スウィンギンな歌声を余すところなく収録し、ヴォーカリストとしての新境地も開いた前作『Sings & Plays』から2年。トランペット奏者、市原ひかりは次のステップへと踏み出し、通算10作目にあたる『Anthem』を完成させた。長年、ライブを重ねて来たバンド・メンバー〈宮川純(ピアノ)、清水昭好(ベース)、横山和明(ドラムス)〉と共に自身のオリジナル曲のみで構成したインストゥルメンタル作品を手にして〈再デビューした気分かも〉と彼女は微笑む。ポップな口調で想いや信念をストレートに語る市原の目は心に宿ったパッションをくっきりと映し出していた。彼女の音楽に惚れ込んだ新進気鋭のレーベル〈Days of Delight〉のファウンダー&プロデューサー、平野暁臣氏も交えたインタビューはジャム・セッションのごとく、予定調和ナシで進行。場所はなんと都心の公園、青空の真下という開放的なロケーションで行われた。
全曲オリジナルでインストゥルメンタル、これが彼女の本質
――ニュー・アルバム『Anthem』はちょうど10枚目のリーダー作になるんですね。
市原「そういった節目ということもあり、次のチャレンジを考えていた矢先、プロデューサーの平野さんからアルバム制作のお話をいただきました。平野さんと初めてお会いしたのは、私がレギュラーで参加している土岐(英史/サックス)さんのバンドでライブをしていた会場です。でも、最初の頃は私の演奏にピンと来なかったそうで(笑)」
平野「うん(笑)。もちろん、市原さんが素晴らしいプレイヤーだということはすぐに解りました。上手いし、音色は綺麗だし。ただ、正直に言えば、僕の〈ジャズ魂〉を揺さぶる存在ではなかった。どこか他人事だったっていうか……。ところがしばらく経ったある日、いつものように土岐バンドを観に行って、80cmぐらいの至近距離で彼女の音を浴びているうちに、とつぜん感動の波が襲ってきたんですよ。ああ、なんて美しいんだ、ラッパの音ってこんなにも美しかったのか、って。しかもただキレイなだけじゃない。背後にある種の〈凄み〉が潜んでいるって気がついた。それ以来、何としても彼女のアルバムを作りたいと狙っていたんです(笑)」
市原「私自身は土岐さんのリーダー・アルバム、かつレーベル〈Days of Delight〉の第1弾作品『Black Eyes』(2018年)のレコーディング現場で、平野さんがとんでもなく熱い人だと実感していました。さらに、空間メディアプロデューサーとして活躍され、岡本太郎記念館の館長さんでもあるクリエイティブワークのプロフェッショナルですから、それだけでもう信用しちゃうというか(笑)。とにかくファースト・コンタクトの印象が凄く良かった。それで新天地でのレコーディングを決意したんです」
――アルバムを作る際、平野さんから何かリクエストはありましたか?
市原「私のオリジナル曲だけでアルバムを作りたいとおっしゃって、これは本当に嬉しかったです」
平野「もうひとつ、ぼくが感動に襲われた〈市原ひかりの音〉に焦点を当てたかったので、インストで行こうと提案しました。トランペッターとしての原点に立ち返り、レギュラー・バンドによる全曲オリジナル、歌なしで行こうと。彼女の本質をシンプル&ピュアにすくい上げるには、それがベストと考えたからです。市原さんのレギュラー・バンドのライブは何度か見ていますが、本当に素晴らしいんですよ。彼女の曲も良いし、4人が楽しそうに活き活きと演奏している。なにより、あの4人の演奏は、市原ひかりの魅力を最大限に引き出すように出来ている。彼ら自身は意識していないかもしれないけれど、見事なまでにそうなっている。その状況をそのまま記録したいと思ったんです。だからいっさい注文はつけませんでした。いつものようにやってくれるだけでいいと。彼らが気持ち良くレコーディングしてくれればそれで良かったんです」
市原「バンドが私の魅力を最大限に引き出している……」
平野「そう。つまり、あの4人で彼女のオリジナル曲を演奏することこそが、トランぺッター市原ひかりの個性と持ち味を最も象徴的・実効的に打ち出す手段だということです。それをリスナー側からみれば、プレイヤーとしての彼女の本源に最も近づく回路を手に入れることになる」
市原「ねっ、熱いでしょ(笑)?」