua Tree』『Achtung Baby』以来となる4枚目。98年後半にバンドはイーノとラノワを交えて地元ダブリンのハノーバーキーにスタジオ入りし、曲作りをスタートした。

 そうやってバンドで一緒にやることの根本に立ち返ったアプローチは、アルバムの方向性そのものに直結するものだが、途中にはボノ製作の映画「ミリオンダラー・ホテル」のサントラのためにボノとイーノ&ラノワが不在になるという時期もあり、もともと99年内の完成をめざしていたアルバム制作は大きくズレ込んでいくことになる。

 ただ、先に組んだツアーに間に合わせるために駆け足で完成させてしまったという『Pop』への反省から、彼らは期限を優先することはしなかった。99年の夏には南フランスでボノとエッジが住まう家の近くにアダムとラリーも家を購入し、現地でレコーディングを継続。一部のプロダクション/ミックスには長年U2をプロデュースしてきた名匠スティーヴ・リリーホワイトも関与し、最終的にアルバムが完成したのは2000年に入ってからだった。